意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

歩道橋(8)

Nとは人の名前でもちろん由真のメールでは名前が記載されているが、小説に載せる際に私が置き換えた。イニシャルではなく、記号である。Nがどんな人物なのかについて、もちろん私はよく知っているが、この場での説明は控え、由真の話を待ちたいと思う。
由真の「メール」を小説にすることを持ちかけたとき、由真は細部は変えてもいいが、大筋についてはそのまま掲載してほしい、と条件を出してきた。私はそのときNについても書くのだろうと予感した。由真は私がNについて、嘘をつくことを恐れたのである。

「由真はなんだか、ずいぶんもったいぶる女なんですねぇ」
前回の「メール」を読んで、環さんがそうLINEしてきた。
「そうですね。たぶん、Nについて書くのを避けたいんだと思います」
(意味不明、のスタンプ)
「ちょっと意味がわかんないです。書きたくて書いてるんじゃなくて?」
「そうなんだけど」
「福園さんはNを知ってる?」
「知ってます」
「誰なの?」
「それはとりあえず、由真が言うのに任せようかと」
「ふうん」「女?」
「ノーコメントで(笑)」
(ガーン! のスタンプ)
「じゃあいいです。もう聞かない」
「たぶん、自分が言うと、由真のメールの意味がなくなっちゃうから」
「福園さんも、もったいぶるんですね」
「ごめんなさい」
「謝らないでください。わたし、思ったこと言ってもいいですか?」
「はい」
「由真は、ひょっとして福園さんの身近にいませんか?」
「え?」
「愛人、とか」
「だとしたらどうします?」
「最低」
「由真とはずっと会ってません。それは彼女の話の通りです。自分は、彼女がどこに住んでるかも知らない」
「なら良かったです」
「良かったのかな?」
「由真も、何か嘘をついている気がして」
「この前は『福園は嘘つき』て言ってたよ」
「わたしが?」
「肝心のことを言ってないって」
「いつ?」
「小川さんの送別会のとき」
「全然記憶ない。飲み過ぎたのかな」
私は内心安堵した。あるいは、忘れたふりをしているだけかもしれない。
「甘えちゃったのかもしれない」
「誰が?」
「わたしが」
「ふーん」
「とにかく、わたしは福園さんのこと信じますよ。福園さんは実在するんだから」
「でもいつまでいられるかわからないけどね」
「またクビになるって話ですか? 飽きました。福園さんが課長に気に入られているのは明らかです」
「気持ち悪いこと言うなよ。吐きそう」
「そういえば体調はどうなんです?」
私は風邪を引いて、仕事を休んでいた。
「良くなってきました。洗濯機も3回回せた」
「は?」
「いや、晴れてたし」
「ちゃんと寝なし!」
「明日は仕事行きます」

なんて言いながら熱が下がらず、その後も2日も休んでしまった。金曜の朝、バスに乗っていると知らない番号から着信があった。バスを降りてからかけ直すと環さんで、休むことの連絡だった。
「ごめんなさい。わたしも風邪引いちゃったみたいで」
電話の環さんは鼻声だった。休みの連絡はLINEではなく、電話で行う。
「福園さんは、だいじょうぶ?」
「今日から復帰しました」
「良かった。みんな寂しがってましたよ」
「うつしちゃったのかな?」
「LINEでも菌が飛ぶんですねぇ」
「ていうか、誰の携帯でかけてるの?」
「あれ? あそうか。これは、わたしのじゃない」
そう言ってすぐに電話は切れてしまった。しばらくかかってくるのを待っていたが、そのままだった。用件は済んでいたので、私の方からもかけ直さなかった。

歩道橋(7)

「福園さん

返信ありがとうございます。そうですね、「ノルウェイの森」をわたしが借りたとき、わたしはマレーシアに短期留学することになっていました。当時のゼミの先生の知り合いの家に、ホームステイすることになったのです。飛行機で移動中の暇つぶしがほしいからと、あなたに本を借りたのでした。日本を経つ前日に、あなたと駄菓子屋の脇の塀の前で待ち合わせたのでした。どうして忘れちゃったんでしょう? 「十字路」の中でも笠奈がアメリカに留学しますね。主人公がそうしたように、福園さんもわたしに絵ハガキをねだりました。でも、小説とちがって、わたしはちゃんとあなたに出しましたよね? 忘れちゃいましたか? でも、わたしも留学そのものを忘れちゃったんだから、おあいこですね。わたしは当時22歳で、その後の人生がこんなに長く続くなんて思ってもみませんでした。10代のうちにおぼえていられたことは、死ぬまで忘れずにいられるんだと勝手に思っていました。

お体のほうは大丈夫ですか? 年末が近づくにつれて、土曜日の出勤が増え、平日も遅くまで残業しているとのことですが、うまく休まないと、倒れてしまいますよ。朝うまく起きられなくなった、というのも心配です。産業医の面談が来週予定されているとのことですが、今度はちゃんと真面目に受けてくださいね。

