意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

前の車の給油口が

前の車の給油口が開いていた。私もよくやるから親近感をおぼえた。丸い蓋である。それは外ぶたと呼ばれるものであり、昔の車は四角かった。それがだんだんと丸い蓋が増えてきて最初私は
「お」
と思った。しかし今は慣れてしまった。今乗っている車のまえの車から丸い蓋となって、私はその車の方が好きだった。単純に格好良かったからである。ぎりぎりまで違う車にするか悩んでいて、現物を見に中古車屋まで二度足を運んだ。昔からあるような、派手な風車がたくさん店先についている店舗で、私の意中の車は入り口のそばにあった。駐車場がないので、近くの家具屋に停めて行った。二度とも店主が相手して、もしかしたら歩いて来たと思ったかもしれない。二度目には、
「もう売れちゃいますよー」
なんて言われたが、端からそこで買う気はなかった。叔父が中古車販売をしているから、頼んでオークションで競り落としてもらうのだ。売れちゃおうが関係ない。むしろ売り飛ばした物を競り落とすのだから、じゃんじゃん売ってもらいたい。向こうもプロだから、こちらが買う気ないのはわかっていて、だから「売れちゃいますよー」なんて言ったのかもしれない。二度も来たから、一応店員らしいことを言っておこうと思っただけかもしれない。結局その車は妻が
「後ろの窓が小さい」
と言うので却下された。代わりに違う車にしたのだが、私の叔父はとにかく一度は現物を見るかできれば乗らなければ売らないという主義で、しかし叔父の店は小さいから現物など当然なく、だから一台目もわざわざ知らない中古車屋まで足を運んだのだ。叔父の店は叔父の両親の土地に建っていて、父(私からすると祖父)が死んだ後にその土地を相続した。畑は祖母の土地として残っていたが、悪い中古車販売仲間が、
「畑をつぶして展示場にしちゃえばいい。畑のうえに鉄板を敷けば、安くあがる」
とそそのかしたが、叔父は相手にしなかった。なぜ私がそんなことを知っているのかというと、私は当日そこでバイトしていたからである。店番という名目で、びっくりするくらい仕事はなかった。叔父としても何をやらせればいいのかわからず、最後の方は
「資格でもとれ」
と言われ、私は給料をもらいながら勉強をしていた。試験には合格したが、その後の人生にまったく役に立たない資格だった。叔父は資格至上主義で、とにかく一件役に立たなそうでも、とこかで役立つ、立たなくとも、邪魔にはならないのが資格だ、とよく言っていて、しかし厳密にいうと私のは資格ですらなく、資格にするには実務経験が何年か必要であり、確かに合格した事実は今でも消えてないのだろうが、この先何かに役立つ見込みは全くない。例えば役に立つきっかけとして誰かが
「マルマルの有資格者がいればなあ」
みたいな場面に
「あ、俺持ってますよ」
と名乗り出るパターンがあるが、なにせ条件が揃って初めて資格となるのだから、名乗り出るにしてもかなり言葉を選ばないと相手の気持ちを害してしまう。今までの職場で私がその試験にパスしたことを知る者はいない。一方で母方の叔父(今までは父方の叔父だった)に当時その試験に合格したことを話したら、
「それだったら知り合いにその業界のひとがいるから、頼んで経験あることにしてやろうか?」
とヤバい話を持ちかけられたことがあったが、叔父は全くいつもと同じトーンでコーラをちびちび飲んでいた。叔父は下戸で、仕事帰りにはいつもコカ・コーラを飲んでいた。以前私の記事を読んだ人ならおぼえているだろうが、この叔父は私にゲームボーイを買ってくれた叔父で、そのためこれ以上の恩を売るわけにはいかなかったので私は断った。そもそもその資格に興味もなかった。

二台目の車は叔父(父方の)の知り合いのディーラーの個人所有のものを乗せてもらい、それで現物オーケーということになって予算を伝え、オークションで競り落としてもらった。それに乗っていたら、あるとき職場関係のおじいさんに「美しいフォルムだな」と誉められ、その人は私の住む自治体のロゴマークを考えた人だったので私は嬉しかった。その自身はジャガーに乗っていて、あるとき適当に話を聞き流していたら
「じゃあ、乗ってみるか?」
ということになって助手席に乗ったら座席がほんのり温かく、
「どうだ? すごいだろう」
ということになった。ジャガーは1メートルも走らなかった。

