意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

半チャーハン

半チャーハンて山本山と同じ言語構造だと思った


明日は健康診断なので今日は9時までしか飲食ができず妻は
「じゃあ餃子にするね」
と言ったが私が健康診断だということをすぐに忘れた 餃子だけが残った 餃子とチャーハンが出てきて入っていないエビの味がした 小エビである 私はそれを全チャーハンと名付けた 全チャーハンをおかわりした 時間に余裕はあったが風呂上がりにお茶を飲みたいと思うと余裕はなかった 妻と子供はイチゴを食べた 不格好な大根のようなイチゴだった

読みふける

「俺の文章大好き」以上にブログを続ける理由が存在しない、という話: 不倒城

このブログには時折以前の記事に星をつける人がいてそうすると私に通知がきてそうすると私は大抵は最近の記事の通知だから最初は
「こんなの最近書いたかなあ」
と思うのだが思い当たらないから昔に書いた物なのだろう 割かし長く続いている 昔に書いたものだとわかるとなんとなくリンクを押して読みに行ってしまう そうするとつい読みふけってしまう 私の書くものは私が読んでもよくわからない箇所があったりするので何度か読み返すと「これはあの出来事を指しているのかな」とマッチする記憶が現れて納得するのだが記憶を持たない第三者が読んだらどういう感情を抱くのだろうか そういう場合は何か違ったものが想起されるのだろうか 私はそういうことのほうが大事だと思う というかそういうこと以外あり得ないと思う


そう思う根拠は文章の不確かさにあって私たちが日頃経験する物事は文字ではないもののほうが圧倒的に多い それを文字にするのだからどうしても手で砂をすくうみたいに砂がこぼれてしまうのである そのこぼれる砂をいかに少なくするのがテクニックみたいにもてはやされる風潮にあるが私はむしろいかに多くすくうかとか高く上げるがみたいなことに重点を置いている というかこぼれる砂に気を取られるとどうしても神経質になって体脂肪率一桁みたいな文章になってしまう そういうストイックなのもいいがやはりそこには人間味が欠ける 


私はとにかく書いているときには書いている対象には無頓着でありたくてそのためには場合によっては事実を曲げる 例えば相手が普通に喋っていても内容がシビアだったら「怒鳴った」みたいな表現のねじ曲げは平気でする 何故かというとそのほうが次の文につなげやすいからである 私は全体の統合性よりも「その次」が上手い具合につながればいいと思っている そして「もういいや」と思ったところで筆を置く もっとたくさん書けるような気がしても書き出すと意外と書けないのである 私は「これでたくさんだ」という感情には正直でいようと思っている たくさんと思っているのに変に結びの文字を加えてもそれは読んでも面白くない 無理にオチをつけると途端に貧相になるのが文章である どんなに独創的でも「よくある何か」に落とし込まれてしまうのである


正月に松潤のドラマがやっていて名前を忘れたが歌舞伎の隠し子だった俳優とのやり取りとか面白くて昨夜はその録画を熱心に見たがやはり30分も見たら「たくさん」と思って席を立ったら家族に「これから犯人がわかるのに」と不思議がられたが犯人がいるということがわかるのならそれはもう誰だっていいじゃないかと思う 

妻が現実的な物の見方をする

クレイジージャーニーのお正月スペシャルを録画したものを観た 数日前に一度観たがジャニーズの滝沢くんがマグマに突っ込むコーナーのとちゅうで見るのをやめてしまっていた 別にタッキーに罪はないがタッキーの行動はともかくタッキーそのものはクレイジーなニオイがしないので身を入れて見る気になれない そのせいなのかディレクターがやたらとしゃしゃり出てきていていつもよりもテレビっぽくなってしまいそれも面白くなかった ディレクターが道化役になる回もぜったいつまらないというわけではないが出演者がついていけないくらいクレイジーな人のほうが見ていて面白い 最近は体中に穴を開けまくる人たちが集まるイベントの回が良かった 背中の肩胛骨のところの皮膚に穴を開けワイヤーで吊すという何故そんな痛いことをするのか理解できないのにそれに参加する女の子が「彼氏の前で吊されたい」と恥ずかしい趣味をカミングアウトするみたいな三流の恋愛ドラマみたいなシチュエーションが楽しかった 私はその回を見ていて大笑いしたとか特別面白かったというわけではないがその回は観る前と後で自分の世界が変わっていたから特別だった 妻は終始「理解できない」とこぼしていた


