意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

自称内向型人間の「コミュニケーションが苦手」は信じない

高校のときの倫理の時間に内向型と外向型いうタイプ分けを習って実際に四角に囲まれた質問を矢印に従って答えていったら確か私は「内向感覚型」で特徴を見ると大いにしっくりくる内容だった。私は確かに自分以外の人間よりも自分に対する興味が強くてそれは自分の内面をさぐることで自分以外の人間を分析・定義するというある種の合理性から生まれた性向である。なぜ合理的なのかというと私は四六時中私だからである。しかし私は40歳間近になってもたまに自分が自分であることが奇妙にかんじることもあるから多くの人は自分と他人の境界は曖昧だというふうにとらえているのではないかと思う。境界をしっかり見つめると私というものがその境界からあふれたり逆に他人が入り込んでくることはない。もしかしたら多くの人はそんなことは当たり前というふうにとらえていて逆に私が私であることにここまでこだわるのは何かの拍子に私が私でなくなる可能性を捨て切れていないからかもしれない。


内向外向は興味の向きの話だからコミュニケーションの能力とか繊細さとは必ずしも連動しないはずだがセットで扱われたりすることが多く私もついさっきまで内向的だから人と接するのが苦手みたいにぼんやり思っていたが違った。私は他人に対する興味が薄いくまた自分としては人見知りをするし初対面の人と話すのが苦手だというのが長い間の自分に対する認識だったがそれについて他人に話す機会があったときに話すと
「それは冗談だろう」
とまったく信じてもらえず他人の評価をまとめると良い評価としては私は頭が良く悪い評価としては私は人の話を聞かない。というわけなので私は自分の自己評価はあまりあてにならないと判断し今でも例えば駅で駅員に電車の乗り方を訊ねたりするのが嫌で仕方ないときもあるがそれは勘違いだというふうにとらえることにした。


・私以外の人について
今まで何人か私の知り合いに著しく自己評価が低かったりネガティブな発言が多い人がいてそういう人は総じてコミュニケーション能力が低いとか行動力がないとかアピールするがそういうのを鵜呑みにするとあるとき趣味の同じ人と会話する場に出くわすとびっくりするくらい開けっぴろげに話をしていてその度に私は「だまされた」と思ってきた。彼らもまた自己評価が間違っていたのである。結局そこにあるのはホームかアウェイかの違いだけである。誰だって気心知れた人となら会話は弾むのである。


話をまとめると自己についての他人の評価を鵜呑みにするのは愚かだがそれでも自分による自己評価は願望などが邪魔をして信憑性にかけるので自分がどんな人間かについては他人の言うことのほうがまだあてにできる。それでもマシという程度であるが。

ヤマキさん

会社にヤマキさんというのがいて私は彼を呼ぶ度に心の中で
(......ヤマキコウジ)
と呼びかけていてしかし彼の下の名はコウジではないので長い間なんでだろうと思っていたが今日歌手の玉置コウジと一字違いで語感も似ているからついそう名付けてしまうことを発見した。

初恋とすね毛

今朝見た夢に初恋の人が出てきた。お互いに結婚をして子供もいて向こうにも子供がいるのかはっきりしないが何故か私の家にちょくちょく来ていて私の家とは私の実家でおこわを食べていたら母に
「冬休みのあいだはずっとおこわね」
と言われた。サイダーを飲んだら叔母が出てきて
「やっとサイダーが飲めるようになったね」
とニコニコしながら言われ「やっと」というのは子供が幼いうちは子供のぶんのサイダーしかないから大きくなってゆっくり飲めるようになったという意味だ。初恋の人は私のそばにいて
「私の運命の人は畿内にいる」
とやたらと言ってくる。占い師だか祈祷師に言われたらしい。私は遠まわしに拒絶されているような気がして傷ついた。それがどういうわけか突然初恋の人は自分の足を私の足にからめてきた。私は(これはやれるかもしれん)と思いそう思うと下半身がもぞもそしてきた。勘違いだとまた傷つくので試しにからめてきた足をさすってみることにした。初恋の人はストッキングを履いていた。ああ私たちは大人なんだと思ったところで夢が醒めた。


醒めてから私はこの夢にかなり没頭していたことに気づいた。変な言い方だが夢に夢中になっていた。普段の夢はどこかで夢だと気づいていてとちゅうで変な展開になると(これはまずいからちょっと変えよう)みたいなことをしたりした。つまりどこかで目が覚めているのである。昨日妻がiPhoneを新しいのに機種変して結局iCloudの有料プランに変えて丸ごとバックアップをとろうとしたがまずWi-Fiのパスワードがわからなくて夫を起こそうとしたら珍しく声をかけても起きなかった。普段だと記憶に残らなくても目を開いたりする。よほど熱心に寝ていたらしい。