風邪をひいた

風邪をひいた。風邪をひいたのでその旨をブログに書くことができる。喉が痛くて頭が痛くて鼻水が水っぽい。鼻は痛くなかった。これで熱でも出ればフルコンボだが、動けているから熱はない。ポケットにのど飴を詰め、そういえば昨日は寒いときに着るユニクロとかが出している薄い肌着を着た。ネックウォーマーじゃなくてなんて言うんだっけ? ユニクロのは高いからGUのにした気がする。それで昨日は会社に行って事務所の暖房を入れたらみんなが
「あつい、あつい」
というから切った。私は寒がりなので、そのことを特に気に病んだりしなかった。それが今日この気温である。大変暑く、脇の下に汗をかいた。休憩で横になると少し寒かった。露出した肌がコンクリートに触れないよう注意した。

妻が
「つらかったら帰ってきなさいよ」
と朝に私に言った。お母さんみたいだな、と私は思った。子供の頃そんなことを母によく言われた。私が病弱だったからである。あるとき朝に熱が37度くらいあって、これくらいなら平気だろうと家を出たら、父に
「大丈夫か?」
と呼び止められた。父は畑を耕していた。鍬に腕を乗っけながら、私の体調を慮った。私は「平気だ」と言った。しかし昼前には具合が悪くなって、結局母に迎えに来てもらった。母はそのときは自分の車を持っていた。私が低学年の頃には一台しか車がなくてそれを父が乗っていってしまったら車がなく、母が自転車で来たことがあった。私は荷台に乗って、母の背中に顔をつけた。そうして通学路を帰っていったから、みんなの笑い物だった。それから母は自分の車を手に入れた。赤い車であった。夏は灼熱のように暑い車であった。母はその車でよく、スプライトを飲んだ。大変うまそうであった。

テレビの音

昨日蛍光灯の音について書いたが、そういえばテレビの音というのもあった。テレビの音は別に普通なのかもしれないが、よくビデオを見ているときそのときテレビの方は「ビデオ1」にしなければならず、そうして録ったビデオを見ているときはいいが見終わって友達の家とか自室に戻るときなんかにビデオの電源だけ切って、テレビはそのままということがある。どうしてテレビを消し忘れてしまうのかというと、「ビデオ1」はビデオが消えていると真っ黒の画面になってしまうからである。「ビデオ1」とはテレビの話です。だから、消えているのと同じだから私の妹とか消し忘れるのである。そのあとしばらくして私がどっかから帰ってきて部屋に入ると
「あれ?」
という気になる。なんだろうなんだろうと思いを巡らせるうちにテレビがつけっぱなしだと気づいてリモコンの赤いボタンを押す。ぶつっと一瞬光ってテレビは沈黙する。まるで隠れていた亡霊を退治したかのようである。それまでもテレビは沈黙していたが、部屋に誰もいないと、何かが発せられている。まさしく違和感、と言った具合のわずかに感じる程度の音、あるいは何かなのである。ふだんいろんな文章で違和感、違和感と書かれ、それがかんじるものなのか覚えるものなのか、論じあったりするが、ブラウン管のテレビが一台あれば、どんなものなのかわかると思う。今のテレビもそんな音がするのかはわからない。家にあるテレビには「ビデオ1」はないし、つけっぱなしにしていても「信号がありません」と言って向こうから切ってしまう。とても親切だが、そのぶん立ち上がりは遅くなった。コンピューターというものの仕業だろう。そのうち掃除機や換気扇もああいう感じになるのだろう。嫌な未来だ。

蛍光灯の音

家に誰もいないというわけではないが静かで、私は日曜の午後を菓子を食べながらだらだらと過ごした。甥も寝ているようだ。私がたまに抱くことがあってもまったく泣きやまなかったが、窓を開け外気に触れさせたら眠そうに目をつむった。昔私の子供が生まれたとき、私の同僚もほぼ同じ時期に子供が生まれ、しかし夜泣きがひどいらしくそれを聞いたおばさんの先輩が
「外の空気に触れさせないから」
と分析した。抱きかかえられた状態でも、ちょっと外に出すと赤ん坊は疲れるようだ。そういえば犬の散歩でも最近は犬を抱きかかえた人の散歩、というものを見かけるが、あれにしてもワンチャンを外気に触れさせて疲れさせるという目的なのかもしれない。私たちは疲れるために生きている。子供の頃眠れないと寝室を出てきた私に父は、
「労働が足りない」
と注意した。最近は十分足りているのか、よく眠れる。

