意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

ひこうき雲

新潟空港のそばまで来たらよく晴れていてひこうき雲がいたるところで交差している。飛行機自体はまったく見えない。あとはサッカー場と野球場と朽ちたホテル後が見えた。父が「ここを通ったことがある」と行った。とちゅうの道の駅で手紙を出した。取引先への受領証を送らなければならなかった。京都行きである。埼玉はずっと曇っている。エンジニアはまったく訛っていないし奥ゆかしさもないから京都の人間ではないのかもしれない。年二回機械の整備にやってくる。


父が「北朝鮮に拉致されないよう気をつけろ」と言った。入道雲の向こうからミサイルが飛んでくるかもしれない。すぐそばなのである。子供の頃に同じところにきた。海の向こうに島影が見え父はそれを
「あれはソ連だ」
と言った。佐渡はどこへ行ったのか。海のそばの道には丈の高い植物が生えていて誰かが
「伊計島みたいだ」
と言った。5年ほど前父の還暦祝いに沖縄に行ったのだ。その中の伊計島というところに宿をとった。車にいける島だが道中は山道のような場所を走り日も暮れていてちゃんとたどり着けるのか一家は不安であった。ヘッドライトが丈の高い植物ばかりを照らした。年が明けたばかりの季節で南の島だから暖かいと聞いていたが私は寒くて仕方がなかった。地元の人も寒いと言っていた。地元の人とは昔のコンビニがなはやる前にやっていた地面がコンクリートの商店にいた。地元の人以外には冷たかろうと思ったがちゃんと所望したものは売ってくれた。私はチップスターを買った。ホテルはオレンジレンジがPVに使用した場所とさかんに貼り紙をしていたが私たち以外に客はおらずやがて閉店した。玄関入って吹き抜けの誰が何階にいるのか一目でわかる作りのホテルだった。食事はすべて別館のレストランにあり給仕は終始暇そうに突っ立っていた。メニューの半分は「できない」と言われた。だいたいの客は本当の繁華街で済ますので従業員たちはきまずそうに私たちの料理を運んだ。

目「蟻」

蟻(目) - カクヨム

話の中で主人公が弟を殺したことを思い出すシーンがあったが私も子供の頃弟の頭を父のパターで殴ったことがあり「これは死んだ」と思った。幸いたんこぶで済んだ。弟は忘れたかもしれない。こめかみにお餅のようなカプセル薬の容器のようなふくらみができ弟は昏倒した。あるいは泣いていた。正確には殴ったのではなく振り上げたところに弟の頭があったのだ。弟はもう忘れたかもしれない。弟は今はふじみ野とか都内で働いている。この前叔母の通夜で半年ぶりに会って帰りに池袋駅まで送ってもらうことになってそうしたらこの後銀座に行くという。車でである。そんな仕事人間になったのはあのとき私がパターで殴ったせいかもしれない。私とは似ていない。弟はこれはと思った人にどこまでもついていく人間である。私は逆でいつでも相手を嫌うポイント尊敬に値しないポイントを探している気がする。仕事でもなんでも好きなことに打ち込むのは幸せなのかもしれない。


妹の頭にもあるとき鍋のふたをフリスビーみたいに投げたらやはり頭にヒットして「すこーん」という音がして妹は泣きながら家に戻りしかし泣いたり戻ったりできたから死んだとは思わなかった。妹はもうおぼえていないだろう。逆に私が忘れてしまったこととはなんだろう。昨夜私はアイスを食べていたらいつのまにか妻も子供も寝巻き姿でいて妻はさっきまでクロネコヤマトだかに出かけていたはずなのに素早すぎるとおどろいたら私の記憶がエラーでつまり私は子供に自分が風呂を出るまでアイスを食べずに待ってろと言われて待っていたことをすっかり忘れ忘れるというのはある程度の距離が開いてから使わないと不自然でこれは忘れたのではなく認識のエラーだ。幸いすぐに復旧できたので驚くことは何もなくなったがいつかは周りは知らない人だらけになって一瞬で何ヶ月も過ぎたりさかのぼったりする日常になるのだろう。私はそんなときにも「記憶のエラーである」と悠長に思うことができるだろうか。痴呆になった祖父の日記は最後はほんとうにミミズが這ったような字になった。そんな字で息子夫婦がうまくいっていないことを憂いている。やがて夫婦は離婚したが祖父がそのことを認識できたかは不明だ。あの頃より私は祖父に近づいたが離れている。祖父の心境など知る由もない。

大人になるってなんでしょね

生涯モラトリアム?大人になるとはどういうことか - おのにち

上記記事の最初のほうを読みながら昔読んだ吉本ばななのエッセイで「モテる人は自足している」とあったのを思い出した。何のエッセイかは忘れたが自足とは自立と似ているが少し違っていて要するに他人に求めることが多い人はモテないということだろうか。私は当時は若くてモテたかったのでどうすれば自足するか熱心に考えた。そうしてやがて忘れてしまったが世の教育とかそういうのは自立については熱心に指導やフォローを行うが自足については重要視されていないことに気づいた。こんなことは日本だけであるというのは嘘だ。海外は知らない。


