意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

納豆が扇風機の風にあおられたとき

朝から妻子が義母を伴って出かけるという。千葉方面である。私はずっと前に千葉は2回くらい泊まったことがあり一度は廊下が吹きっさらしのアパートみたいなホテルだった。ホテルというのは幅がありすぎて行くまではどんなところなのかわからないが一方民宿というのはどこへ行ってもだいたい同じだ。ペンションはわからないがいつも殺人事件などが起きるイメージだ。「さまよう刃」だっけ? あれは復讐の話でTwitterで誰かが絶賛していてそれは「目には目を歯には歯を」だからだと言っていて現行の法律もそうなってほしいと言っていてしかしやはり私はそうは思わなかった。それはやはり理想論だと思う。もっとコストの低いやり方人の生き死ににコストだなんてと思われそうだが死のバリエーションが殺人に限ったって多すぎるのである。


というわけで朝から家の中はばたばたしていて私に気を遣うのかでかけるのは私と同時が私よりもあとにしたいらしくおかげで歯磨きのタイミングが重なって鬱陶しい。弁当をつくるといに使った皿が片っ端から洗われていく。私はそのとき朝食の納豆をかきまぜていて傍らでは扇風機が「強」で勢いよく回っていて納豆の内側のフィルムが風にとばされそうなので慌てて押さえた。このままでは満足にかき混ぜられないし食べられないので私はフィルムの納豆に触れていたぶぶんは納豆のねばねばが移っていることを利用し蓋の裏側にぺたっと貼り付けた。以降端が風に煽られべらべら音を立てるが全体が飛ばされることはなくなった。たれや辛子の袋もフィルムのベタベタにくっつけて万事うまくいった。これはライフハックではないかと思った。

夜がそこまで

昨夜お風呂をあがってからビールを飲みながらユーチューブを楽しんだ。最初は涼宮ハルヒのゴッドブレスを聴きながら(私は涼宮ハルヒのストーリーはまったく知らないがゴッドブレスは友達がカラオケで歌っていたから知っている。ぴーぶいも流れるカラオケで文化祭でバニーガールに扮した涼宮がギターを抱えて熱唱している。たかが高校生なのにここまで演奏がうまいのかと驚いた。もちろん実際はプロの人が演奏しているのだろうが映像が忠実でギターの人の指がうねうねと動いているから天才かと思った。しかしドラムが物足りなかったからギターの演奏も知っている人からしたらそうでもないのかもしれない。ドラムの人はちょっと肩に力が入りすぎている。もしかしたら彼女のフォームはモーラー奏法なのかもしれない。モーラー奏法は人間の骨格だのに基づいたドラムの奏法なのである。例えば黒人ドラマーが猫背なのは骨盤が横向きだか縦向きだからである。一方我々日本人はそうじゃないから黒人のフォームを真似しても黒人のようには演奏できないのだそうだ。この話を書きながら私が昔2ちゃんで見たビートルズゲットバックのドラムの「タッタカタッタカ」は右手始まりが左手始まりかみたいなスレッドがあってコピーするならどっちの手がよりリンゴに近づくのかという議論でそこでリンゴは左利きで左手始まりだから右利きがコピーするなら右手始まりとなるみたいなややこしい話があっていやそうじゃないとかあってお互いが考えを延べ合うのはいいが批判するときにいちいち「お前には才能がない」とか「今すぐドラムやめろ」と極端になるのがおかしかった。私が2ちゃんを知ったのは2004年頃でとにかく怖い場所だと聞いていてそうしたら当時私はドラムのレッスンを受けていたが隣ではギターレッスンがあってそこの先生が結構2ちゃんに書き込むらしくそれもギター奏法のスレッドとかで「おまえはなんにもわかってない」みたいなことを書くと言っていてリアルだと思った。

若い人にやさしくできるか

昨日自分が年をとってきたが自分よりも後輩の人にやさしくして嫌な人と思われずにやっていけるかという記事を読んでそれはかなり難しいのではないかとかんじた。せいぜい先輩からされて嫌に思ったことをやらないくらいだがそれすらも難しいときがある。若い人はどうしてこんなにもダメなんだと思うことがある。私がこのブログを始めたときは当時職場にいた若い人のことを書いていてもうどんなこと書いたか忘れたが多分使えないやつだとかそんなことを書いていた。彼は結局辞めてしまったがそれからしばらくして別の若い人が来たらその辞めた彼は実はそんなに悪くなかったんじゃないかという話がちょこちょこ出た。さすがに私はそこまで図太い人じゃないから思っても口には出すまいと思ったがどこかで言ってしまったかもしれない。なんにせよ自分以外の人というのはたいてい自分よりも仕事ができないしいちばんできない人は今目の前にいる人なのである。