実家では静かにしていると蛍光灯の音が聞こえた。時計の針の音というのも聞こえた。時計の針は今でも耳にするが、そういえば蛍光灯は聞かないと、さっきふと思った。午前中は晴れていたが、午後から雲が広がった。会社の定年間近の男が言った通りだ。彼は
「明日の方が気温は高いけど、雲が広がる。だから今日が行楽日和だ、日光行きたい」
と言った。紅葉が見たいのである。私は車酔いするから日光なんて一生行きたくないし、紅葉にもあまり興味がなかった。「きれいですよ」とお膳立てされたものを見ても、満足できなさそうだった。何年か前にひとりでふらりと湖へ行き、そこは紅葉の良いところだったが、私は紅葉よりも湖に釣り糸を垂らす釣り人に心ひかれた。やたらと長くて細い竿であった。彼らはみすぼらしい身なりで、竿がなければホームレスに見えた。彼らはいちばん低い位置にいた。そこが湖のすぐそばだからである。そういう意味では紅葉を見に行く意味もあるだろう。

今は蛍光灯もだいぶ良くなったのか。部屋の電灯もつり下げるタイプの物が、いつからか東京ドームみたいなのを天井にくっつけるやつになった。こちらはケースと蛍光灯がセットで、蛍光灯が切れたらケースごと変えるタイプらしい。義母がこれを買うときにこんなに電気と天井をくっつけたら火事になる、と大騒ぎした。なるほど、吊り下げるタイプにはそういう理由があったのかと理解した。しかし最近の天井だって天井紙を貼るのだから、燃えやすさでいったら今の方が上なのではないか? と思ったが義母は妻以上に論理のわからない女だった。せっかく買ってきた蛍光灯はしばらく押し入れにしまっていたが、あるとき電気屋でやはり別室の蛍光灯を買いに行ったら、親切な店員が「火事にはなりませんよ」と教えてくれ、私の部屋にもようやく新しい光がやってきた。そのころは義母の耳もいくらか聞こえたようだ。

友達

昨日は友達について書いていたが、どこかで男友達なのか、女友達なのか書こうと思っていたが書かずにどこまで行けるかと思いながら書いていたら書かずに済んだ。済んだというか、途中で眠くなって(書くのを)やめてしまった。昨日は6時くらいから寝たいと思っていたが、甥が起きていて、甥はまだ生まれたばかりで首も座ってないから誰かが抱っこしていなければならず、首の座っていない男児をだっこするとまず疲れるのは手首だ。手首が疲れるのは私が下手くそだからかと思っていたら、私の子供も
「疲れる」
というから、抱っこあるあるみたいな話しができた。甥は生まれたばかりだが、生まれたばかりでない甥もいた。しかし言葉はまだまだといった感じだった。それを空に放り投げるように抱き上げたら喜んで、何度も何度も繰り返すようせがまれた。子供はこういうのが好きなのである。何もできない乳児を相手にすると私たちはよく、自分の親とか、あるいは自分とかが老後になって死が間近になって歩けなくなったり記憶が混濁すると、それは乳幼児とそっくりだと思い、違うのは可愛いかどうかだけだ、と思ったりする。そうなった私たちが自分よりも屈強な人に
「高い高い(他界)」
とやられたら嬉しいだろうか。特に私なんかはすごく乗り物酔いが激しいから、そんなことやられてもありがた迷惑だろう。昨日も私は行き帰り、片道一時間以上ずっと運転したが、途中に山道があったりして、心の底から
「運転してて良かった」
と思った。山道なんかは正直自分が運転者でも酔うくらいなのである。運転好きの人は山道ででしゃばる傾向があるが、あれは私の地獄のひとつだ。何年か前に八王子の山奥の知らない公園のベンチで横になっていたのは私だ。そのあと私の子供が吐いてシートがだいぶ汚れ、私はひそかに「ざまあみろ」と思った。もちろん子供に対してではない。

話は最初に戻るが、文章のうまい下手の尺度に短い文章にどれだけ情報をつめこめるかみたいなのがあって、かつては私も友人に小説を読ませたら
「昼か夜かわからない」
と言われショックを受けた。それがおそらく今も続いていて、だから友達が出てくるとそれが男か女かをどこで書けばいいのか気になってしまうのだ。

