意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

歩道橋(6)

「夏になってわたしは福園さんと2人で飲みに行きました。夕方6時に駅で待ち合わせました。わたしは学校帰りで、あなたは家から自転車でやって来ました。イトーヨーカ堂の前の、ゲームセンターの2階の居酒屋だったと記憶します。薄暗くて店内にデジタルジュークボックスがあって、雰囲気のあるお店でした。お通しにはポップコーンが出てきます。「十字路」の中でも主人公と笠奈が飲みに行くシーンがあります。わたしはすぐのこのお店のことを思い浮かべ、読んでいてとても懐かしい気持ちになりました。ジュークボックスにあなたがお金を入れ、ビートルズを流したことがありましたね。「オブラディ・オブラダは人生はブラジャーの上を流れるって歌詞だよね?」と真顔で語っていたあなたを思い出します。福園さんとは色んなところに行きましたが、この居酒屋がいちばんの思い出です。当時わたしには恋人がいましたが、お酒がまったく飲めない人だったので、福園さんと2人で酔っ払うのはとても楽しかったです。あなたは帰り際、いつも「楽しいことが終わるのは寂しい」と弱気になりました。わたしが「また企画すればいいじゃない」と励ますのがお決まりのパターンでした。

それから塾内の他の人とも遊ぶようになって、ドライブに出かけたりしました。小説ではお台場へ出かけましたが、秩父にも夜景を見に出かけたり、寄居の湖へ、肝試しに行ったこともあります。あの頃は今思えば本当にエネルギーがあり余ってたんですね。あなたはコンビニの早朝のアルバイトをかけ持ちしていましたが、夜通し遊んで出勤することも何度かありました。「寝ないで行くの?」と聞くと「30分寝る。まったく寝ないのはツラいから」と答えてきて、本当かよと思いました。その後真っ青な顔をして働くあなたを、からかいに行ったこともあります。あなたは
「バイト終わったらおぼえていろよ」
とにらんできましたが、もちろんその頃には家に帰って寝ています。

そのうちにあなたはコンビニのアルバイトの人も連れてくるようになって、徐々に輪が広がっていきました。その人たちに聞いたのですが、福園さんは当時あまり学校に行っていなかったのですね。何かとても仲の悪い人がいるとのことでした。バイト仲間の中に、あなたと同じ学校の人はいないので、確認はできませんでしたが。わたしが学校について聞くと、あなたは
「週に2回は行ってるから大丈夫」
と謎の答えをしました。一体何が大丈夫なのかさっぱりわかりません。わたしは教職もとっていたから、平日はぱんぱんに授業が入っていて、土曜に授業がある日もありました。宿題やレポートも山ほど出されます。
「レベルの低い学校だから、授業が簡単なんだよ」
とも言っていました。聞くと学生は最初に、分数の割り算を習うそうです。特別な計算ではなく、小学生が解くやつです。
「馬鹿しかいないんだよね。うちの学校」
だから学校へも行かず、バイトをかけ持ちして忙しく働いているというのでしょうか? そうは言っても学校へ行っていない日は何をしているのでしょうか。わたしがしつこく聞くと
「人間関係が面倒くさくて」
と本当に面倒くさそうに答えました。じゃあわたしといるのも面倒くさい? と思わず聞きそうになりましたが、黙っていました。「基本的に人が好きじゃない」とも言っていて、やはり独特な人なんだと思いました。もちろんわたしは傷つきましたが。

福園さんは本を読むのが好きだったんですね。親しくなってくると、やがてそのことがわかりました。学校へ行っても図書館に入り浸るか、映像室へ行って北野武の「ソナチネ」を繰り返し見ているとのことでした。オススメはあるかと聞くと、村上春樹の「ノルウェイの森」と教えてくれました。当然のようにわたしは「読みたいから貸して」と頼みました。あなたは「長いから」と渋りましたが、貸してくれました。わたしと福園さんの家の間のちょうど中間にある、駄菓子屋の脇で待ち合わせして、わたしは本を受け取りました。夏の終わりの午後で、どうしてそんな場所で会ったのか、今ではおぼえていません。福園さんはおぼえていますか? あまりシフトが重ならなかったのかしら。とにかくわたしが到着すると福園さんはレンガ塀の脇で自転車にまたがったいて、これからわたしに貸そうとする本を読みふけっているのでした。