自足とは私なりに解釈すると他人に対して諦めを持って接することではないかと思う。よくある歌の歌詞に「人はひとりで生きていけない」とありそれは食べ物や家や排泄のことを考えると紛れもない事実であるがそれを信奉というかどの次元でも万能と勘違いする人が傷つき再起不能になるのである。私はひとりで生きていけない世の中をどうやってひとりで生きるかをよく考える。それは何も他人を拒絶して生きるとか我が道を行くとかそういうことではなくもっとナチュラルに自前の幸せを用意しておくということである。


記事の後半ではところで周りから見たらぜんぜん仕事ができていないのに本人は大活躍のつもりという人が出てきてこれは私のことではないかと思った。私は最初の職場では自分では活躍しているつもりで辞めるときには別の事務所の人に「主任の懐刀」と評されて今でも私はその評価を気に入っていて今でも誰かの懐刀になりたいと思うが良い懐刀が見つからない。ところが当の主任からは餞別の言葉として「次の仕事では周りの人の言うことをよく聞くように」と言われショックだった。私は以降二年か三年はその言葉を守り他人の言うことをちゃんと聞くよう心がけたがその数年は迷走しっぱなしだった。結論として私は他人の言うことを聞いてはいけないタイプだった。

壁打ち

少し前まで本を熱心に読んでいたが今は読めなくなっている。気晴らしがほしいと思い某有名RPGスマホゲームをやったがやることが多くてデータをダウンロードした時点で嫌になってやめてしまった。そのRPGとはファイヤーエムブレムというゲームで中学高校でやり込んだがやっていないシリーズのほうが多くて往年のキャラが勢揃いという謳い文句だったが知らないキャラのほうが多かった。私がテレビゲームに熱中したのは中学高校の頃で高校に入るか入って少しした頃にプレイステーションが出たがすぐには買わなかった。ファイナルファンタジーも5と6はやったが7はやらなかったら7がいちばんの名作らしい。プレイステーションを買ったのは大学に入ってからでとにかくもうそのころはゲーム熱が冷めていた。


20代になって就職して仕事先の人の引っ越しを手伝ったらプレステ2とソフトをいくつかもらった。その人は離婚したばかりでもうそんな広い部屋に住む必要もないから引っ越すのだが引っ越し先が私の家の近所だったから手伝った。家具を売るのも手伝いそのとちゅうで「腹が減った」と言うからマックに寄ったがドライブスルーが混んでいて車が並んでいるのを見てその人が
「マックで並ぶなんて馬鹿らしい」
と言って車をUターンさせて国道に戻った。そのシーンを今でもおぼえていてその店も今は更地だが別のマックのドライブスルーで並んでいると思い出す。私は辛抱強く番がくるのを待っている。それでもらったソフトの中に三国無双があって夜中に妻と妻の妹と毎晩酒を飲みながら「出過ぎですぞ」とか言いながらやった。隠しキャラもネットで調べて出した。そのうちに私は仕事をやめ2ヶ月くらい無職になりその間はドラクエ7をやった。最初は3Dで吐きそうになった。さらに最初の洞窟の抜け方がわからなくていきなりネットで調べた。それ以降は特に引っかかりもなくエンディング後の隠しダンジョンは少し味気なくかんじた。ネットが私のゲーム熱を奪ったのかもしれない。


昔にRPGを作っていた人はおそらく「やる人がもっと自由なゲームがいいと考えていてそれが発揮されたのがロマンシングサガで私は2しかやってないが何をしていいのかわからなくて結局とちゅうで投げてしまった。地底の洞窟で序盤にいきなりすごい乱暴そうな下半身が馬のボスに遭遇し相当運がないと勝てないのでスルーすればいいのだが私はそれが気持ち悪くて何度も挑むのだがやはり勝てなくて投げた。そういえば私は頭脳プレーが苦手でボスと遭遇しても例えばマヌーサで的の攻撃の命中率を下げるとかそういうことはせずに力でがしがし押すことが多い。呪文自体もいざというときのために出し惜しんで結局ほとんど使わずにゴールすることが多い。ドラクエ5に溶岩魔神というのがいるが私は昔これに何度やっても勝てなくて何度目かに挑んだときも主人公が死んでスラリンだけになったときにもうダメだと思いAIにまかせて投げていたらAIのスラリンがメダパニを唱えて溶岩魔神が混乱し同士討ちを始めて見事に勝った。しかもスラリンはリレミトも使えたから町まで帰ることもできて値千金だった。