今いる若い人も最初のうちはこれは本当に駄目なんじゃないかと思ったしそもそも別の拠点からいらないからと追い出された人だったから私ひとりがダメと思ったわけではないから私はそういう心細さはなかった。しかしとにかくやらなければならないから本人にはちゃんと教えるから大丈夫とか困ったことはないかとか励ましたりしてちょうどその頃読んだ本に「今の若い人は挨拶もできないというがそれは習ってこなかったからできないだけだ」というのがあったから挨拶の仕方を教えてでもダメかもしれないという気持ちはぬぐえなかった。


しかしそれと同時期にやはり同じ拠点から同じように追い出された人が隣の部署にやってきてこの人は愛想もいいし気の利いたこともいうからこの人がうちなら余程良かったのにと思いつつも仕事中なのにしょっちゅう私のところにきて長い話をして変だなと思ったらその人は仕事をずっとサボっていてやれと言われたことを一切放棄していて結局会社からも追い出されてしまった。そのようなことがあって私は改めて人を見る目がないことを認識しそうするとむしろ自分が見込みないと思う人ほど可能性があるんじゃないかと思って私は励まされた。


そうしてここ2・3ヶ月はなかなか頼もしいことも口にするようになったから少なくともまるっきりダメということはなくなってじゃあこれも任せようみたいな良い循環に入りつつあるが本人は多分私が「ダメかもしれない」という気持ちを抱いたことを見抜いているし糞ったれな大人だと思っただろう。

ドラゴンフルーツはオニギリのようだ

肉を出すファミレスにきた。家から近い場所だが来たのは数年ぶりである。駐車場に馬鹿でかい車が停まっていて
「いかにも肉を食いそうな車だ」
と評したら子供に
「車は肉を食べない」
と指摘された。車が肉を食べないことは私も知っていて私が言いたかったのは肉を食いそうな一家が駆ってそうな車だということだがそうは言わなかったので反論はしなかった。肉をたくさん食べる人はクーペのような車には乗らないだろうと思うがこれは私の偏見だろう。だいいち今は肉よりもご飯や麺が太っている人のイメージなのである。一昨日にひさしぶりに友達と遭って飲んだがそのうちのひとりが以前よりもとても太っていてそういえばこの人は高校の卒業文集の自分のページの好きな食べ物の欄に「麺類」と書いていてそう考えると太る素地はあったのだ。しかし少なくとも20代の頃は痩せていて何か特別なスポーツをしていたというわけでもなく積極的に体を動かしていたわけでもないのに痩せていた。無邪気な人でどうやったら太るのかわからないということも言っていたことを今思い出した。私は20代はとても太っていたからむっとしたがそのときは特に言い返さなかった。私たちは高校からの付き合いだった。それで私は妻とひたすら不味いスープを食べるダイエットをやったら私だけが痩せた。彼はここ数年でとても太ったし白髪も増えた。他の友達も会う度に顔の皺が増えそれを認めて私自身の人生の経過を悟り親しい人というのはある意味鏡のようなものなのだと思った。


太った彼はここ数年で太ったがそれは炭水化物が肥満の元凶という認知と呼応しているようで面白かった。私も炭水化物は好きだ。高校の文集には「ピーナツ味噌」と書いたがもう何年も食べてないし特に食べたいとも思わない。レストランにはドラゴンフルーツがあって食べたらキウイフルートのような味がした。白地に黒い種があってオニギリのようだった。それを言うと子供が笑った。明日は子供の誕生日で誕生日を笑顔で迎えられて良かった。

BB戦士には日常が

最近子供とプラモデルをやっていてしかし子供とやると子供は組み上げることに熱中し枠から切り取るという作業はやらず結局細かい部品のバリをとる作業に追われ実際何が作られているのかわからず可動域のイメージがつかめない。というわけで自分用にもうひとつ買いそれはBB戦士という小ぶりの私が子供の頃に熱中したシリーズだ。20年以上経ってもまだ新発売がされていて驚いた。私が初めて買ったBB戦士は武者ガンダムで当時小児喘息をわずらって熊谷の病院に定期的に通っていてその帰りにスーパーの玩具屋で買ってもらったのが最初だ。母にねだって買ってもらったのを今でもおぼえていている。


武者ガンダムというのは文字通り武者でカブトをかぶっている。そのカブトと鎧を取ることができて台座に飾ることができるのが良かった。カブトをとると丸坊主の頼りないガンダムが現れてしかし非戦闘形態があるということは彼には日常があるということでなおさら愛着がわいた。プラモデラーという人は作り上げたら飾っておくのが本来なのかもしれずそうするとカブトが取れるとかいうのは余計なのかもしれないが私からするといつもかぶっていたら疲れるだろうし夜寝たり食事をするのに刀を下げているのは不自然である。つまり私にとってガンダムは着せかえ人形と同じであった。いくつか揃えるとままごとみたいなことをして遊んだ。しかし所詮はプラスチックであり力の入れ方を間違えると簡単に折れてしまう。食事の用意ができたと呼ばれて戻ってくるときに油断すると踏んづけて壊してしまう。妹や弟と喧嘩をすれば壁に投げつけられて粉々になってしまう。半泣きになりながら必死に接着剤で復活を試みるがくっつくのは自分の指ばかりであった。細長い刀などは一度折れると絶望的で仕方がないので楊枝などを装備させた。何体かの足や腕が折れると無事なぶぶんを組み合わせて一体が完成するが不格好なそれは愛着をもってもらえなくなり適役や危険な任務(弟に持たせるなど)にあたるようになり早晩ゴミとなる運命にあった。