ノルウェイの森」の感想については、笠奈が言ったとおりです。「十字路」自体も、かなり意識したんじゃないかと思うぶぶんもありました。主人公の言い回しとか。

共通の友人が増えてくると、わたしと福園さんがつき合っていると思う人も出てきました。わたしたちはそれくらい仲が良かったんです。飲み会では、わたしが頻繁にレモンの皮を福園さんに投げつける場面が見られました。福園さんは「ふざけんな」と怒りましたが、決して本気で怒っていないことは、もうわかりきっていました。わたしは人数のいる飲み会では、わざと福園さんの遠くに座り、聞こえよがしに福園さんを悪く言ったりしました。
「福園さんには心がない」
当然福園さんにその声は届かないのですが、わたしはなんだかそれが理不尽な気がして、レモンの皮や、割り箸の袋だのを投げつけたのです。
心のない福園さんについて、誰かがそれをオズの魔法使いのブリキの木こりみたいだ、と言いました。以来福園さんのあだ名が「ブリキの福園」、「ブリ園」、「ブリキ」になりました。福園さんは「うるせー」とか「センス0」と言い返しましたが、まんざらでもない様子でした。あなたは注目さえされれば、内容はなんでも良かったのです」

歩道橋(5)

由真のメールを受け取った週末、会社の送別会があった。辞めるのはパートさんで、半年勤めた人だった。環さんも参加していたので、チャンスがあれば由真のメールについて話がしたかった。メールは昨日公開したから、まだ読んでいないかもしれない。LINEで通知をしたが、なかなか既読にならなかった。
会の直前まで仕事をしていて、結局開始時間に間に合わなかった。なるべく課長に悟られないよう、定時をすぎても慌てることなく、仕事を一段落させてから会社を出た。草野さんは5時半くらいからそわそわし出して大変見苦しく、帰り際も「じゃ、先に行ってるね」なんて小声で言ってくるから周りにバレバレだった。あるいは私の方が気にしすぎなのかもしれない。普通に「送別会あるんで」と言えば済む話なのだ。
店に着くと私以外は揃っていて、入り口のそばの席しか空いていなかった。私の向かいの席には誰も座っておらず、さらに隣は草野さんだった。
「やっと課長から逃げ出せたの?」
酒が飲めないくせに、草野さんはだいぶ上機嫌だった。私が時間がかかったのは、ちょうどいいバスがなくて歩いてきたためで、課長は6時を過ぎるとさっさと帰ってしまっていた。私がその後戸締まりをした。私は「ええ、まあ」と適当に返事をした。
「どうして掘り炬燵じゃないの? あと、全然個室じゃねーし」
私はコートを預かってくれた幹事の女性に悪態をついたが、
「絶対そう言うと思った」
と笑われただけでちっとも相手にされなかった。仕方がないのでビールをすすりながら草野さんの話に適当に相槌を打っていた。向こうも私のことが鬱陶しそうだった。店内は騒がしくて、草野さんは私が無視していると思ったのかもしれない。やたらと店員の威勢のいい店だった。私はぼんやりと壁の貼り紙を眺める時間が増えた。生ビールのジョッキを抱えた、やたらとスタイルのいい水着姿の女性がこちらを見て微笑んでいた。まだこんなポスターがあるのかと私は驚いた。鶏の鍋がコンロにかけられてぐつぐつ言っていたが、あまり食べたいという気になれなかった。私は猫舌なのである。
「そんなこの世の終わりみたいな顔しないでください」
そう言って私の向かいに座ったのは環さんだった。環さんはそれまでいちばん奥の、壁際の席に座っていたので、話すに話せなかった。私が面食らっていると、環さんは「上司相手じゃ福園さんも楽しくないでしょ?」と言いながら私に鍋をよそってくれた。
「環さんの家はここから近いの?」
「はい。イオンのそばです」
「イオンはどこにあるの?」
「イオン知ってるんですか? 福園さんちのほうにはありますか?」
「一応知ってます。うちのほうにはそんな大きいのないけど」
「せいぜいイトーヨーカ堂ですか?」
「イトーヨーカ堂はもうつぶれたから」
「過疎化ですか?」
「いや、そうじゃなくて」
すっかり調子を取り戻した私は、ハイボールを立て続けに2杯飲んだ。環さんも同じ物を頼んだ。
「由真は実在するんですか?」
酔いが回ったところで環さんが聞いてきた。読んでくれたの? と尋ねると今日来る前に読んだ、とのことだった。
「どう思う?」
「わたしは、いないと思います」
煙草に火をつけながら環さんは答えた。
「どうしてそう思うの?」
「だって」顔を横に向けて煙を吐きながら、環さんは笑った。「由真はわたしのこと、存在しないって言うじゃないですか? だからわたしも」
私は由真が言っているのは、私の小説を読む人間が存在しない、という意味で環さんそのものの存在のことを言ってるわけじゃないと説明した。
「だから、おんなじことじゃないですかー。わたしは福園さんの書いたの読んでるんだし」
と環さんはむくれた。私も確かにそうかもな、と思った。だいぶ酔いが回ったのかもしれない。戸惑う私を見て環さんがクスクス笑っている。普段とはまったく違う笑い方だ。
「だいたい、わたしは笠奈だって好きじゃないんです。自分のことしか考えてないんだもの。ミキちゃんがかわいそう」
「ミキちゃんは考えてるの?」
「ミキちゃんは中学生だからいいの!」
「ふーん」
「でも、由真が福園さんを『よく嘘をつく人』と言うのはわかります」
「え? 俺、環さんには自分をさらけ出してるけど?」
「そう? いちばん肝心なことを言ってないですよね?」
肝心なこと? と聞き返そうとしたところで、トイレから戻ってきた小川さんが私の隣に座り「お世話になりました」と挨拶した。途端に環さんが「小川さーん」と泣き声を出す。それと同時に机の影から私に紙袋を手渡した。中には小川さんに渡すプレゼントが入っている。私に予算を確認し、イオンで買ってきたものだ。私は参加者に声をかけ、小川さんにプレゼントを渡した。
「じゃあ来月からも、よろしくお願いします」
「いや、もう2度と来ませんから!」
小川さんの“2度と“の部分に場内がどっと沸いた。
「福園さん、すべっちゃったねー」
と草野さんがあきれたように言った。