春頃にも一度面談を受けたことは、ブログにも書いてあったので知っています。テレビ面談で小太りの医者に「野菜を食べて運動するように」とアドバイスを受け、何のアドバイスにもなっていない、とあなたは嘆いています。その後で
「よくよく考えると小太りは医者ではなく、人事部長だったのかもしれない」
なんて書いています。福園さんのブログは終始こんな風にとぼけていますが、なんだかそのときは、ちょっと怖い気がしました。そもそも精神科医の面談というところで、尋常じゃないかんじがします。あなたはその少し後から、長い「五月病」にかかってしまいました。夏になるまで、休日はずっと横になって過ごしていたと書いています。ブログの更新も、徐々に滞るようになりました。

福園さんは、「みんなを苦しめているのだから、仕方ない」なんて言っていますが、果たしてそうなのでしょうか? わたしはそばにいるわけではありませんが、もう少し周りの方の言っていることに耳を傾け、字句通りに、素直に受け止めた方がいいですよ。なんせ福園さんは独りよがりのところがあって、また、他人の言うことを曲解するクセがあります。

あと、わたしに会いたいという話ですが、もう少し後にさせてください。少なくともわたしの「メール」が終わるまでは待っててほしいのです。そうですね、遅くとも年末までには終わっていると思います。わたしの言いたいことを全部聞いてもらって、それから判断してください。

けれど、これだけ長い文章を書いていると、わたしの「言いたいこと」も、どうでもいいような気がしてきました。正直いって、何が言いたいことなのか、よくわからなくなってきています。福園さんは「由真の文章はとても面白い」なんて書いてくれますが(福園さんは、わたしの方が年上なのに、呼び捨てで呼びますね)、なんだか担がれているみたいな気がします。本当は仲の良い例のパートさんと、わたしのことを笑い物にしてるんじゃありませんか? もちろん好き勝手言われるのは覚悟していますが、そう思うと、なんとなく書き続けるのが億劫になってきます。わたしも「五月病」になっちゃったのかしら? でも今はもう12月です。部屋の模様替えでもして、少し気分を入れ替えます。

でも、福園さんは、ほんとうにわたしに会いたいですか? なんだか福園さんをがっかりさせそうで、正直わたしは怖いです。もう最後に会ってから、13年も経っているのですよ? 変わってないはずがありません。そもそも、あなたは最後までわたしのことを好きになってはくれませんでしたよね? いつの頃からか、わたしはあなたとの共通の友達に
「福園さんと2人で何度も出かけたが、ちっともそういう雰囲気にならなかった」
とこぼすようになりました。もちろん、冗談っぽく、ですよ? おそらく、あなたの耳にも入っていたと思います。けれど、それでもあなたの態度は何も変わりませんでした。

もちろん、それらはわたしの独りよがりで、またある意味卑怯です。わたしが本当にあなたが好きなら、きちんと恋人とお別れしてから、あなたに気持ちを伝えるべきなのです。わたしの彼は当時母親が病気で、わたしともあまり会えていませんでした。仕方がないとわかっていましたが、彼に当たってしまったこともありました。そういうこともあって、福園さんに気持ちが傾いていたのかもしれません。けれど、人の好き・嫌いのバックグラウンドなんて、なんでもいいような気がします。だまされ続ける覚悟があるなら、それはそれでいいのです。

一方で「十字路」の中では、主人公と笠奈はつきあっています。笠奈の気持ちはかなりアヤシイですが、2人でデートをしています。わたしは読んでいて、少し心が苦しくなりました。自分の、もうひとつの未来を見せられたような気がしたからです。わたしは福園さんとお台場にも行ったことはありますが、昼間に行ったことはないし、当然観覧車に乗ったこともありません。もちろん、小説の中の2人は、あまり幸せな風にはなりませんでしたが。それでもわたしは、笠奈がそうだったように、もっとあなたから特別な目で見られたかった。

こんなことを書くつもりはありませんでした。文章というのは、書き続けると、自分をさらけ出さないわけにはいかないものなのですね。もし、不快な思いをさせたらごめんなさい。でも、何にせよ、もう昔の話です。わたしが当時の恋人と結婚し、子供が生まれたことは福園さんもご存じのはずです。あの後に、もうひとり生まれたんですよ。女の子で、小学4年生です。その頃にはもう福園さんとは連絡を取り合っていなかったから、その子のことは知らないはずです。とても頭が良くて、人気者で、クラス委員をやっています。こんなこと言ったらいけないのだけど、わたしは下の子の方が好きです。

話がずいぶん遠回りしちゃいましたね。関係ない話もずいぶんしました。では、そろそろNの話をしましょうか」

歩道橋(6)

