意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

iPhoneは不便

私の妻はiPhoneを使っているが使って3年になるがバッテリーの調子がここにきて悪くなってきている。3年使えたのだから「だから不便」というつもりはないが問題はいざ機種変しようとなったときに大量の写真や動画をどうバックアップとるかがいつもネックとなってそれが大変不便だ。3年前も同じ問題が持ち上がって今時のやり方ならクラウドに上げるのがスマートなのだろうがまず月額何円とかかるところでつまずく。自分でコピーする労力を考えればお金を払ってもいいと思うがじゃあどこにするかとがiPhoneからどう設定するかを調べるのが面倒で結局よしてしまう。私はアンドロイドなのだ。私はいまだに同期とかの仕組みがよくわかっていなくて例えば端末の写真を消したらクラウド上のも当然のように消えて「なんで?」とか思う。何年か前に妻の写真の一部をPCと同期させたら今度は消えなくなって妻が言うには「消しても消しても復活する」とのことで「なんで?」と思う。勝手に消えちゃうより消せないほうがまだマシだと思うが妻は気にくわないものはすぐにでも消去したい性質なのである。あとさっき話したらバックアップした写真も常に消せるような環境にしてほしいと言われ自分が死んだ後に見られちゃ困る写真もあるとのことでそこまで言うなら自分でやれよとも思ったが私は「へえ」と適当な返事をするにとどめた。


私としては要る写真のみ写真屋さんでプリントするのがいいと思い提案した。やり方としてはいちばんアナログだが私たちだってアナログなんだからそれがいちばん確実である。アナログのものは「消える」ということはない。捨てるにしてもゴミは出る。何にしても触れるものは私たちの記憶における作用もちがってくるはずである。私の提案に妻は「じゃあCDにしてもらう」というがCDだって消える。


CDにするというのならやはりアンドロイドのほうが便利だと思わざるを得ない。SDカードのスロットがあればそのまま移せばいいだけの話である。ちなみに私の家にはNASのハードディスクがあるからそれに移すことを「バックアップ」と呼んでいるがそれもアンドロイドなら簡単にできる(よく失敗するが)iPhoneでもファイル操作のアプリはあるがアップロードはできてもダウンロードができない。できるかもきれない。

志田未来ちゃん

この前のキスマイの玉森くんのドラマに志田未来ちゃんが出ていて私はそのときまで「しだみくちゃん」だと思ったら「しだみらいちゃん」というのが本当だという。そのときとは妹に指摘されるときということだ。恥ずかしかった。中学のときに陣内孝則を「じんのうち」と読んでしまったくらい恥ずかしい。あのときは「じんのうち」という歌手がいたから仕方がないのだ。「みくちゃん」は誰だろう。昔読んだ雑誌の「りぼん」にそんな名前の主人公がいた気がする。「ハンサムな彼女」だったろうか。私は断然「星の瞳のシルエット」派だったので「ハンサムな彼女」の話はよく知らない。「こいつら100%伝説」は楽しく読んだ。池野恋は私が読んでいたころは割と真面目なストーリーでつまらなかったが単行本の最初のほうは割とおちゃらけていて楽しかった。しょっちゅう魔法で犬に変えられる女がいてとちゅうから犬のほうがしっくりくるようになったのかとうとう犬のまま出ずっぱりになった。私はこんな風に少女マンガのほうを熱心に読んだからこの前「ろくでなしブルース」の話題を振られて困惑してしまった。前田タイソンはかろうじてわかるがそれ以外はダメだ。湘南純愛組は高校のとき借りて一気読みしたからある程度はわかる。鎌倉の狂犬とか。戦っているときは退屈だったが合間の単発の話は楽しかった。鬼塚にようやく彼女ができたと思ったらそれが昔海で溺れ死んだ女の幽霊で最後海から腐った女の死体を笑顔で引き上げるシーンは涙を流して笑った。ところで「ろくでなしブルース」の女のキャラクターはどうしてしょっちゅう照れているような顔をしているのだろうか。


・みんな「ドラえもん」がいたらなあと言うが正確にはドラえもんの道具があったらなあではないかとふと思った。ドラえもんは単なるお節介ロボである。

ネット脳

実家へ行き妹とSMAPについて話したらだいぶ見解がちがっていた。私は辞めた3人の肩を持っていて妹は3人は飯島にそそのかされたのだと言った。諸悪の根元は工藤静香であると言うと
「それを信じるの?」
と言われた。私は主にネットで情報を仕入れていて妹は週刊誌だった。美容院で何冊も一気読みしたらしい。そういう意味では他愛のない会話だった。私は自分がすっかりネット脳になってしまったことを痛感した。ネット脳という言葉があるか知らないが私が子供のころは確か「マンガ脳」という言葉があった。どういう意味かは想像通りである。この先ネットを読み続けるなら週刊誌や新聞も同じくらい熱心に読まないとどんどん思考が偏ってしまう。村上春樹がオジサンオバサンにならないために注意することのひとつに「ラジオで仕入れた知識をひけらかさない」というのがあったが私はついネットで読んだことを人に話してしまうから注意しなければならない。