初恋の人とやれなかったのは残念だが私は実際の性行為より「やれるかも」の実感のほうが好きなので満足だった。私の初恋は小学校のときでその人とは中学にあがってから一度も会っていないので当時から恋をするくらいだから相手に女をかんじていたがそれでも私が大人になってから知り合った女のように女女していなくてさわやかなままだから良かった。


起きてから子供がコタツの中で足で通せんぼをしてきたからその足をくすぐったらうっすらすね毛が生えていて初恋の人も当時こんな足だったのだろうと思い夢の中のストッキングの感触は何らかの意味があったのだろう。

自分が10代のころ聴いていた音楽が本当に曲が良くて好きだったかはあやしい

最近の音楽はクソだみたいな記事を読んでそういう考え方もありかもしれないと思ったが私はそこまで自信家にはなれない。クソだとまで言わせるなにかがあるのかという面もある。私も最近の曲にはついていけないと思うことはあるがそれは主として歌詞のぶぶんでやはり愛とか恋とかなんとかオブラブとか出てこられるとしんどい。歌われる愛とは主に入り口の愛である。別れの場面もやはり入り口というかさわりである。キスをしてセックスをして終わりの世界なのである。結婚をゴールインと言ってしまう世界である。一方私が住むのはその後の長い世界である。


私が十代のころはミスチルがわーっとなっていたころでミスチルのファンでなければ人に非ずみたいな雰囲気がありカラオケボックスがありそこでファンの人たちが「俺この曲ね」「じゃあ俺はこれ」みたいな会話をアハハオホホとやっていて心底気持ち悪いなと思った。チルドレンズワールドってなんだよとか思った。実はそこまで多数がミスチルファンではなくドリカム好きの人やグローブが好きな人やボウイが好きな人などそれぞれいたが結局声の大きい人の御用達の音楽がミスチルだったのである。私は昔からそうだけど年を取るとそういうのを俯瞰するようになっておそらく今でも声の大きい人やとにかく人と違っていたい人や兄や叔父の影響を強く受けた人や嫉妬深い人などそれぞれの音楽があると思われる。大人になってさんざんいい思いをしておいて音楽だけは当時のままというのは虫が良すぎる。クソとかんじるのはたぶん音楽のほうから見限られてしまったのだ。


音楽について考えると必ず何かが付随して純粋な音楽について述べるのは不可能に思える。やはり言葉はないほうがいい。メロディーは言葉よりかは抽象的だ。言葉があると言葉が支配するのはそれだけ具体的で力があるからだろう。オーディオマニアが「音楽が邪魔で音が聞こえない」と言ったという話を聞いたが音楽よりももっと抽象的な世界があるのだろう。せっかく大人になったのだからいつまでも子供相手のばかりにかかずらっても仕方ない。音楽にまで成果や目標みたいなのを持ち込まれてもうんざりするだけだ。

配偶者控除

パートに出ている妻の収入が103万円を超えそうで翻弄されている。105万円だの130万円だの150万円だのこの手の話には本当に壁が多い。多少こえたところで急に税金があがることはないが子供の高校で補助金をもらっているからそれが急に減らされたりということはある。こっちはグラフをみる限り1か0かというかんじで容赦がなさそうだ。妻は何をそんなに熱心に働いているのか。無理するなみたいなことを言うと「職場に迷惑はかけられない」みたいなことを返される。こんなに義理がたい女だったろうか。


昨日のiPhoneの騒動についてなんとかハードディスクに写真と動画のコピーをとり動画の中には1ギガ近いサイズのものもあってそれはまとめてコピーをとろうとするとエラーになったが単独でコピーすると普通にできた。そういうお化けみたいなサイズのファイルがランダムであるので少しずつコピペをしながらなんとか全部できた。子守をするようにノートパソコンにはりついた。近頃パソコンなんててんで開かないからずっとテーブルの上にあったのを脇にどかして棚に立てかけたところだった。パソコンがあったところには私のひげ剃り後に塗るローションなどを置いた。机は豆の形をしている。独身時代に妻からプレゼントしたものだ。机はごちゃごちゃしたものでふさがってしまったからパソコンは畳の上に置いた。