中吉・日焼け

友達と妻と遠くへ出かけた。遠くとは高速に乗って出かける地域である。最初私の車には友達2人と妻が乗る予定だったが前日に突然
「俺も行くよ」
とひとりが言ってきて、この人はもともと行く予定の人ではなかったから、私の車には私以外に四人が乗ることになった。これでは大変ガソリンを食うと思ったから最初の人を拾ったらガソリンを満タンにし、タイヤの空気圧をチェックした。空気を入れていたら妻が「最近知らないおじさんに「空気の入れ方が違うよ」と注意された」と言ってきた。妻はブザーが鳴ったら注入口から空気入れを離すと思っていたが、実は鳴らなくなるまで入れるのが本当のルールだった。最初にどの圧になるまで入れるとか設定するから、入れすぎる心配はなかった。しかも最近の機械には「End」と表示されるからそこまで入れれば良かった。そういうことは機械の本体のステッカーに書いてあるから、
「説明を読めばいい」
と私は言った。妻は注意書きとかあまり読まない女だった。

空気を入れ終わると私たちは最後の友達を迎えに行った。
「黄色いポリバケツの二つあるところを右」
と言われたが、ポリバケツはひとつも見つからなかった。近づくとやがてわかったが、私が思っていた物よりもずっと小さい、私からするとただのバケツのように見えた。近づくほど小さくなるものは珍しい。坂を登り友達の家があった。初めて行く場所であった。だから私たちはポリバケツを目印にしなければならなかった。3月から住んでいる。一軒家である。電話をすると小窓がぴしゃっと閉まり、織田信長みたいだな、と思った。日本の歴史かなにかの漫画で、織田信長がトイレの小窓から斎藤道山の行列を眺める場面が描かれていた。やがて家から出てきて坂を下り、高速道路を目指した。
「ここが東京都杉並区ならなあ」
と私は突拍子のないことを言ってみた。
「飛び地?」
と、友達。私は飛び地という語感が気に入った。
「そうすればここは東京都最北端ということになる」

サービスエリアに行くと青い車の友達が先に出てきて、私の方からひとり移動してもらおうと思うが、天井の低いクーペだったので無理そうだった。私の車の窮屈さの方がまだマシであった。私たちは立ち話をしたが、そのころから顔がひりひりした。友達は私の顔が赤いのを見て、前日どこか遊びにいったのかと思った。その後神社へ行っておみくじをやったら中吉が出た。

桶川ストーカー殺人の番組

事件のことがテレビのバラエティ番組で取り上げられていて、私はこの手の番組は見ていてツラいから見たくないが家族が見ていたから私も見た。特に前半の「こんなひどい目に遭わされた」パートがつらかった。殺されてしまうという見えている結末が息苦しく、どうしてこれがバラエティになってしまうのか、私は不思議だった。不思議なのは私ではなく周りなのだろう。他人ごとの、しかも画面は再現であるから実際の演者が死ぬわけではないから、私は過剰に感情移入しているだけだ。そういえば昔は手塚治虫の漫画で、人がほいほい死ぬのがやはりつらかった。ギャグマンガは崖から落ちても、壁を突き抜けても踏まれてぺちゃんんこになっても、次のページではけろりとしていて、読んでいるこっちも気楽だったが、シリアスだとそうはいかない。シリアスなほど人はもろくなるのだ。そういえばシリアスな話は人が「ここ!」というタイミングで必ず死んで、私はそういうシリアスさには人の死が欠かせない、みたいな主張がいつからか透けて見え、つまりは人が死ぬ話を書く人は力不足であると思うようになった。死ぬというのはもっと自然なもので、用意周到なものでは決してないと思う。あと死ぬというのはマイナスの感情ばかりではないと思う。死が悲しい、というのは創作物の刷り込みではないか。人の死とドラマといえば金八先生というドラマを見ていたらあるときおじいさんが死んで、その人は最初は嫌な人だったが徐々に生徒と打ち解け、打ち解けたところで死んだ。死の直前に、生徒のひとりが見舞いに行くと、おじいさんは目を覚まし、「今何時か?」と訊くと生徒は「五時です」と答えるとおじいさんは「もう朝か」と勘違いし、私は「ああ死ぬんだ」と思った。とても印象に残った。逆に死ぬ直前に妙に饒舌になるドラマもあるが、むしろそれは生き返ってるんじゃないかと思う。

番組は後半になると警察の怠慢パートになって、告訴を無理に取り下げさせたりと、まともな捜査がされなかった状況をひとりのジャーナリストが暴き、徐々に真相が明らかになり、そこは見ていて気が晴れた。こういうのをカタルシスと言うのだろうか。しかしやはり私は懲戒免職になった刑事の課長を気の毒になってしまった。課長をやっていた俳優が別番組の大家族のお父さんに似ていたからかもしれない。似てなくても「悪いんだからクビは当たり前、自業自得だ」という風には思えなかった。