意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

友達がアタマのカタい大人になってしまった

久しぶりに昨晩仲の良い複数の友人とあって飲んだ 最近飲むときはいつも話すことに集中して食べることや飲むことが手につかない それが楽しいということだ 人と会うと疲れるという記事を最近読んだが私もそういうタイプだが最近はそれより会う前に不安になってしまうということが多い できれば行きたくないとすら思ってしまう この不安はおそらく「楽しくなかったらどうしよう」という中身であった


昨日は幸い楽しかったが仕事に疲れていたから踏ん張りがきかないところがあった 昨日は暑い中重いものをけっこう運んだのである アイスを食べたが甘いのが口に残って不快で中和させるためにヘルシア緑茶を帰りに飲んだ その後にビールを飲んだ となりの友人が「ゆとり世代がー」みたいなことを言い出して驚いた そんな手垢の付いた言葉を臆面もなく使っていたら人としてどんどん劣化してしまうのではないか

人を信用しないキャラ

私は久しぶりにお昼を集団で食べた 中華屋で奥の座敷にすわるとふすまがあった 日光とヤニで表面が変色している そういうお店であった 店の前の駐車場はいっぱいで裏の第二駐車場もあとひとつしか空いてなくて上司の車だったので私はドアの開け閉めを慎重に行った 自動車学校で実技の最初の授業で言われたのは「ドアはもっと優しく開け閉めしたほうがいいよ」と言われたのを今でもおぼえているからだ 家に帰ってそれを母に言うと「うちの車はぼろいからドアは強く閉めないといけないんだよ」と教えてくれた 以来私はドアを優しく閉めることを心がけた 今まででいちばん強くドアを閉めるのは義母で確かにドアがもげるんじゃないかと思うくらいの勢いで閉める 


私たちはご飯を食べながらオリンピックの話をした 戻ってから「オリンピック興味ないんです」と言ったら「めっちゃ話してたじゃん!」と驚かれた

いろんな営業

今日来た営業はカタギじゃないのでは? という話になった やけに肩の張った背広を着ているなあとは思った お弁当やさんであった 私は昔のオウム真理教のような誰か借金のカタにただでコロッケや肉団子を詰めている人のことを想像した オウム真理教のお弁当も安かったのである 女の人はそういうときは風俗に行かされるが男の人はお弁当やさんなのかもしれない たまたまたまたま大阪の人が来ていてその人は仕出し弁当にとても詳しくこういうお弁当は最初気合いを入れて肉の多い弁当を用意するが徐々に野菜の割合が増え最終的に95%が野菜になって薬食ってるみたいだと教えてくれた

気持ちは生産性が低い

どうにか気持ちを込めてメールを返信しようと思ったがうまく書けず結局半日ちかくかかってしまった 書いているうちに気持ちとは空虚なものだから書けないんだと気づいた 私たちが何かを考えたり思ったりというのは実のところ実体はなくあるのは感触のみなのである 感触とはニュアンスであり外側であり結局のところ中身になることはできない 中身とはなんだろうか 私は「運動」ではないかと思う とにかく動くこと 動いて変化させることではないかと思う

仕事の難易度

昨日の記事で「まだまだ仕事の難易度は低い」と書いたがいよいよ世間の連休が終わって朝からヘビィな話を聞かされた 高崎線も人身事故で止まった 「連休明けだからどこかの電車が止まるだろう」と予言した人がいて現実その通りになった その人の最寄り駅は日本で三番目に人身事故が多いところで私が「見通しの悪いカーブとかあるんですか?」と聞くとまっすぐな道だと言う 死者が呼ぶのだろうか

今年の連休

今年の連休がおわった 私は今日から仕事なので昨日で連休がおわった しかし周りが休みが多かったので仕事の難易度はだいぶ低かった わがままを言う人もいなかった 電話も鳴らなかった メールは開きもしなかった トイレにコバエがわいていて暗澹たる気持ちになった トイレ掃除の当番表を作らなければならない


そういえば当ブログはゴールデンウイークに暇だったから始めた それからもう何年経ったのかもう見当がつかない 今ではあまり暇ではないがそれでも物を書く時間くらいはある 最近は小説を読む時間もできた ヴァージニア・ウルフの「船出」を読んでいる 前に近所の本屋で立ち読みして面白いと思ったが買わずに去ってそれから何ヶ月かして行ったらまだ売っていたので買った 一冊しかなかったから私が立ち読みしたやつに間違いない 文学に流れる時間は遅いのである