写真のバックアップがうまくいった妻はすっかり有頂天になって早速ヤマダ電機に行って新しいiPhoneにしようとした。店員から今のプランだとか月にどれくらいパケットを使用しているか訊かれたがまったくわからず月1万円のプランを提示されて帰ってきた。25ヶ月後に機種変すればもっと安くなるらしい。携帯代もこんなに高くなったのかとかんじた。店員はハゲた店員だと言った。自分だけじゃ決められないから一緒に来てほしいとラインが入っていたが私は今日もイライラしたりおべっかを言ったりして疲れたから冗談じゃないという気持ちだったがそのまま言うとケンカになるのでやんわり言った。

iPhoneは不便

私の妻はiPhoneを使っているが使って3年になるがバッテリーの調子がここにきて悪くなってきている。3年使えたのだから「だから不便」というつもりはないが問題はいざ機種変しようとなったときに大量の写真や動画をどうバックアップとるかがいつもネックとなってそれが大変不便だ。3年前も同じ問題が持ち上がって今時のやり方ならクラウドに上げるのがスマートなのだろうがまず月額何円とかかるところでつまずく。自分でコピーする労力を考えればお金を払ってもいいと思うがじゃあどこにするかとがiPhoneからどう設定するかを調べるのが面倒で結局よしてしまう。私はアンドロイドなのだ。私はいまだに同期とかの仕組みがよくわかっていなくて例えば端末の写真を消したらクラウド上のも当然のように消えて「なんで?」とか思う。何年か前に妻の写真の一部をPCと同期させたら今度は消えなくなって妻が言うには「消しても消しても復活する」とのことで「なんで?」と思う。勝手に消えちゃうより消せないほうがまだマシだと思うが妻は気にくわないものはすぐにでも消去したい性質なのである。あとさっき話したらバックアップした写真も常に消せるような環境にしてほしいと言われ自分が死んだ後に見られちゃ困る写真もあるとのことでそこまで言うなら自分でやれよとも思ったが私は「へえ」と適当な返事をするにとどめた。


私としては要る写真のみ写真屋さんでプリントするのがいいと思い提案した。やり方としてはいちばんアナログだが私たちだってアナログなんだからそれがいちばん確実である。アナログのものは「消える」ということはない。捨てるにしてもゴミは出る。何にしても触れるものは私たちの記憶における作用もちがってくるはずである。私の提案に妻は「じゃあCDにしてもらう」というがCDだって消える。


CDにするというのならやはりアンドロイドのほうが便利だと思わざるを得ない。SDカードのスロットがあればそのまま移せばいいだけの話である。ちなみに私の家にはNASのハードディスクがあるからそれに移すことを「バックアップ」と呼んでいるがそれもアンドロイドなら簡単にできる(よく失敗するが)iPhoneでもファイル操作のアプリはあるがアップロードはできてもダウンロードができない。できるかもきれない。

志田未来ちゃん

この前のキスマイの玉森くんのドラマに志田未来ちゃんが出ていて私はそのときまで「しだみくちゃん」だと思ったら「しだみらいちゃん」というのが本当だという。そのときとは妹に指摘されるときということだ。恥ずかしかった。中学のときに陣内孝則を「じんのうち」と読んでしまったくらい恥ずかしい。あのときは「じんのうち」という歌手がいたから仕方がないのだ。「みくちゃん」は誰だろう。昔読んだ雑誌の「りぼん」にそんな名前の主人公がいた気がする。「ハンサムな彼女」だったろうか。私は断然「星の瞳のシルエット」派だったので「ハンサムな彼女」の話はよく知らない。「こいつら100%伝説」は楽しく読んだ。池野恋は私が読んでいたころは割と真面目なストーリーでつまらなかったが単行本の最初のほうは割とおちゃらけていて楽しかった。しょっちゅう魔法で犬に変えられる女がいてとちゅうから犬のほうがしっくりくるようになったのかとうとう犬のまま出ずっぱりになった。私はこんな風に少女マンガのほうを熱心に読んだからこの前「ろくでなしブルース」の話題を振られて困惑してしまった。前田タイソンはかろうじてわかるがそれ以外はダメだ。湘南純愛組は高校のとき借りて一気読みしたからある程度はわかる。鎌倉の狂犬とか。戦っているときは退屈だったが合間の単発の話は楽しかった。鬼塚にようやく彼女ができたと思ったらそれが昔海で溺れ死んだ女の幽霊で最後海から腐った女の死体を笑顔で引き上げるシーンは涙を流して笑った。ところで「ろくでなしブルース」の女のキャラクターはどうしてしょっちゅう照れているような顔をしているのだろうか。


・みんな「ドラえもん」がいたらなあと言うが正確にはドラえもんの道具があったらなあではないかとふと思った。ドラえもんは単なるお節介ロボである。