自分に引いた/怖い店員

何日か前に寝ていたら夏休み中は子供も寝るのが遅いので私がいちばん早く床につくのだが1時か2時くらいに子供と妻がやってきてそのとき妻が携帯のモバイルバッテリーの充電ケーブルがなくて
「コードがない」
と言うとそのときコードがなかったのは私がベッドの横で寝る前に音楽を聴いていてモバイルスピーカーにそのコードをつないでいたためだ。


私は夢などを見ていない熟睡の状態であったが妻の「コードがない」という声が聞こえすぐさま意味も理解しまた何故ないのかも把握し即座に起き上がりモバイルスピーカーにつないでいたピンク色のコードを外して妻に渡して再び眠りに落ちた。私はそのときのことを翌朝以降もおぼえていて決して寝ぼけていたわけでなかった。そして自分に引いた。私は妻の話だとちょっとした物音や話し声ですぐ目を覚ますらしく妻としては油断がならないらしい。私としてはたしかに夜中に目を覚ますことはあるがしょっちゅうではなくしかもそのときはたいてい妻子はぐっすり寝ていたりまたはいなかったりするからそのときは物音や話し声で起きたわけではない。私はひょっとしたら暗殺者とかスパイの生まれ変わりで眠っているあいだも常に意識のどこかはオンにしておく訓練でも受けたのかと思ったりしたがそういえば私の父もしょっちゅう目を覚ます人でそのたびに「うるさい」とか注意された。父は寝室の八畳間のいちばん端で寝ていたがいつも我々に背中を向けて寝ていてその表情は伺い知ることができなかった。大人になって私も妻や子供に寝ている顔を見られたくないと思い背中を向けたりしたがすぐに疲れてずっと同じ姿勢ではいられない。もちろん父も夜中になれば寝返りはうつが私が起きている間はずっと壁や柱のほうを向いている。床の間があって端に小さな収納があり小さな襖が閉められているがそこに書かれている水墨画のどこかの田舎の風景。


父は横になるとすぐに寝れるタイプらしく調子が悪いと「最近は30秒で寝れなくて困っている」みたいな弱音をはくがそういえば私も寝付くのは早い。そしていつもだいたい8時間くらい寝ている。学生の頃は4時間半まで削ったことがあるがそういうことをすると寝てはいけないときに眠くなるから効率的なようでちっともそんなことはなかった。


2

コンビニに行ったらやたらと客の老婆に怖い口をきくパートの日焼けしたおばさんの店員がいて私はそのときすぐ後ろに並んでいたので私は老婆に悪いことをしたような気になるとともに私が支払いに戸惑ったらどやされそうで緊張した。そうしたら老婆は店員の母親らしくすると老婆が連れていた子供は店員の息子らしかった。あまり微笑ましいとは思わなかった。

先入観はないにこしたことがないが

若い人の記事で私はこういう人間だからこういう目標設定ですよみたいなのがあって一方の私は自分はどういう人間かままならないから設定ができないことに気づいた。私は運が良かった。その理由は私は初対面の人と話をするのが苦手だったのでなるべくそういう仕事を選んで就職したら入って何日もしないうちに
「はいこのリストに電話かけて」
段ボール箱を渡され(リストは段ボールにあった)しかもそれは催促の電話だったからずっと嫌だなあと思いながらやっていた。数年そういうことを続けて嫌だなあというのは相変わらずだが電話で直接話すと誤解などがすぐ明らかになるし挨拶文みたいなのもすっ飛ばせるから手紙やFAXよりか楽だなと思うくらいにはなった。メールはまだ年に数本打つ程度だった。しかしそのうち転職しようと思って今度こそあまり人と話さずに済む一日中机に向かえる仕事にしようとそういう仕事を選んだら結局3カ月しか続かなかった。嫌いとか以前に体がついていかなかった。体がというのは嘘で私は体はぴんぴんして食欲もあるし夜もぐっすり寝たが足は確実に向かなくなった。会社の最寄りの駅にいつも尺八を吹いている青年がいて彼の孤独を思うのが私のわずかな癒やしだった。青年はあるとき友達らしい人としゃべっていて裏切られたような気持ちになった。腕の隅々に彫られた刺青が急にわざとらしく見えた。ある朝もう出社しない旨を会社に伝えその足で職安に行き帰りに天下一品でラーメンを食べた。広いテーブルの席でまだお昼前だったので店内はガラガラだった。そこではふはふ言いながら食べ私は比較的すっきりした気持ちだった。本当の鬱などになる前にこうして職安にいける元気のあるうちにやめられてラッキーだった。


しかし辛い日々を送っているときに見た「今の状況は実はぜんぶ夢でした」という夢は起きたときほんとうにつらかった。