意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

妻の嫌われエピソード

妻は嫌われエピソードが豊富である。今日も昔にライブに行った帰り道に同行者を邪険に扱ったら完全に無視されたという話をしていてこれは初耳だった。この手の話をよく聞くので学生時代は年の半分は周りに無視されてきたんじゃないかと思ってしまう。友達がずっこけたのをいつまでも笑っていたら無視されたとか。


私の妻が浅はかであることは私も常々思う。久しぶりに会った人でも平気で「太った?」とか言ってしまう。これが配慮を欠いた発言かどうかは意見が分かれるだろうが私はイヤである。イヤだしそんな欠点を指摘するみたいな切り口でコミュニケーションをスタートするのも気分が良くない。しかし他人の不幸や欠点が盛り上がると思っている人は一定数いる。確かに盛り上がっているのだろうがいじられた方はテンシャンが下がっているからこれは要するに穴を掘って山を盛るようなもので均したら平地でただもそもそとお喋りしているのと同じである。

管理職とはなにか

私は昨日の記事を書きながら(これは管理職について書いているな)と思った。最近インターネットをにぎわしているのは産休をとった女の人の穴を埋めるのは管理職の役割ですみたいな記事で確かに管理職は一般社員よりも裁量があるのだからその人がリソースを多めにとるというのは理にかなっている。現に私の職場の裁量のある人はいつでも切れる派遣をずいぶん長く引っ張っている。やはり上からは人件費がどうのと言われるが仮にひとり減らしたからといって浮いた人件費がそのままボーナスになるなんてありえないのだからやはり常に自分のところはいっぱいいっぱいな風をうまく演出して人数を確保するのが良策ではないか。しかし上からの圧力が相当なものだったりあるいは管理する人が評価に目がくらんでかつかつのところまで人を減らすと不幸である。


そう考えると何もかも管理職の仕事だからといって何も見ないでいると自分の首を絞めてしまうことになりかねない。一般の人も管理職をコントロールすることもある程度必要だろう。場合によっては手抜きで仕事を行って実際よりもコストのかかる仕事とカモフラージュするのもいいかもしれない。しかしあまりやりすぎるとただの使えない人になっていちばん最初に追い出されてしまうかもしれない。しかし追い出すことも管理職の評価を下げるから上昇志向の高い人にほど手抜きは効果的なのである。何が言いたいのかというと管理をするのは何も管理職だけでなく誰でも自分を管理しなければならず最初にリソースと言ったが自分のリソースも余分にとらないと自分に穴があいてしまう。あるいは穴があいたときに塞がれなくなってしまう。

教師について

学生時代は教師についてよく考えていたように思う。いちばん身近にいる他人の大人だからそこからまだ見ぬ社会だとか世の中というものを推し量っていたのかもしれない。努力とか希望とかそんなものが胡散臭くかんじるようになったのはいつからだろうか。中3のときいじめられたのかいじめたのかあるいはもっと別の問題があったのか別のクラスの女子が突然となりの中学に転校することになった。話もしたことがない女子だったがふと気になって担任に
「どうして転校したのか?」
とストレートに訊ねるとこの音楽担当の女教師は
「言えるわけないでしょ」
と一喝した。一喝というかそこまで怒ったかんじはなく(察しなさいよ)というたしなめるかんじだった。私のほうもわかっていてあえて頭の悪い風を装って訊いたから教師も乱暴な風ではあったがお互い様だった。私は「そんなことに首を突っ込むな」と怒るのは論外として「色々あるのよ....」と含みを持たせた言い方をされるより「言えない」とストレートに答える担任の反応に好意を持った。私はそんな風に大人の手触りを確かめるのが好きな子供であった。


教師は一般企業に就職したことがないから変わっているみたいな文章をたまに目にするが私は実際に自分も企業で働くようになってそうは思わなくなった。知り合いの教師が「教師は噂が好きですぐ伝わる」みたいなことを話していたが会社員も好きな人は好きだ。この前櫻井くんが校長になるドラマを見ていて現場の教師が「自分は教育者だから経営のことを考える義務はない」みたいなことを意地悪く言って櫻井くんを悩ませるが末端の会社員も経営のことなんて考えない。経営のみならず「こうすればもっと効率が上がる」「もっと楽になる」ということも考えない。考えついてもやらない。言われたことのみをしたり同じことを繰り返すほうがやり方を変えるよりずっと楽だからである。どこで働いていてもいちばん葛藤するのは「余計な行動を起こせば仕事が増える」ということである。上昇志向があるとかなら悩まないのだろうが。


