意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

二人称がしんどい

昨日は短歌の記事を書き、同じ企画に参加している人の短歌を読んだが、そのときのテーマが「酒」だったので酒についての短歌を読んだのだが、私は
(どうやら若い書き手が多いようだ)
と思った。「味をおぼえた」という表現が目についた。私は前の前の前くらいの職場について思うことが多かったので、そのことについて記述した。あるお客さんに連れて行ってもらった焼鳥屋にはトイレがなく、外で用を足した。私はとちゅうでウンコがしたくならないよう、出発前には家でよく出しておくよう心がけた。女性だけはカウンター奥のママと共用の便所を利用することができた。カウンターが「ぱかっ」と上に跳ね上がり、中に入れるのである。ママと呼ばれる女は私の親よりも上だった。何か話をしたが、はちゃめちゃに酔っていたから何もおぼえていない。とてもまともな店に思えなかったが妻は
「あそこの焼き鳥がいちばんうまい」
と評していた。私は酔っぱらっているから、味も何もなかった。妻はお土産を食べていた。焼き鳥は「せがれ」と呼ばれる人が焼いていた。ドラムをやっているというから、ドラムの話をした気がする。私は酔っぱらっているからよくおぼえていない。ビールばかり飲んだ。家に帰ってから三国無双をした。三国無双は別の人の引っ越しを手伝った際にお礼にPS2をもらって、それに付属したソフトだった。PS1もくれると言ったが、どこの世界にPS1と2を一緒に所持する人がいるんだと断ったらあとで妻に
「1は売ればいいのに。馬鹿だ」
と言われてしまった。確かにそうだった。その人は離婚して、もっと狭いアパートに引っ越す予定だった。家具も全部売った。私はよく考えると、何も手伝った記憶がないからただの木偶の坊だったのかもしれぬ。よくよく考えると夫婦の思い出のつまったゲーム機だったのかもしれないが、私は気にせず三国無双をして遊んだ。

私はそんなかんじの短歌を書いたが、他の人は違ったので、違うな、と思った。他の人は二人称がよく出てくる記述をしていて、私には正直そういうのがしんどかった。私はとある歌で「星座」という単語を使おうかと思ったが、色恋っぽくなりそうなのでよした。星座と色恋を結びつけるなんて変態なのかもしれないが、これは「星の瞳のシルエット」の影響かもしれぬとあとから思った。星の瞳のシルエットは天文部だの出てくるが、そういえば天体観測しているシーンはあっただろうか。私がおぼえているのは高校生になった香澄がおケイとあんみつ食っているシーンと、あとはひたすは真理子が邪魔くさいと思ったことくらいだ。あれだけ嫌だった真理子にも最後はべつの男をあてがってもらってエンディングを迎え、作者はやさしいな、と思った。色恋といえば昨日たまたま星野源十六茶のCMの女の子が出ているドラマを見たが、最初が居酒屋のシーンでこじれた男女の男側がふてくされているのに対してハンサムな元恋敵が、説教する、という場面で私はこういうシーンは過去に何度も見ている気がしてデジャヴかと思った。その後電話をしたりとかダッシュしたりとか、小綺麗な部屋とかデジャヴの嵐でした。きっと私は途中からつまみ食いをするように見たからいけなかったのかもしれない。

短歌の自由201611号

題詠 5首

1. 本

本当の・自分なんだよ・いつだって・24時間・寝る・飯・自慰も


2. 手袋

先日の雪が車に積もったが手袋してて冷たくなかった。


3. みぞれ

神のみぞ連絡網はしなくともOKまわせばみぞれが降るかも


4. 狐(きつね、キツネも可)