歩道橋(4)

「福園さん、こんにちわ。

返信ありがとうございます。実はこの数日、あなたから連絡くるのかドキドキしていました。来なきゃそれはそれでいい、と思って出したくせに、どこかで期待しちゃうものなんですね。
わたしのメールを小説に掲載する件、了承しました。細部の変更については、基本的にはお任せします。わたしは、「矢崎由真」としてあなたの小説に登場するのですね? なんだか突然よそ行きの服を着せられたような、変な気分です。もちろん、よそ行きの服でも言いたいことは全部書くつもりです。福園さんも細部は変えても、わたしの書いたとおりに載せることを約束してくださいね。あ、そうか。これからは「福園さん」と呼びかけた方がいいのかな? (※ここまでのメールでは私の本名が書かれていた)なんかそれってあなたの罠のような気がしますが。まあいいです。わたしも由真のつもりで書きますね。

さて、先ほど「言いたいことは書ききる」と宣言しましたが、少し遠回りしたいと思います。あなたは「当時のことは結構忘れてしまって」と書いて寄越しましてます。ていうかひどくないですか? そこは本当に忘れていても、大切な思い出とか言ってほしかったです。と言いたいところですが、わたしもたぶん、たくさんのことを忘れたり、思い違いをしているから同じです。だから、少し当時のことや、わたしたちの関係について、お互いに書いて答え合わせをしませんか? おそらく、あなたもそれを期待してるんだと思います。だって、この文章も、会社のパートさんたちに読ませるんでしょ? あなたがどういうつもりで、その人たちに読ませているのかわかりませんが。あなたは「小説を書く間は、一切他のことが考えられなくなる」と書いています。そのせいで何度も電車で降りる駅を乗り過ごしたり、あるときは季節の秋と春を取り違えたりしています。あなたはひょっとしたら、何かしらの救いを求めて、書いているのかもしれませんね。だとしたら、「読んでくれるパートさんたち」も本当にいるのか、ちょっとあやしいです。何しろあなたは本当によく嘘のつく人でしたから。