大阪の高校で地毛が茶髪の生徒が黒に染めることを学校に強要されて裁判を起こしたという事件がありそれに対して私はどこの世界の話だというくらい学校の対応はおかしいと思ったが現役の教師のほうはそうは思わないらしく「他の生徒に示しがつかない」みたいな詭弁を述べる書き込みを目にした。そうするとやはり教師というのも人間であり一般企業で働く我々と同じでありそれぞれの倫理観や能力資質にかかっているんだなと思った。確かに地毛が茶色だといっても「あいつが茶だから染髪OKなんだ」と曲解する生徒および保護者はいるだろう。だからと言っても少なくとも一度は「茶の生徒がいても染髪OKではない」と注意すべきである。それでも染髪する生徒が後を立たない学校の風紀が著しく乱れたとなったらそこで初めて黒く染めることをお願いするなり転校してもらうなりすればいいのではないか。あくまで頭を下げてお願いするのである。


「示しがつかない」というのは余計な仕事をふやさないための方便である。生徒の中には聞き分けの良い子も入ればモンスターペアレントを擁するリスキーな子もいる。集団の中には様々な性格やバックグラウンドの人間がいると考えるのが妥当だ。しかし自分が管理する立場になると「全員が危険」と考える方が楽なのである。楽であればそれだけ自分の資本投下に対する報酬が上がるからこの教師は極めて経済的な人間である。同じ人の書き込みで「茶が増えると生徒の管理ができていない教師と評価される」とあったがこれも仕事を増やさないための「仮想マネージャーによる仮想評価」を本人が頑なに信じているだけの気がしてならない。


私は冷静な人間なので「全員が思考能力の欠如したあるいは放棄した教師」とは思わない。一方で教師も我々と一緒と考えると色々理解できるぶぶんがあり管理者はちゃんとした人もいれば駄目な人もいると認識してきちんと対処してもらいたい。


先日私の娘が同じ通学路の六年生がイジメを受けていることを担任に報告するかどうか悩んでいたので「言った方がいいと思う」と私はアドバイスしたがこれが裏目にでてしまう可能性もじゅうぶんある。

今月の週末

ある一週を除いてみんな雨らしい。その晴れた一週を私は三連休をとっていたらしい。さっき言われた。ずいぶん細かいことまでおぼえている人もいたものである。私は昨日は休んだけれどその前の休みがいつだったかも即座には思い出せない。もっとも今日は頭の回転がのろくて人の名前も部品の名前もなかなか思い出せなくて難儀した。朝も以前のように起きれない。起きると甥が泣いていてそれは母親が叱るからだが私もかつては子を叱ったけれどだんだんと叱らなくなった。それは私の子が大きくなりましたというのもあるけれど私が怒ると妻にいつも「怒りすぎだ」と注意されるから途中からいつもニコニコしていたら上の子に
「叱られているときにいつも後ろでニヤニヤしていてムカつく」
と言われた。確かに冷静にいられれば誰かが叱られている場面はなかなか笑える。今朝も正直「そんなことで」と思ったけどつもりつもったものがあるのだろう。甥はあまり食べ物を食べない子だ。甥は2人いて若い方はよく食べる。口に近づけたものはなんでも口に含もうとし掃除機のようである。弟の方がずっと聞き分けが良いので将来グレる兄のことを想像した。私からしたって正直弟の方がかわいいし所詮他人なので真剣にバランスをとろうとは思えない。それ以前に自分の子ほど関心を持てない。例えば自分の子なら私の感情を逆撫でしないようなもっと当たり障りなく言うと私のギャグにきちんと反応するように仕込んだりするが他人の子は自分ちに帰ればリセットされるからもういいやと思う。その点私の母方の叔父は私にけっこう関心を持ってくれ私の人格形成に影響をあたえたひとりだと思う。会話をすると必ずその話題に出たものの起源とかを話さないと気が済まない人で叔父の実子はそういうのを遠慮なくうざがっていたが私はやはり叔父は実の父親ではないから辛抱強く聞いていた。そうしたら最近では私の妻や子供にも同じ調子で話しているから単に話し好きな人なんだと気づいた。

