意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

くにおくん

DSのくにおくんのゲームをやっている これは私が小学生のときにやっていたやつのリメイクでくにおくんだと運動会のゲームが有名だがその前の純粋なケンカのゲームである 運動会のほうは確かに楽しいがたぶん大人になるころまでやっていたがこちらは30年近く前にやったのが最後だ その頃私の家にはファミコンがなかったので私は近所のファミコンのある家に遊びに行ってやらせてもらった 今考えると近所の家はみんなファミコンを持っていてなかったのは私の家くらいだった 子供のいない夫婦の家にもあった 私の家は明確にファミコンが禁止だった 家も平屋だったので貧乏だったのだ 祖母の家は金持ちだったので祖母の家にも当然ファミコンがあった ツインファミコンであった 祖母の家は近所ではなかったので長期休みの際に遊びに行くと狂ったように遊んだ 


私の家がファミコンNGなのは「テレビの映りが悪くなるから」とのことだったのでゲームボーイを買うことには文句を言わなかった 理屈を通せば気持ちとしてはどうであれ反対をしないのは私の親の良いぶぶんだった 子供のころは当然だと思ったがそうでない家庭があることを後から知った 例えば私の妻などは子供に「もう知らないからね」とか「勝手にしろ」よく注意を与えるがそれを子供が流すとさらに激怒する つまり知ってるし勝手にさせてくれないのである 子供からすれば勝手にしているだけなのになんで? となってしまう 親が子供をみくびっているのかそれとも語彙の少なさなのかわからないがこれでは子供のほうも大人の相手をまともにしなくなってしまうのではないか

ぶり返した風邪がだいぶよくなった

妻に毛布を一枚増やしてもらったらてきめんでその前の晩は寒くて眠れなかったので昨夜は仕事から帰ったらまず風呂に入り寝る前にもう一度入って体温を高く維持しようと思っていたが二度目の風呂はなかった 以前毛布と掛け布団は上に毛布をかけるのがいちばんあたたかいというのを見て私はそれまで毛布は下だったから驚いてさっそく掛け布団を下にしたら白いきれが全然冷たくてとても寝れるもんではなかった しかし昨夜は毛布が二枚だったから一枚を下に一枚を一番上にしてサンドイッチみたいにして寝たら暑くて夜中に目が覚めた 体のあたたまりが悪いときはうなじや背中と布団のあいだに隙間ができて外気が入ると途端に寒くなったが昨夜はかえって腕や足を出して冷まさなくてはならなかった 全体的に眠りは浅かった 妻が寝坊した 

風邪がぶり返す

朝起きたら今までにない症状が出た 昨晩は布団の中でなかなか体が温まらなくて難儀した 布団は重いばかりでまったく温かくない 片脚を数字の4のように折り曲げて折り曲げていないほうの膝の裏に滑り込ませて暖をとる それでも30分は格闘しただろうか 胸も背中も寒いのである 寒いだけでなく関節も痛い 足首や膝の少し上のぶぶんに大きめの輪っかをはめられているような痛みだ 痛いけど立ったり歩いたりは普通にできた むしろ立ったり歩いたりしたほうが痛みがまぎれて良かった 今日から仕事だが仕事をするほうが家にいるより楽だと思ってるんるん気分で家を出た 重いものを持ち上げると汗が出て汗が出るということはそこまでではないと解釈した 天気が良くて暖房もよく効いた 日が暮れると心細くなった 私は子供のころはよく夕方に具合が悪くなった 朝はいつもさっぱりしていてそれで調子に乗って夕方につぶれるのである だから私が朝「元気になった」と言っても誰も信じなかった 今はそんな極端ではないが朝は爽やかだった しかし寒いからさっさと車に乗り込んだ 道が空いていて思っていたよりも早くついて残念だった 事務所に行くとみんなが「寝正月だった」と言った ひとりは「もう2ヶ月くらい具合が悪い」と言った 最近他県から来た人で埼玉の風にあたったのだろう 人も冷たいから治りも悪いのだ 私がそんなことを言ってもニコニコしているだけだった あるいは耳が悪い人なので聞き流していたのかもしれない

嵐の番組

お正月なので嵐の番組がよく流れている 嵐にはお正月の羽織袴とかが本当によく似合うので子供のころに見た市川染の助染太郎を思い出す 毎年「おめでとうございまーす!」とやってくるのだがそれを見た笑点の前の前の司会者の先代の円楽が
「三が日で一年分を稼ぐ」
と評していて確かにそうだと思った 実際は夏や秋なども仕事をしたのだろうが まだ景気が良かったから財テクなどに精を出していたのかもしれない 


嵐と言えばゲストとゲームに興じる番組が代表的だが嵐のほうは毎度同じゲームをやっているからすっかり慣れきってしまい両者の緊張感にかなりの差が出てしまっているところがフェアじゃなくて見ていて引っかかる 嵐があまりに上手くなってしまったのでスタッフがハンデを設定するがそうすると今度は嵐が勝てなくなってしまってファンが怒ってしまう またハンデを背負った相手に勝っても嬉しくないというゲスト側のプライドもあるだろう なのでスタッフとしてもあまり練習しても上手くならず初心者でも場合によっては簡単に勝ててしまうようなゲームを考えなければならず大変である