どこから書きましょうか? 前回はあなたが塾に入ってきたときのことを書きましたね。あなたは梅雨に入る直前くらいにやってきました。ほんとうは3月に面接を受けたそうですが、そのときはちょうど講師と生徒の人数が合っていたため、声がかからなかった、とあなたは言っていました。わたしが基本的なことを教えました。あなたは細かいチェックの半袖シャツを着て、髪は茶髪で、少しパーマがかかっていました。しきりに「こんな身なりで大丈夫ですか?」と聞いてきたので「問題ないと思います」と答えました。確かに少し派手な感じがしましたが、優しそうな雰囲気だったので、生徒も怖がらないだろうと思ったのです。実際あなたと仲良くなると、見た目どおりに穏やかな人だとわかりました。ちょっとすると、すぐにふざけたことを言うようになって、年上のわたしのこともからかうようになりました。けれど、それで嫌な気持ちになったことはありません。基本的に、あなたはわたしのことを、ものすごく気遣ってくれました。

生徒さんに対してもそうだったのでしょう。あなたのブースは常に笑い声が漏れていました。あなたに聞くと「あまり上を狙ってないから余裕がある」と言ってましたが、レベルに関係なく、きちんと勉強をしなければ成績は下がります。定期テストの結果がふるわなければ、塾長の沢松さんに怒られてしまいます。わたしも楽しい授業を心がけていましたが、時には厳しくしなければいけないときもありました。

あなたについて、もう一つ不思議なことがありました。それはあなたが授業の終わりに、ものすごい早さで報告書を書き上げて帰ってしまうことでした。「十字路」の中では塾長に会いたくないから、とそのことについて書いてましたが、あなたの帰る早さについては、塾内でもちょっとした話題になっていたんですよ。報告書の作成はだいたいの講師が苦手で、また沢松さんの突っ込みが容赦なく入るので、それだけを極端に嫌がる人もいました。ただ、お互いに書き方のアドバイスをしたり、また沢松さんも遅くまでかかっている講師に声をかけたりジュースをおごったりしたので、雰囲気はとても良かったんです。沢松さんも時には冗談を言ったりして、あなたが書いていたような悪い人ではありません。ちなみに沢松さんが乗っていたのはBMWです。

報告書は、塾長が不在のときは、デスクの上に置いて帰る決まりでした。あるとき、あなたの置いていった報告書を何気なく見てみると、学習内容や次回のテーマがきちんとまとめられていて、わたしは感心しました。今思えば、あの頃からあなたは、文章を書き慣れていたのですね。ブログには、中学生になったら突然文章が書けるようになった、とありました。

とにかく、あなたについて不思議なことがあっても、あなた自身は他の講師と接点がないので、奇妙な人として、塾内では見られていました。沢松さんも「月末くらいにか顔合わさないけど、本当に来てる?」とわたしに聞いてきました。そんなあなたに、わたしは俄然興味がわいてきました。それは、わたしが教育係だったから、という責任から生じたものでしたが、もっと純粋に、あなたという人を知りたくなったのです」

変わるとか変わらないとか

彼氏に大事にされないのが嫌だ(再追記しました)

珍しくあまり同調できるコメントがなかった。一緒に行くとが同じ趣味を持つとか、あとは諦めるとかそれはもう一歩先の話だと思う。別れるとか論外。まずは自分が快く思っていないこと、寂しいことを伝えるべきだと思う。たぶん書いた人は彼氏が好きで、好きだから逡巡しちゃうんだと思う。しかし、伝えなければ関係は悪くなるだけである。彼氏は変わらないかもしれない。そうしたらそこから自分がどうすればいいのか考えればいいと思う。もちろん最初から譲歩したって構わない。彼氏の気持ちはわからないが、好きでつき合ってるなら、変わるかもしれない。変わらなくても変わろうと努力すればそれは違うのかもしれない。やってみなければわからない。何にせよ、何も知らされなければ、彼氏がかわいそうだ。彼氏にチャンスをあたえてほしい。勝手に結論を出されて、突然別れを切り出されるのは気の毒だ