かと言って私が他人に話したいことはなくSMAPもジャニーズ好きだから出した話題だった。私が本当に話したいことは昨日の商工祭の帰り道の歩行者天国で酔っ払いがごぼうをマイクに見立ててマイケルジャクソンみたいな動きで歌を歌っていたことでその酔っ払いが保坂和志みたいだったということだ。私の周りで保坂和志を知っている人はひとりもいないからこの話は一生誰にもしないのでここに書く以外ないのである。

駅の雰囲気

私の住む自治体は10年くらい前に田んぼの真ん中にショッピングモールができて以来駅などはさびれていく一方だ。今日久しぶりに駅に来てそうかんじた。久しぶりと言っても半年は経っていないと思うがいつもは電車に乗ってどこかへ向かうからあまりそんなことを考えない。今日は市役所でやる商工祭に行くために駅の東口に駐車場を探したが埋まっていて西口に行ったら運良くあいていたのでそこに停めた。そして東口のほうへ行くために駅の改札前を通ったのだ。駅の本屋はすでにつぶれていてシャッターが下ろされたままだ。券売機も昔の半分になった気がするが妻に訊いたら昔からこの数だというから気のせいかもしれない。駅前のイトーヨーカドーもプライスになったりしたが結局更地だ。隣にあったしまむらは震災のあとすでに更地になっている。更地になったあとは駐車場になることが多い。私が若いころはこんなに駐車場はなかった。スーパーマーケットの駐車場は管理がガバガバで別目的でそこに停めても何を咎められることもなかった。夜も開けっ放しになっていた。それがいつからか警備員が詰めるようになって戻ってくるときに何を買ったか報告しなければならなくなった。仕方がないから靴下などを買ってそれを見せた。夜も入り口に鎖がかけられるようになった。窮屈になったと思った。


駐輪場はもっとひどくて市営のは無料だが誰も乗らないものが打ち捨てられたり逆に盗まれることが多かった。たまに放置自転車を片付けることがあったが私のものが持って行かれてしまうことがあった。そういえば2度か3度そこでなくした気がする。朝停めたはずの自転車が見つからなくて私はどんな気持ちになったのか。あまり気にせず歩いて帰ったのかもしれない。そういえば昔は家に何台も自転車があったから一台二台なくなってもあまり気にしなかったのだ。そのうち国道の陸橋の下に放置自転車を一時的に保管する場所があってそこからハガキが届いて取りに行った。行きは父に送ってもらってそこから自転車に乗って帰った。20分くらいで家に帰れた。そのころは自転車がいちばん便利な乗り物だと思っていた。


商工祭は市役所の駐車場でやっていて駐車場の端には小さな遊具のコーナーがあってそこの半分埋まったタイヤに腰かけて休んでいたら鉄棒で女の子が3人空中逆上がりをびゅんびゅん決めていて私はそれに見とれた。脚が細くて長い女の子たちでそのそばにずんぐりした女の子が突っ立っていた。ずんぐりした女の子は妹もずんぐりしていて私は
(これじゃただの逆上がりも難しいな)
と思っていたらそのうち父親がやってきて父親はストライプのワイシャツを肘までまくった伊達男でどこかで見たことのある男だった。私の見間違いでなければ私より3歳くらい上で昔何度か遊んだことがありそのうち一度は私が酔い潰されさらに一度は駐車場で切り返しをしたら
「一発で入れろや」
と文句を言われて私はむっとした。その数度以来まったく会わなくなったが彼も結婚したと風の噂で聞いた。私の前をすぎた人はだいぶ白髪も増えていた。

伊予ちゃん

伊代が飛んで「旅館なんかより、テントがよい!」 - 回文春秋

確かに伊予ちゃんは少し前に線路に侵入して写真を撮ったりしていたから下手な旅館に泊まるくらいなら厚めの布をピラミッドみたいにしてその中で寝る方がいいと言いそうだ。早見優だっけ? そんなことをコメントして少し経ってからそういえば伊予ちゃんの夫は最近テレビによく出るようになって若手芸人の住まいの内装を勝手にいじって知らずに帰宅した当人が苦笑いするという番組をやっているがそういう内装好きの夫に配慮して「(夫が内装をやっていない)旅館に泊まるくらいならテントにするわ」という意志の表明かもしれない。あるいは番組との契約なのかもしれない。そうすると見事に辻褄が合う。