知ってる歌

甥が台所でテレビを見ている。私は今日は仕事を休んでいてそれは夕暮れのことであった。その少し前に妻から電話があって妹が泊まりにくると伝えた。いるのは2歳の甥だけだった。私は帰った。甥の母親はしまむらに行ったという。義母もついて行ったのかもしれない。不思議に思ったが特に騒いでいないのでそのままリビングに行ってぼんやりした。昼間は衣替えを実行し私の場合夏服と冬服が冬服の方がボリュームあるので夏はいくらか冬服をタンスに残してクローゼットにしまうのだがたしかにタンスに入っていた分をしまったはずなのに今日夏服を全部だして入れたら入り切らなくて夏の間に冬服が増殖したのかしらなんて思った。確かにこの前いきなり冷えたから慌ててフリースを羽織ったら妻に
「私のだ」
と言われて最初は違うと思ったら似たようなのが後から出てきて結局妻のだったから色んなものをクローゼットに詰めてしまったようだ。


やがて義父がトイレから出てきて甥はそのままひとりでEテレを見ていたが私は隣の部屋にいたから音だけ聞こえてきてEテレはよく洋楽をアレンジして子供向けにして流したりするがそれが中途半端に知っているメロディーで思い出せなくてイライラした。若いころは音楽を節操なく聞いてしまったため知っているメロディーが増えそのため街中でも「知っているのに思い出せない」ということが多くて正直音楽を聞くときに恐怖をおぼえることがある。居酒屋だとよくジャズがかかっていてジャズだと同じ曲を違う人が演奏していて「あー知ってるな」というのがある。なんだっけと思っていると「キャラバン」のことが多い。あと雑貨屋などはボサノバが多いが私はボサノバはあまり聞かなかったので思い出す作業に追われることがないから気楽だった。


逆にメロディーだけがいつまでも頭の中に残っていてそれを友達とかに「この歌なんだっけ?」と歌ってみせても「聞いたことがない」と言われる曲が2曲ある。

暑かった

午後から会議だったが会議室の日当たりが良いためすさまじく暑かった。直前にヒートテックを脱いでおいて良かった。それでも中のTシャツの腕のすそまで汗で濡れた。夏よりかいたかもしれない。一日のうち一番くらいのは夕暮れだと常々思っているが同じようにいちばん暑いのは晩秋かもしれない。大人になってからの夏特に昼間はだいたい涼しくここ十年で汗を出す皮膚の穴は子供時代よりずいぶん減った気がする。子供時代はもっと全身でかいていた。

会議室に私がいちばんのりしたが灯りをつけスイッチのとなりにエアコンのスイッチがあるから入れようと思ったが表示が「暖房」になっていたから手を引っ込めた。昔叔父が若いころに欧州に旅行したときの話をしたときに
「向こうの人は暑いときは半袖寒いときは長袖になるから驚いた」
と言っていたことを思い出した。私もすっかり日本人になってしまったということだ。

ミリ谷きれい

夢に桐谷美玲がでてきた。私は桐谷美玲の子供を育てている。桐谷美玲はそばにはいない。芸能活動に忙しいのである。あるいは私たちは桐谷美玲に捨てられたのである。それでも私は“あの“桐谷美玲の子供を育てているのだから満足だった。子供の父親は私である。つまり私と桐谷はどこかで性行為におよんだわけであるがその記憶はなかった。私と桐谷は旅先で知り合った。桐谷美玲は足が細すぎて私は細い女はあまり好きではないけれど桐谷美玲はかわいいから満足であった。


同じ夢の地続きで斜面でKinKi Kidsに会った。土手だろうか。土手でキンキはしりとりに興じていた。例のけだるい感じでふたりは
「じゃあ......“カモメ“」
みたいな比較的単純な言葉のやり取りをしていた。その前後に私は芝生の上を歩いた。芝生は柔らかくどうりでサッカー選手はしょっちゅうすっころんだりしてるんだと納得した。そこはサッカー場で私は裸足で歩いていたのであった。


比較的満足度の高い朝だったが私は昨晩熱いスープを飲んで口腔内を火傷した。先週ラーメンを食べて火傷したばかりで私の口の中の皮膚は忙しく新陳代謝を繰り返している。たくさんの氷を舐めて冷やしたので風呂に入ると皮がべろんと取れた。氷を口にふくんでしゃべるとうまく発音できなかった。子供が日曜の翌々日が祝日なら月曜も休みにすれば合理的だみたいな話しをして私は祝日と祝日にはさまれた平日は休みになるという法律があるよと言おうとしたが氷が口の中に入っていたから通じなかった。オセロみたいな法律である。