歩道橋(3)

由真のメールは翌日の昼休みに読んだ。工場は人数が多いので昼休みは2交代制で、12時の人と13時の人がいる。私はどちらでも良かったので、中途半端になってしまうことが多かった。午前中は毎日課長とのミーティングでつぶれ、それが長引くと14時からお昼ということもあった。予定が詰まっていると昼そのものがなくなることもあった。
「福園くんさ、仕事は博打じゃないんだから」
が課長の口癖だった。生産計画の遅れを指摘され、対策について却下され、切羽詰まって「とにかくやりきります」と宣言すると言われるのがお決まりのパターンだった。私は「すみません」とうなだれるが、これは峠を越えた合図でもあり、ここからは下り坂になる。課長はかつて自分がいた工場のことを語り、「生産倍増プロジェクト」のときのエピソードを披露した。そこからヒントを得ろというのである。参考になるところもあったが、「生産倍増プロジェクト」なんていかにも頭の悪そうなネーミングのせいで、イマイチ話が頭に入らなかった。課長は工場設立にあたり、外部からスカウトされた人物だった。一方の私は元々営業所の商品管理だったので、工場経営は素人であり、どうあがいても課長に太刀打ちできなかった。
「それでは私はクレーム対応を、午後から行いますので」
そう言ったのは草野さんで、草野さんは係長で私より役職は上になる。悪い人ではないが杓子定規なところがあって、仕事は毎日定時であがる。仕事がつまるとパニックを起こすのが特徴で、それでも残業をしないのは、前の仕事で月の残業が150時間を超えて鬱を発症したためだった。残業ができないことは会社側も承知していて、それでも係長なのだから仕事ができる人なのだろうが、起こすのはパニックばかりだった。

テレビの会議の後、2時半ころにサンドイッチを頬張りながら由真のメールを読んだ。思ったより長かったので途中で一度中断して歯を磨いた。課長も草野さんも外に食べに行っていない。昨日まで雨が続いていたが今日はよく晴れていて、外にいると汗ばんだ。通りには幼稚園帰りの子供が親に手を引かれて歩いていて、その向こうは住宅街だった。隙間を埋めるように柿の木やチェリーの木が植えられている。来週からぐっと気温が下がるとのことだった。11月だった。

正直由真が「十字路」を読むことは想定していなかった。メールにあるとおり、私と由真が知り合ったのはH市の旧道沿いにある、マンツーマンの学習指導塾だった。マンツーマンだったので大勢の生徒を相手にするわけではなかったが、その分時給は安かった。私が入ったときに色々世話をしてくれたのが由真だった。由真は私に勤怠方法やテキストの場所や、報告書の書き方を教えてくれた。基本的な授業の進め方を教えるために、実際と同じようにブースに2人で並んで座った。講師は名札をつけることになっており、それを見て下の名前を知った私は、早い段階で「由真さん」と呼ぶようになった。その後は「十字路」と同じように夜中にドライブをしたり、一緒に飲みに行ったりする間柄になった。「十字路」はそういった記憶を元に書かれたが、それでも由真が笠奈のモデルになるのかというとそれは別問題だった。由真のことについて私は多くのことを忘れてしまった。ただし、「十字路」が最初に書かれたのは7年前で、その頃は今より由真のことについて多くをおぼえていたのかもしれない。

由真と最後に会ったのは確か12年前で、そのときは生まれたばかりのナミミちゃんに会いに行ったのだった。とても小さい子で、未熟児として生まれてきたと聞いた。母親の方が退院しても、子供の方が黄疸が出るというので、一週間くらい保育器の中に入れられたそうである。