さっき見ていたら嵐が小部屋でゲストとババ抜きをやっていてこれは逆の発想で嵐以外の人もやり込んだであろう「ババ抜き」ならゲストと嵐の技能に差はつかないだろうというスタッフの狙いが見える 実際の嵐の勝率は知らないがほどほどに負けているようだ しかしゲームの進行などは嵐側に圧倒的なアドバンテージがありメンバーがババを引いたりすると急にカメラ目線になっておどけたりして「ゲームに負けてもへっちゃらさ」とアピールしてくるのが鬱陶しい 嵐のメンバーには前のめりな人がおらずどこか一歩引いて見ているような雰囲気がありそういうおっとりした感じが正月にフィットするのだろう

地理

初めて就職したところでの採用面接は面接官5人の希望者3人のグループ面接でいわゆる「圧迫面接」だった まだ若かったし隣の人は「なんで履歴書の写真はメガネかけてないのに今はかけてるんだ?」と執拗にねちねちやられたりしていたので神経が研ぎ澄まされすぎ視界がリノリウムの床にめり込むような錯覚を起こした 私は視力は良いので眼鏡の人の履歴書の作法は知らない 今から考えると面接の前には試験がありおそらくそこで私の採用は8割型決まっていて面接は保険のようなものだったのだろう そう思うと会社から家までの道順を突っ込まれながら必死に説明していた小太りの人が気の毒だ ここから家までの道順については高校の入試の面接でも定番の質問事項だったがそれは「○○線をどこどこ方面に乗ってなんとか駅で降りて徒歩10分」程度の答えでクリアだったがそこでの面接は「訊いた我々が他の情報なしでたどり着けるように説明しろ」というのが条件でそうなると「駅から徒歩10分程度」では0点である そんな訊かれ方私は経験なかったしおそらく小太りの人もなかったがそれでもなんとか頭をひねって「△△駅で降りていただければお迎えに行きます」と答えていた 私はそれは悪手だろうと思ったがやはり面接官に袋叩きにされていた 「たどり着けるように」が引っかけでこれを実際に来れるようにと解釈するのではなく機械にでも打ち込むみたいに「二本目の交差点を右に」みたいに言わなければならなかったのである もちろん彼らは袋叩きにしたいだけだから何を言っても同じなのだが


昨日地理の本を読んだが読んでいたら当時の面接官のボス格の人が「イラク戦争の原因はフセインがオイルをドル建てからユーロ建てにしたことだ」と得意げに言っていたのを思い出した

脇腹

コンビニにコーラを買いに行ったら最初こところにはなくて次のところに言ったら思いのほか駐車場が埋まっていて仕方がないからまた別のコンビニにしようと思って一度道路にでたら空いている駐車スペースを見つけたので別の入り口から再び駐車場に入った 正月のコンビニなんてどこもガラガラかと思ったら最初のところもすごく混んでいて時代をかんじた 私は朝から二回洗濯物を干し夕方には部屋に掃除機をかけた 子供のころの年末に親に「部屋をきれいにしないと神様がこないのでお正月ができない」と言われたのを毎年思い出す やはりせめて子供が小さいうちはお正月っぽくしたほうが良いのかと思う 父の実家では祖父母が存命のころ年の瀬には必ず餅つきを行いそれは大変楽しい行事だったが餅つきそのものは機械を土間に置いてウスや杵などは用いなかったから私には風情がないようにかんじて一種の怠慢のようにかんじた しかし機械も「ザ・機械」といった発動機と餅つき機を太いベルトでつないで動かすような装置でその後登場する炊飯器みたいな餅つき機よりかはずっと無骨だったのでまだ良かったんだと思う 熱々の餅が細い穴からうんこのようにうにょうにょ出てきてそれを「あちー・あちー」大騒ぎしながらタライに入れていく様は今でも鮮明に覚えている 最後の回は青海苔を入れるから緑のうんこが出てくるのである 結局のところ子供は勝手に正月をかんじてくれれば良いと思う


無事コーラを手にして飲んだらうっかり蓋を落としてそれが運転席のアクセルの下あたりに行ってしまった 信号待ちの際にギアをニュートラルに入れサイドブレーキを引いて左手を伸ばしたら案の定背中をつった 今も脇腹が痛い

大人になってもわからないこと

小学4年か5年のときに「孔雀王」という映画を見たがずっと山で修行していた三上博史演じる孔雀が街に降りてきて安田成美と妖怪退治みたいなのしながらディスコに行って都会慣れしている安田成美は踊ったりしているがそんなことに全くついていけず孔雀は席でさきイカみたいなものをずっと食べている そのさきイカみたいなものはお酒のおつまみの乾きものだということはわかるが一体なんなのかわからず大人になったらそのうちわかるのかしら と思っていたが私は大人になっても相変わらずディスコ等無縁だ 行きつけの飲み屋くらいできるものかと思ったが住んでいるのが田舎でそういうのもない 子供のときに見ていた大人の世界は幻かなにかだったのだろう


妻と下の子がインフルエンザになり私は予防接種を打ったから発症こそしないが明らかにウイルスは私の中にあるというかんじで喉が痛い 義父母もこの世の終わりのような席をしていて最初義父が調子悪くて年寄りが調子を崩すと少しシリアスなかんじになり妻やその妹は
「病院に行け」
と繰り返すばかりでまた義父はちっとも耳を貸さない 私はまあそれで手遅れになったも天命かと思った まるでドラマによくある風景である しかしその後若い人も調子を崩して「ああ風邪か」というかんじになった しかし子供がぐったりしているのは気の毒だ クリスマスをもらってまだほとんど遊んでいるのを見ていない 数日すると少しずつ元気になり私が悪くなった 何もしない年末年始である いつも何もしないが