うどん食べ、キツネうどんは狐憑き。タヌキうどんは、ら抜きことばに。


5. メリークリスマス

過去「メリー クリス マスマス美しく」というギャグが忘れられずに


テーマ詠

 テーマ「酒」

・職人の酒井が脚立から落ちて、そういえば彼は天然パーマだ

・寝ゲロした。三国無双の緩慢な動きに酔った。これはバグです。

焼鳥屋トイレがなくて、ウンコ禁止、シッコは外で縮こむチンコ

・実父からもらった焼酎隠したが、義父が嗅ぎつけ私は洋酒派

寿司屋でレッチリが

回転寿司店に行ったらレッチリがかかっていて、ミスマッチだと思った。しかし確かレッチリには「カリフォルニケイション」というアルバムがあるから、カリフォルニアロールつながりで縁が深いかも、と思った。その寿司店にもカリフォルニアロールがメニューにあった。私は生涯で一度か二度カリフォルニアロールを食べた気がするが、どういう印象を持ったかよくおぼえていない。カリフォルニアロールが寿司なのかどうなのかという議論があるが、回転寿司店はなんでもござれなので、カリフォルニアロールなんてむしろ正当な部類にはいる。天ぷらも焼き肉もなんでも一塊の米上に載せられ、あるいは遠心力で落ちている。小学生の私の子供が、
「握りが甘いなあ」
なんて言ったりする。ソバや丼やコーヒーなどもある。

高校の夏休みの宿題で、グループで博物館に行き、レポートにまとめるというのがあった。友達達と電車を乗り継いで山の中の博物館に行き、そこは小学生のころにも行ったことがあるから懐かしかった。川のそばにあった。道すがらにそば屋があったので入り、私たちはそばを食べた。ひとりがカツ重を頼み、そば屋でカツ丼とかどうかしているんじゃないかと思った。店の人も当たり前のように運んでくる。きっとそば嫌いな人が頼むためのもので、片手間で作られるものだろう。鰻屋の天重のようなものだ。後日ふたたび集まってレポートにまとめるということになり、私は真面目にやる気がなかったので「お楽しみページ」を担当することにし、そこに当日の昼にみんなが何を食べたか書き込んだ。カツ重はカツ重である。お楽しみページには他にも博物館のあとにカラオケに行った写真を載せたりした。私の高校にはそばにカラオケがあったから、しょっちゅうそこに入り浸っていた。ちょうどフリータイムのような、カラオケが安くなってきた時期だった。それまでは二時間いくらとか、もっとひどいと一曲100円というところもあった。曲ごとに値段があったらおいそれと曲の予約なんてできないし、間違って他人の歌をとちゅうで演奏停止なんてやったら、殴り合いのケンカになりかねない。私たちのよく行くカラオケは元ラブホテルではないか、という噂がしばしば流れたが、地元の女の子が
「ラブホテルじゃなく、ビジネスホテルだ」
と全力で否定していたから逆に怪しかった。私たちは誰もラブホテルに行ったことがなかったから、ラブホテルとビジネスホテルの違いはよくわからなかった。確かにカラオケっぽいかんじではなかった。

レポートを提出すると教師は、
「あそこのお蕎麦屋さんは、カツ重がおいしいんだよねー」
とカツ重に食いついたから私は「マジかよ」と思った。生徒に行かせるだけあって、教師はその町のことは知り尽くしていたのである。卒業するときの文集に教師のインタビューのページがあり、そこの「好きな食べ物」の欄に「うどん」とあったから、単にそばが嫌いなだけなのかもしれない。

弟の嫁

弟が結婚するという話を聞いた。それは母からであり、私は母から聞くという手段しかないのに母は、
「ねえ、知ってる?」
と切り出した。手段しかないと書いたがよく考えてみると、本人であったり妹であったり、あと叔父から聞かされるというパターンもじゅうぶんにあった。一時期叔父と弟はよく連絡を取り合っていて、私は叔父からよく弟の近況を聞かされたりした。ようやく全国の細かい道路まで広がったGoogleストリートビューで、弟の家を教えてもらったこともあった。私の中ではストリートビューとは都内とか一部の都市部の主要道というイメージで止まっていて、まさか私の住まいまでうつしだされる日が来るとは思っていなかった。それを日本語入力をローマ字でできず、かな入力で行う叔父に教わるとは夢にも思っていなかった。叔父が夢に出てきたことはない。しかしもしかしたら、昨日の忘れた夢の主要人物は叔父だったかもしれない。叔父は癌で、よく「医者は冷たい」とこぼしていた。しかし叔父は営業職で調子が良く、看護婦に医者の悪口を言って、楽しくやっているようだ。昨日私は叔父に会って、すると叔父はこの前の雪の日にお客さんの車のタイヤを十台替えたという。さすがに腕が上がらなくなった、と、腕の心配をするからだいぶ加減はいいのかもしれぬ。これは虚構ではなく現実だから、良くなってきたからと言っていきなり死ぬわけでもないだろう。現実では死は平等だから。この10年で何人かの人が死に、それに伴って何人かが醜くなっていくつかの関係が壊れた。