3時になると作業者たちが休憩をとるために外に出てきた。ほとんどが煙草を吸うためであり、喫煙所は事務所のそばにあった。ぼんやりと通り過ぎる人々を見ていると、その中に環さんがいた。仲良しグループの数人とじゃれ合っていて、その様子が女学生のように見える。私はさっそく環さんに、由真のメールのことをLINEで報告しようと思った。環さんは何度も
「笠奈は実在するんですか?」
と聞いてきたから、由真のことを知ったら驚くに違いない。しかし「元カノ?」と聞かれるのも鬱陶しいので、当分はやめておくことにした。

歩道橋(2)

由真のメールは夜遅くにきた。気づいたのは翌日の昼過ぎでさまざまな宣伝のメールを削除していた中に由真のメールは埋もれていた。最初は迷惑メールかと思い、どこかに誤タップをねらったURLがあるのではないかと警戒したが、そういうものはなかった。「あなたが大学時代に知り合った矢崎由真です」とあって、読み進めると間違いなく私のかつての知り合いであることがわかった。
以下、由真からのメール。


「福園さん

こんにちは。わたしはあなたが大学時代に知り合った矢崎由真です。もう10年以上会っていませんが、お元気ですか? あるいは、あなたはわたしのことなどとっくに忘れてしまったのかもしれませんが。であれば、この先は読まなくても結構です。ただ、これじゃあわたしが本当にあなたの知っている矢崎由真かどうかわかりませんよね? 同じ名前を騙った迷惑メールという可能性もありますし。

わたしとあなたは大学時代に、バイト先の学習塾で知り合いました。元々わたしのほうが一年早く入っていて、後からあなたが入ってきたのでした。確か梅雨前だったと記憶します。年もわたしが一つ上でした。H市の旧道の、中古車屋の隣にあった塾でした。今は塾はもちろん、釣具屋もつぶれてしまっています。その向こうのカラオケボックスは老人介護施設になっています」

ここまで読んで私はメールの主が、私のかつての知り合いである矢崎由真であることを確信した。私の家は旧道を少し行って五差路を越えたところにある。由真の家は逆方向の駅よりにあった。そばには大きな公園があった。私たちの家は決して離れているわけではないが、学区の関係で同じ学校になったことはなかった。

「どうして突然メールを送ったのかというと、わたしはあなたがこの前公開した「十字路」をたまたま読んだからなのです。実はわたしはあなたのブログを以前から読んでました。驚きました? おそらくあなたはブログについては、家族を含めて誰にも教えてないと思っています(自分の周りに文章を読む人はいないと何度か書いています)けれど、まったくゼロではありませんよね? 何人かはいたはずです。その人から福園さんのブログの存在を教えてもらいました」

由真の指摘の通り、私はブログについては何人かにURLを送っている。人づてにそれが由真に伝わっても、なんら不思議ではなかった。ただ、私はまともに読む人などいないと思っていた。読んでもらった人の中には感想を送ってくれる人もいたが、大抵は「毎日更新してすごいね」とかそんなのだった。そう言ったうちの誰が由真に私のブログのことを教えたのか、見当もつかない。私がブログを書き始めたのは5年前で、そのときは由真ももちろん、共通の友人ともすっかり疎遠になっていた。

「あなたの文章を読むと、改めて独特な人なんだなあと思うと同時に、懐かしい気持ちがしました。喋っている口調がそのまま文章になった感じがしました。わたしはかなり熱心な読者なんですよ。たぶん全部の記事を読んでいます。だから、これはもう何年も前の話ですけど、あなたが「すべての努力は自己満足」と書いて炎上したことも知っています。わたしは、もちろん共感するぶぶんが多かったんですけど、なんか福園さんもイライラしてるみたいで、心配だなあと思いながら読んでいました。お父さまの障害者施設のことを話に出したおかげで、「そこに入れられている障害者が不幸。行政はきちんと仕事をすべき」なんてコメントをつけられてしまいました。