その内装の番組だがこの前見たら若手の女の漫才コンビでひとりが妹はやたら美人だが姉は不細工という人でもうひとりはそこそこの金髪のねーちゃんというかんじで内装をいじったのは金髪の方だ。金髪が工事の終わった部屋に戻ってきて「まあ!」みたいな反応をする後ろから不細工な姉の方もついてきてするとそれを一緒に見ていた私の子供たちが突然
「どうして金髪の家をリフォームする番組なのに不細工な女がついてくるんだ!」
と怒り出した。私が「コンビだしこの人たちはまだまだ駆け出しなのだからギャラも安いしいいのでは?」
とフォローしても「不細工は関係ない」と全く譲らない。不細工は人を攻撃的にさせるのか。そもそも不細工不細工というが私からするとそこまで不細工とは思わないし美人と呼ばれる妹も化粧をとったらわからない。不細工な姉はまったく化粧っけがない。


同じような話しに私の家族が大好きな「行ってQ」という番組にもみやぞんという人が出てきて大絶賛なのだがこの人も実はコンビでもうひとりがいるのだがたまにコンビで出てくると私の家族は必ず「つまらない」とか「(相方ばかりが売れて)かわいそう」とか言う。

12月くらいには何度になるのだろうか

あちーあちー言いながら仕事をしていた。暑かったのである。冷房を入れようかと思ったが同僚は暑がりだが冷房が苦手だと前話していたからよした。夏は頭にタオルを巻いていた。席は冷房のいちばんそばだが平気だったのだろうか。私の前の職場の私の席はとにかくエアコンの風がいちばんあたる場所で夏でもずっとパーカーを羽織っていた。寒かったのである。それを見たそれほどエアコンの効きが良くない席の人が
「ボクもパーカー着ようっと」
と言ったので社長がお前は何言ってんだとキレた。若い社長だった。私よりも若い。あまり家に帰らなかったが家は会社の向かいのマンションだったから帰らなくても同じだった。会社の設立祝いにもらった花を処分したいと言われ役所に電話して廃棄業者を紹介してもらって電話をして来てもらったことがある。私はそういうのがよくわからなくて最初建物の裏にあるファミマに行ってゴミ袋を買った際に店員にさりげなく訊いたら役所に電話するといいと教えてくれた。大変親切な店員だった。パートである。それで花を処分することになって花というか観葉植物だがすでに枯れていて贈り主の札を見るとその会社に入る前に私を面接で落とした会社だった。とにかくそれを4階のオフィスから下に運んだ多少は枝などを切ったかもしれない。そうしたら社長が
「布団を処分したい」
と言い出し向かいの自分のマンションに行って羽毛布団を抱えてきた。奇しくも社長の自宅も4階でありベランダ同士に板を渡したら便利だろうと思ったが下ろすのは同じだった。私は(俺が呼んだ業者なんだけどな)と複雑な心境になった。

リアガラス

たまに車で走っているときに前の車が車内で試聴している番組が見えることがある。たいがいはワンボックスカーなどの大きな車であるが今日は軽自動車で助手席のヘッドレストの裏側にタブレットを取り付けて「ちびまる子ちゃん」を見ていた。友蔵が何かを言っているが当然私の耳には届かない。次の瞬間アンパンチがくり出される。よく見るとそれはアンパンマンだった。何を友蔵と見間違えたのか。アンパンマンじゃ小さい子だろうか。


私は幼いころに後部座席に座るとよくリアガラス越しに後ろの車の運転主にジャンケンを仕掛ける遊びをした。言葉を通わせなくともジャンケンは可能である。拳を縦に二回振って「ジャン・ケン」と拍子をとると次の「ぽん」が揃って勝負が成り立つのである。無視する大人はいなかったように思う。何回かやると向こうが手を振ってきてそれが別れの合図であり相手はどこかへ曲がって行ってしまうのである。私が曲がるパターンもあるが曲がるのは運転手なので私からの別れはいつもタイミングを逸した。それから20年30年が経ったある日私が運転手になって車を運転しているときに前の車の子供にジャンケンを仕掛けられ私は感動した。感動したので私は拳を大きく振ったと思う。望むところだというところを表明したかったのである。


こう書くとその前の段落とのつながりで今の子はジャンケンをやらずにユーチューブにばかり興じているみたいな批判めいた内容になりそうだが特にそういうつもりはない。私は子供にはユーチューブでもビデオでもじゃんじゃん見せたほうがいいという考え方である。ユーチューブなんかより自分と遊んでほしいと思ったときだけ遊んであげればいいのである。子供だって教育とかいうののために無理して合わせてもらうよりテレビでも見ていたほうが気楽なはずである。また本を読む親というのもいるが普段は読まない人がそのときだけ読書家ぶっても楽しいわけないし子供だって内心「あ、この人普段は読まないんだな」と見破ってしまう。本を読み聞かせるとどういう効果があるのだろうか。私は胎内の子供にクラシックを聞かせるのと大差ないと思う。


昔の記事にも書いたが子供が本を読んでくれときても私は嫌なので「お互い読みたいものを読もう」と提案したり1ページずつ順番こに読んだりまたは逆に私の読んでいる小説を読み聞かせたりした。この前ふと当の子供にそのことをおぼえているかと訊いたらまったくおぼえておらず
「ひどい親だ」
と言われた。