弟の嫁にはまだ会っていないが私の両親は会った。そのために父は自分の部屋を片付けた。私の家では父の部屋は客間を兼ねていた。父はたくさんの本だとか資料を捨てた。かつて私の家には居間と父の部屋にしかテレビがなく、チャンネル争いが起きると立場の弱いほうが父の部屋に退いた。父の部屋にはソファがあって、お尻の小さい私たちはよく、ソファの肘掛けに腰かけてテレビを見た。テレビの周りには漫画があって、父はちばてつやとかゴルゴ13が好きであった。シティーハンターも好きだったが、なぜか最終回の直前の巻で買うのをやめてしまった。もっこりにつき合いきれなくなったのか。その部屋に弟は自分の配偶者を連れてきて挨拶を行った。私は母に感想を聞こうと思い、
「どう? うまくやれそう?」
と訊いたら、
「うまくやるとか、わたしには関係ない話だよ」
と一蹴され、私は母の合理的思考に、改めて感心した。一方の私は20年以上も一緒に暮らした人に愚かな質問をし、自分がつまらない人間になってしまったことを悟った。人は変わるのである。あるいは「関係ない」は余程腹にすえかねる人物だった、ということの言い換えなのかもしれないが。

大勢の子供が鯨に食べられる

タイトルのような夢を見たが、その中に私の子供はいなかったので私は特に悲しくはなかった。夢はその後も続き、起きたときはその後のことのほうがよく覚えていたが、今はおぼえていない。鯨のくだりは起きたときは夢か創作かあやしいかんじだが、しっかりおぼえておこうと意識したから忘れずに済んだ。書いているうちに思い出すかもしれないと思ったが、思い出すことができなかった。

先週か先々週くらいにジャニーズ軍と芸人軍が体育で対決するゼウスという番組を見たが、これはもう三回目の放送だそうで、私は1、2回目は見ていない。そのときはキスマイが出ていないから、私の子供はキスマイのファンだからキスマイの出ない番組はノーセンキューなのであった。キスマイは親玉のSMAPが解散するから、生き残りをかけて嵐におべっかを使うようになったのである。過去二回は芸人軍が勝ったらしく、ここから先が私の理解できないところなのだが、次にジャニーズ軍が負けたら番組は三連敗で終わるらしいのだが、それをMC(ゼウス)が嬉しそうに語るのである。視聴者ならともかく、番組サイドが番組が終わることを嬉しそうに報告することが、今まであっただろうか。民放だから、終わるということは視聴率がふるわないということである。なるほど私はいくらか見てみると、魅力的な番組でないことが理解できた。そもそもジャニーズ軍と芸人軍というが、ジャニーズは事務所の名称、芸人は職業というか業態の一種であり、これは言ってみれば日本人vs魚類というような極めて雑な区切りである。やはり私としてはジャニーズ対吉本興業という風に揃えてくれないと気持ち悪い。あと一回戦が終了した時点で点数がリードした芸人軍には寿司が振る舞われたが、これからまた体を動かすときに、寿司なんか食いたいだろうか。もうめちゃくちゃである。寿司は一流の職人が握っているというが、職人だって対決の合間にろくに味わわずにつままれたら面白くないのではないか。前に読んだ「ヤング島耕作」では、カレンダーの写真に使うおせちの写りが悪いからと、なんの躊躇もなく伊勢エビとかにテカりのスプレーをぷしゃーっとかけるカメラマンの横柄さに、島耕作とおせちの職人が息を飲むシーンがあるが、それを彷彿させる。