しかしあなたはそういう数々の非難をまるで無視して、翌日にはまったく別の記事を書いてましたね。「ドレミの歌」の替え歌でしたっけ? わたしは「福園さんてすごいなー」て改めて思いました。あまり面白くはなかったですけど。
なので、私はあなたが2年前にS区の工場に異動になって、かなり大変な思いをしているのも知っているのですよ。湘南ナンバーの車を乗り回している課長さんもよく知っています。あなたは課長さんのことを、「何も考えていないと早くから宣言しているが、本当に何も考えていない、空っぽの人」と相当嫌っていますが、腹の底では彼の能力を認め、あるぶぶんでは尊敬していることがよくわかります。これもあなたがよく言うことですが、「嫌いと好きは関心がある点では同じ、だからすぐひっくり返る」ということでしょうか? 本気であなたを気遣ってくれる、仲の良いパートさんもいるみたいで、わたしは、福園さんはキツいキツいと言うが、案外充実してるじゃないか、なんて思ってしまいます。
何にせよ、わたしはあなたには二度と連絡をとらないと決めていました。けれど、あなたの「十字路」を読んだら、どうしても言いたいことがあったので、こうしてメールしたのです。

少しひとりで書きすぎてしまいましたね。ここまで書いて、読んでもらえてなかったら空しいので、ここでいったん切ります。この続きはお返事をいただいてから書くことにします。福園さんも、わたしに対して思うところがあると思うので、返事をどうするかはあなたにお任せします。手紙って不思議ですね。相手がいなくても、なんだかおしゃべりしたみたいな気になります。

そうそう、肝心のことを書くのを忘れていました。
「十字路」の笠奈はわたしのことですね?」

歩道橋(1)

新しい職場に来てもうすぐ2年が経つ。そこは新設された工場で、私はそこの現場監督として赴任した。国道17号線沿いにあって上空を覆い被さるように首都高が走っている。そばに大きな歩道橋がかかっていて私は毎朝そこを渡って通っている。工場側がS区の4丁目で、向こう側が5丁目だ。
1年目は車で通ったが、今は電車で通勤している。車は今年の夏にエンジンに穴が開いて水が漏れ、構わず走っていたらそのまま壊れてしまった。ずっと痰がからんだような音がボンネットからしていた。修理費用の見積もりをとったら20万かかるというので、そのまま廃車にした。中古の白いトヨタ車で7年乗った。
電車に乗ると工場まで2時間かかったが、途中で寝たりできるので体の負担は減った。眠くないときは環さんにLINEで愚痴を言った。環さんは工場がオープンしたときに採用したパートだ。
「今日も課長に怒られました。今月で仕事やめます」
「それは残念です。せめてS区の名産のメロンを食べてからにしてみては?」
「メロンは夕張市だけだと思ってました」
「S区のメロンは有名です。福園さんはお仕事ばかりだから知らないかもですが」
「じゃあS区も財政は相当きびしい?」
「何を言ってるんです。S区はとてもお金持ちで各家庭に純金の柿の種が配られてますよ」
「メロンじゃないんだ(笑)」
「メロンは高いから(怒)」
(怒っているスタンプ)
環さんとのやりとりに私は癒されたが、いつでも好きなときにできるというわけではなかった。彼女にも家庭があるのだ。私が帰るのは9時とか10時だから、洗い物とかお風呂に取り組んでいるのだろう。ドラマを見ているかもしれない。返信がこないとき、私は電車内をぼんやり眺めて過ごした。中吊り広告が昔より減った気がする。同乗する人が年下ばかりになった。中学生がスーツを着ているように見える。私は9月で40歳になった。以前電車で通勤していたのは10年前で、そのときは高田馬場まで通っていた。年下の上司に毎日いびられていた。その人は小さい「っ」を大きく発音する人で、例えば「な《《っ》》てます」というのを「な《《つ》》てます」と言った。わざとだった。「のだめカンタービレ」が好きでよくクラシックを聞いていた。ユニセックスぶっていたが腕毛がどうしようもなく濃かった。私は仕事のミスをねちねち言われた後、よくトイレに行くふりをして会社を抜け出し、神田川の川面を眺めていた。そのときは愚痴を言う相手がいなかったのだ。

「すみません。返事遅れました」
「大丈夫です。すみません、なんて言われるとこっちも悪いと思っちゃうから気にしないで」
「でも、福園さんを電車内でぼんやりさせちゃうの忍びなくて」
「大きなお世話です(笑)」
「ゲームとかしないんですか?」
「だいたいすぐ飽きちゃいます。ドラクエウォークもダウンロードはしたけれど」
「うちの子もやってましたよ。最近やたらと遠回りして帰ってくる」
「足腰が丈夫になっていいと思います」
(「なんじゃそりゃ」のスタンプ)
「本とか読まないんですか?」
「たまに読みます。今ちょうど自分の小説を読んでいたところ」