有給2

それで有給だが今の会社の私の部署に今の私の上司がやってきて一週間くらい私たちの仕事を観察した後に正確にはとちゅうだがじゃあ飯でも食いに行こうかとなって私の職場はそういうのに参加しない人ばかりなので結局私ともうひとりが行った。その席で私は有給休暇の申請で「私用」と書くのはおかしいと発言しこれはどういうことかというと私の会社では有給休暇はシステムで申請することになっていて申請の際に理由を書く欄があってこれがおかしいですよと言いたかったのだ。そうしたら今の上司と前の上司が
「空欄でも行けるよ」
と言い私は振り上げた拳が虚空に舞うという結果になった。以来有給申請の際理由はブランクにしていたがいつだったかシステムのバージョンアップがありそうしたら理由の欄が必須項目となって再び私用と書くことになってしまい今に至る。


私は今まで早く帰れる仕事ばかり選んでいたせいか有給申請のさいにしつこく理由を訊かれたり断られたことはなかった。今の会社もあまりうるさくないので申請を忘れて後から出したら怒られた。出すと言っても私の今の上司はどこか違うところにいるから私がいようがいまいがあまり関係ないのだ。私もいい加減なので私は私で承認する立場だが後から出す人がいる。後でも先でもいないことには変わりないから頓着しない。そういうもんだと思ったらそうじゃない企業もたくさんあるようだ。私の会社はドラクエで休む人はいないがよくライブに行くから休むという人がいる。ライブはチケットの日にちは変えられないから休む理由としては妥当だと思う。

有給

有給にドラクエがみたいな記事をいくつか目にしてそういえば私の同僚というか部下が「今度の休みはドラクエやります」と言っていたがそれは端から休みだった。有給だったが私が消化率を上げたくてシフトを組むときに一緒に有給も入れてしまうのだ。もちろん変えてもいいし休まなくてもいいというルールだ。そこにドラクエがあたったというだけの話で「俺もドラクエやりてーなー」とは言ったが私が買ったのはガンタンクだった。しかも組み立てるのは私の子供で私はひたすらプラモの四角い枠からニッパーで切り離すだけの役割だ。最初のうちは何の考えもなくぱちぱちやっていてささくれだけカッターで切り落としていたが段々とささくれの下が白っぽくなるのが気にくわなくなってきた。最初のうちは塗装がはげるから白くなるから仕方がないと思ったらどうやらプラモデルというのは型に流し込む段階でもうそのカラーになっているらしくどこを切っても金太郎飴みたいに同じ色で白くなってしまうのは引っ張ったり強い力が加わったりしてなる現象のようだ。

ガンタンク

7月最後の日曜日妻は朝から美容院へ出かけ昼前に起きた子供が「することがない」と騒ぐのでガンタンクを買った。去年か一昨年の正月にガンダムのマスターグレイドのプラモを一緒に組み立ててから私の子供はプラモデルが好きになっていた。それは友人の結婚式の引き出物でもらったものでもちろん列席者全員がガンダムをもらったわけではなく厳密にはカタログギフトをもらいその中にガンダムがあったのである。ガンダムと赤いザクがあって少し悩んだがガンダムにした。私はガンダムが好きだがガンダムのアニメや映画は見たことなく単純なデザインの比較においてガンダムの敵役のモビルスーツは大味な気がする。それでもザクはまだいいがドムとかゲルググとかフォルムが単純でいつもプラモデルを買おうと思っても作り応えがなさそうで躊躇してしまう。しかしこの躊躇が罠でそんな風に考え出すともうどれも子供だましのような気がして買う気がなくなってしまう。ガンダムは逆に新型になるほど小林幸子の紅白の衣装みたいに景気が良くなって節操がなくなって嫌だ。ストーリーを知っていればひとつひとつの角や穴に意味があるから見え方も違うのだろうが。


私としては初代ガンダムが基本であれよりも単純でも複雑でも気に食わなくなってしまう。ガンダムは上半身と下半身とそのつなぎのぶぶんが離れる作りになっていてそれぞれを輸送する飛行機や戦車があって私はそういうギミックがすごく好きだ。BB戦士というかなりちっこいサイズのプラモデルがあったがそれが律儀に上半身と下半身が分かれたモデルもあってそれは本当に気に入っていた。私はちまちましたものが好きだった。


私はガンダムトランスフォーマーが好きな子供だったが大人になった今でもそれらが残っていることに驚いている。ドラクエくにおくんもまだある。小学生のときに私は友達と「ドラクエ10が出るってよ」みたいな冗談を言い合いそれはあくまでも冗談だった。私はクラスの知識派だったので「ドラクエというブランドは残るかもしれないが馬鹿みたいにタイトルの後に連番を振るのは6か7で終わりだ」みたいな論を展開した。根拠はなかったがそれっぽく言えば反論する人はいなかった。その頃は4が出て少したった頃で5が出るとかでないとか言っている時期だった。