毛沢東

毛沢東のような髪型をした中年の男が自転車で朝日を浴びながら目を細めていた

高校時代に毛沢東と書こうとしたら、毛択、東と書いてしまい友達に「違うよ」と言われた。どうして「沢」なのに「たく」と読むのか納得できないが、かんじは右側が読み方を担当するそうです。友達は「けざわひがしだから」と教えてくれなんかそれって「毛沢市立東中学校みたいだな」と思った。友達はテスト対策としてそうやっておぼえたのだろうか。同じようなのとして「ディクショナリー」という単語があるが、あれの綴りをおぼえるためにローマ字読みをすると「でぃくてぃおなりー」となって、最後がオナニーとなると、喜んでわざわざ年賀状で知らせてきた友達がいる。私は中学三年で下ネタは人並みに喜んで連呼したが、さすがにこれは苦しいのでは? と当時から思った。彼はその後学区内の一番の進学校に進んだから、マジで「でぃくてぃおなりー」とつぶやいていたのだろう。私は昔も今も、テストではおぼえられたことのみ答えるというスタイルだったから、毛沢東もディクショナリーも、それがテストに出たかも定かではない。私はせいぜい六波羅探題あたりが限界だし、これもかんじが合ってるかあやしい。

歯医者に思うこと

歯医者に行った。歩いて行けるところにある歯医者である。元は九州だか熱海だかに住んでいたと聞いた。近所だからそういう噂も流れるのである。私にはまったく興味がなかった。歩いて行けるところにあるというところのみ重要だった。歯医者に限らず近頃の病院はみんなバリアフリーになっていて、初めてのところなど、つい土足で入っていってしまいそうになる。実際入ったこともあり、注意された。ある程度大きな病院になると土足で入る建物であるから、その辺の判断が悩ましい。大きな病院は隠し扉のようなのがあって、その中が看護婦などの休憩室になっている。去年インフルエンザの予防接種を受けに行ったら、時間を指定されたのにびっくりするくらい待たされてやがて昼になり、壁の中から女の人の笑い声が聞こえて尚びっくりした。どこかから壁の中に入れるらしく、病院で働く人はそこでお昼をとるようだ。患者を待たせてお昼なんてけしからん! とは思わないが、うっかり誰かの悪口を言えば丸聞こえなので注意しなければならない。

話を歯医者に戻すが、件の歯医者にかかると義父がかならず
「あすこはどうだ?」
と訊いてくる。技量についての質問なのだが、検診だけだからどうもこうもないし、だけでなくとも素人の私には判断がつきかねる。義父は必ず
「あそこは愛想はいいんだけどなァ」
とつぶやく。愛想は確かに良い。ハキハキしゃべる。治療の際にはどこをどのように治療するのか展望を説明してくれ、私としては文句はない。私は20歳くらいまで、私はロクな歯医者にかかったことがなかった。すぐに歯磨き指導をしたがる医者とか、助手の女と私を挟んで私語ばかりする医者とか、そんなのばかりだった。そこは私語だけでなく治療もダラダラとして、結局一年くらい通うハメになった。私はバックレるのがイヤだったから言われるがままに通ったが、最後は「クリーニング」で引っ張るからじゃあいいやと思ってバックレた。

義父も同じような体験をしたのか知らないが、こうした体験が「腕の良い医師は愛想が悪い」という認識を彼に刷り込ませてしまったようだ。だから逆に愛想の良い医者は腕がイマイチと決めてかかり、私にもそれに同意してもらいたいようで、だから毎回「あすこはどうだ?」と訊いてくる。私は、義父のそういう欲求は見抜いているから「そうですね、腕の悪さを接客でカバーしているのでしょう」とでも言ってやればいいが、馬鹿みたいなので適当に話を合わせてすっといなくなってしまう。