タッキーのマグマの後は月面探索レースチームが登場しこれもクレイジーとは程遠かったが妻の反応がクレイジーだった 最初のメンバーの紹介の中で「これから保育園の面接です」という女の人が出ていてこの人は子供の母親だった その人が母親だと知ると妻は「こういうことはこういう人がやるのがいい」と言い出す理由を訊ねると「旦那さんがしっかり稼いでいるから家庭は安泰だ」みたいなことを言いちょっと私にはついていけなかった 確かに月面でラジコンカーを走らせるのは金持ちの道楽とか趣味の世界に見えるのかもしれないが私は平賀玄内のことを思い出し平賀玄内はエレキテルを発明したが周りの人は電気を見てもせいぜい手品の類で使えるものとしか考えられなかったそうだ だから月面も100年後にはびっくりするくらい日常に溶け込んでしまいそれに関連するビジネスが「安定した仕事」になるかもしれない100年後は死んでいるから関係ないですよと言うのが妻のスタンスなのだ

妻の小論文

妻が小論文を書いている 妻が通いたいと思っている学校に提出するためのものである つまり小論文の出来・不出来で入学できるかが決まるという 妻がしきりに「小論文て感想文となにが違うの?」と訊いてくる 私はわからないので「わからない」と答えると「なんで? 大卒なのにわからないのか? 嘘をついていないか」と責めてくる 妻は高卒なのである 小論文がなににせよ「○○について書きなさい」とあるのだから○○について書けばいいと思う 


妻が自分の書いたものを「読め」としつこくすすめてくるので読んだら書き慣れていないということはすぐにわかった しかしなんだっていいやと思うので「これで十分 100点までいかなくても85点は堅いよ」とでたらめ言いながらも原稿用紙の使い方だけは教えた 改行したら字下げするところである。字下げする理由は改行のタイミングがちょうど行の終わりにあたると改行に見えないからである 私はこの理由がとても合理的なので好きなのである 妻は「主張が変わったら改行する」子供は「お話が変わったら改行する」と言うが私にはそんな難しいことはわからない 改行するから改行するとしか言いようがない そして改行したことを確実に相手に伝えるために字下げするだけである  


字下げの理由を説明したらつい気持ちが良くなって日本語の添削を少ししてしまった 「様々な」という修飾語がやたらと出てくるので曖昧な言い方はしないほうがいいとぜんぶ×をくれた あとわかりきったことを繰り返していて冗長なのでそれも×にした いっそのことぜんぶ×にしようと思ったが「これ以上短くしたら800字を切ってしまう」と言うから「じゃあいいよ」とやめた 私の文章だって相当ひどいが私のはあまり押し付けがましくないから許されるのだ

遅刻した

会社へ行くのに遠回りしたら遅刻した それは時間のかかるルートだったから遅刻するのは当たり前だったが朝いつも寄るコンビニを出たときに側面のガラスから差し込む日がまぶしかったため太陽は昨日よりも低い位置だと判断した 低いということはまだ早い時間なので遠回りしても間に合うだろうと思ったのである そうしたら橋のとちゅうで前の車がまったく動かなくなってしまった 私の通勤路は途中に橋がある 川の上流に目を向け目を細めると私がふだん通るほうの橋がありこちらは車がすいすい通っている 選択ミスである ようやく渡り終えると今度は後ろから救急車がきた 家を出るときにかけたパスピエのアルバムがもう最後のほうの曲になっていて焦った このアルバムが何分あるか知らないがアルバムはだいたい一枚一時間だからもうすぐ一時間経過するということである しかしアルバムが一時間みたいな暗黙の了解のせいで多作の人はいいがそうでない人は割と手抜きの曲とかあるんじゃないかと思った B'zの曲で国民の休日という曲があるがアレこそ中身がスカスカでむしろ清々しい 