高田馬場を鬱になってやめた後、私は自宅療養しながら小説を書いていた。元々高校時代に書いていたことがあって、そのときは仲の良い友人や教師に読んでもらっていた。

(「びっくり」のスタンプ)
「自分の、て自分で書いたってことですか?」
「はい」
「作家さんだったんですか?」
「いや、書いたことがあるってだけです」
「そうなんだ」
「一度芥川賞の候補になったこともあるのですよ」
芥川賞ってなんですか?」

小説を書くとブログに投稿し、Twitterで宣伝をした。同じような人が集まり、お互いの作品を読んで感想を言い合った。私の小説は「重厚」とか「緻密」と言われた。今思えばやたらと長ったらしいのをそう表現しただけかもしれない。ぜひ読んでみたいと環さんは言った。

「読めるんですね? 芥川賞候補(笑)」
芥川賞はウソです。ていうか芥川賞知ってるだろ?」

私はそのときちょうど読んでいた「十字路」を、自分のブログに公開することにした。ただし読んでいて退屈な部分もあったので、3分の1くらい削った。ちょっとだけ待ってと言うと「怖じ気づいたんですか?」とからかわれた。「環さんにわかるよう難しい漢字を直してるんです」と言い返したが、返信はつかなかった。
「十字路」は私が大学を卒業したころを舞台にした話だった。バイトを3つかけ持ちしていて、その中の塾のアルバイトで出会った女性との恋愛の話だ。私は大学を卒業してから2年ほどぶらぶらしていた。環さんは普段は本を読まないと言うから、原稿用紙10枚程度で区切った。20話近くになった。小出しにして反応を見たが、公開した翌日には「次お願いします」と催促してきた。

「本当に読んでますか?」
「読んでます。お台場ドライブ行きたい!」
「夜は何もないけどね」
「観覧車乗りたい」
「観覧車は動いてないです」
「あ」
(「しまった」のスタンプ)

そんなやり取りを話の終わりまで繰り返した。環さんは私が思ったよりも熱心に読んでくれ、女学生が自殺した場面では「ショックなんですけど......」とコメントし、「ミキちゃんがかわいそうだけど、私が親なら同じことしないとは言い切れない」と言った。ミキちゃんの妹は障害児で、両親はそのことを世間からひた隠しにしようとしていた。しかし私はそのことについてわざと濁していて、笠奈は障害児や家のことについてはすべてミキちゃんの嘘だ、と主人公に教えた。笠奈とは主人公の恋愛の相手だった。弁当屋のそばに住んでいる。環さんは端から嘘をついているのは笠奈のほうだと思っていた。
「笠奈もかわいそうだけど、ちょっと被害者ぶってるところがある」
環さんの言葉で、私はこの小説が笠奈とミキちゃんがカードの表裏になっていて、どちらかの肩を持つと自然ともう片方が悪くなってしまうことに気づいた。

「笠奈は福園さんの元カノですか?」
「彼女じゃないです」
「振られちゃったんだ? かわいそうに」
「いや、フィクションなんで(笑)」

フィクションだからといって、モデルがいないとは限らなかったが、環さんはそれ以上突っ込んでこなかった。私は少し物足りなかったが、無理やり聞くのも野暮だった。環さんは主人公は私そのものだし、語りの口調も朝礼のときみんなの前で喋るのとまんま同じだと言った。翌朝の朝礼で私が意識したのは言うまでもない。
「最近外のトイレが部外者に使われている形跡がありました。稼働時以外は施錠しますので、閉まっていたら声をかけてください」
張り切ってしゃべったら、声が途中で裏返ってしまった。環さんはマスクをしているので、聞いているのかいないのかわからなかった。

その日の帰り道「別のも読んでみる?」と話を振ると「ぜひぜひ♪」と返ってきた。

由真からメールがあったのはその夜遅くなってからだった。