ポイントカード

DSに新しいソフトを入れようとしたら容量が足りないと言われSDカードを買い足すことにした マイクロSDである だからこの記事のタイトルはSDカードでもいいのだけどまあ待ちなさい SDカードにはマイクロやそうじゃないのがあるから間違えないようにしないとだがこれは形の問題だから簡単にわかる しかし速度だとかはちょっとわからない もともと入っていたカードを持ってきた DSのどこにもSDカードのスロットがないから最初は不安だった ソフトをダウンロードするときに「SDカードに入れます」みたいなメッセージが出るがどこにカードが入っているのかわからないから任天堂が中のストレージを勝手にSDカードと呼んでいるだけだと思った なにせ任天堂フロッピーディスクでもないものを「ディスク」とか呼んでいたから紛らわしいのである ネットで調べたらカバーをはがすとスロットルはありますよとのことでこのとき始めて本体の側地にネジがくっついていることに気づいた ねじ回しを用意してはがすとSDカードとバッテリーがあった しかしSDカードを指しているならわざわざダウンロードしなくてもカードリッジを買うのと一緒だと思った ゲームボーイが発売されたときカードリッジのさせるゲームウォッチが出るなんて夢みたいだった 私の中でもファミコンみたいなゲームウォッチがあればいいなあとは考えていた 外国の男の子がトラックの荷台みたいなところでゲームボーイを取り合っているCMは今でもおぼえている トラックの荷台には幌があってよく考えたらそんなところでゲームボーイしても暗くて見えないのである しかし買うまでそんなことはわからなかったしゲームボーイは超人気だったのですぐに「ライトボーイ」という外付けのライトつきの拡大鏡が登場した 当然私は買ったが重くて邪魔だった


その頃カードリッジは夢の象徴だったが今ではそんなもの野暮ったいと思うようになった 中身だけ見えない電波で飛ばしてもらうほうが気軽だ しかし受け入れ先が外付けのストレージではあまりスマートではない そうは言っても普段はカバーの裏に隠れているから忍者のようだった 人に何のソフトをしているのかすぐに知られずに済むし子供に勝手に抜かれて放り投げられることもない このDSは子供ののなのである


とにかくSDカードの容量が足りないから電気量販店に買いに来た SDカードの売り場は入ってすぐのところにあるが色々種類があって難しい 思ったよりも高かった最初から中に入っていたのには「まる4」と書かれていたが売っているのは「まる10」ばかりだ 10のほうがいいやつだから問題ないのだろうが性能が良すぎると受け入れ側が反応できないみたいなリスクがある それって容量だったかも 256ギガバイトとかだと読み込めないスマホがあるとか聞いたことがある するとまる10はセーフなのだろうか どちらにせよまる4なんてないのである あとトレーみたいなのに入った数字もあるがどちらにせよわからないから無視した 


ここの電気量販店は店員がとにかく暗い人ばかりでパートの主婦みたいな人も家庭が崩壊しかけているんじゃないかと思うくらい暗い 主婦が「ポイントカードは?」と訊いてくるから「いらない」と断ったが「作りました」と強引に渡してきて参った きっと渡すだけ渡せという指示なのだろうと思い受け取った 私はポイントカードは極力作らない主義でTポイントカードも持っていない 唯一あるのはいつも行く美容院のカードでこれは会員証を兼ねているからセーフなのである

今日は暖かかったか

今日から子供の新学期が始まった 朝6時に起きて上の子を駅まで送っていった 起きたら暗くて驚いた 冬なのである 去年か一昨年に知ったが一年で一番日が短いのは冬至だが冬至がいちばん日の出が遅いわけではないのである 生きている期間が長いと季節に敏感になる 子供のころは暑いと寒いとその他しかなかった たぶん今頃の時期朝本当に寒くて日だまりまでダッシュした 集合場所から200メートルくらいまでは他の班の人もいないし車もほとんど通らないから私たちは列にならずにルーズに進んだ 裏の家がよくドラム缶でゴミを燃やしていてそれにあたってから出発した すぐに冷えた そういうときは朝起きて暗いなーくらいは思ったがそれ以上の感情はなかった 今朝子供を起こすためにベッドから出て暗いから寂しかった 家を出るときに車のライトをつけて難儀した 日の入りは夜より暗いといつと思っていたが日の出前も暗かった 20歳くらいのときは早朝にバイトをしていてやはり冬は暗かった 働いていると明るくなってきてなんだか服を脱がされるような恥ずかしさを覚えた あるとき車のライトをつけなくてもいいくらいの明るさになっていて春がきたと思った 江戸時代みたいな塀の家が近所にあるがそこの桃の花が咲いたときよりもずっと春をかんじた 私は感動したのである 暑い寒いばかりが季節ではないと悟った 新緑がいちばん美しいといった叔父は去年に死んだ 今日は春の陽気と言って下の子はマフラーをしないで出かけたが風が強くて心細かった