「夏になってわたしは福園さんと2人で飲みに行きました。夕方6時に駅で待ち合わせました。わたしは学校帰りで、あなたは家から自転車でやって来ました。イトーヨーカ堂の前の、ゲームセンターの2階の居酒屋だったと記憶します。薄暗くて店内にデジタルジュークボックスがあって、雰囲気のあるお店でした。お通しにはポップコーンが出てきます。「十字路」の中でも主人公と笠奈が飲みに行くシーンがあります。わたしはすぐのこのお店のことを思い浮かべ、読んでいてとても懐かしい気持ちになりました。ジュークボックスにあなたがお金を入れ、ビートルズを流したことがありましたね。「オブラディ・オブラダは人生はブラジャーの上を流れるって歌詞だよね?」と真顔で語っていたあなたを思い出します。福園さんとは色んなところに行きましたが、この居酒屋がいちばんの思い出です。当時わたしには恋人がいましたが、お酒がまったく飲めない人だったので、福園さんと2人で酔っ払うのはとても楽しかったです。あなたは帰り際、いつも「楽しいことが終わるのは寂しい」と弱気になりました。わたしが「また企画すればいいじゃない」と励ますのがお決まりのパターンでした。

それから塾内の他の人とも遊ぶようになって、ドライブに出かけたりしました。小説ではお台場へ出かけましたが、秩父にも夜景を見に出かけたり、寄居の湖へ、肝試しに行ったこともあります。あの頃は今思えば本当にエネルギーがあり余ってたんですね。あなたはコンビニの早朝のアルバイトをかけ持ちしていましたが、夜通し遊んで出勤することも何度かありました。「寝ないで行くの?」と聞くと「30分寝る。まったく寝ないのはツラいから」と答えてきて、本当かよと思いました。その後真っ青な顔をして働くあなたを、からかいに行ったこともあります。あなたは
「バイト終わったらおぼえていろよ」
とにらんできましたが、もちろんその頃には家に帰って寝ています。

そのうちにあなたはコンビニのアルバイトの人も連れてくるようになって、徐々に輪が広がっていきました。その人たちに聞いたのですが、福園さんは当時あまり学校に行っていなかったのですね。何かとても仲の悪い人がいるとのことでした。バイト仲間の中に、あなたと同じ学校の人はいないので、確認はできませんでしたが。わたしが学校について聞くと、あなたは
「週に2回は行ってるから大丈夫」
と謎の答えをしました。一体何が大丈夫なのかさっぱりわかりません。わたしは教職もとっていたから、平日はぱんぱんに授業が入っていて、土曜に授業がある日もありました。宿題やレポートも山ほど出されます。
「レベルの低い学校だから、授業が簡単なんだよ」
とも言っていました。聞くと学生は最初に、分数の割り算を習うそうです。特別な計算ではなく、小学生が解くやつです。
「馬鹿しかいないんだよね。うちの学校」
だから学校へも行かず、バイトをかけ持ちして忙しく働いているというのでしょうか? そうは言っても学校へ行っていない日は何をしているのでしょうか。わたしがしつこく聞くと
「人間関係が面倒くさくて」
と本当に面倒くさそうに答えました。じゃあわたしといるのも面倒くさい? と思わず聞きそうになりましたが、黙っていました。「基本的に人が好きじゃない」とも言っていて、やはり独特な人なんだと思いました。もちろんわたしは傷つきましたが。

福園さんは本を読むのが好きだったんですね。親しくなってくると、やがてそのことがわかりました。学校へ行っても図書館に入り浸るか、映像室へ行って北野武の「ソナチネ」を繰り返し見ているとのことでした。オススメはあるかと聞くと、村上春樹の「ノルウェイの森」と教えてくれました。当然のようにわたしは「読みたいから貸して」と頼みました。あなたは「長いから」と渋りましたが、貸してくれました。わたしと福園さんの家の間のちょうど中間にある、駄菓子屋の脇で待ち合わせして、わたしは本を受け取りました。夏の終わりの午後で、どうしてそんな場所で会ったのか、今ではおぼえていません。福園さんはおぼえていますか? あまりシフトが重ならなかったのかしら。とにかくわたしが到着すると福園さんはレンガ塀の脇で自転車にまたがったいて、これからわたしに貸そうとする本を読みふけっているのでした。

ノルウェイの森」の感想については、笠奈が言ったとおりです。「十字路」自体も、かなり意識したんじゃないかと思うぶぶんもありました。主人公の言い回しとか。

共通の友人が増えてくると、わたしと福園さんがつき合っていると思う人も出てきました。わたしたちはそれくらい仲が良かったんです。飲み会では、わたしが頻繁にレモンの皮を福園さんに投げつける場面が見られました。福園さんは「ふざけんな」と怒りましたが、決して本気で怒っていないことは、もうわかりきっていました。わたしは人数のいる飲み会では、わざと福園さんの遠くに座り、聞こえよがしに福園さんを悪く言ったりしました。
「福園さんには心がない」
当然福園さんにその声は届かないのですが、わたしはなんだかそれが理不尽な気がして、レモンの皮や、割り箸の袋だのを投げつけたのです。
心のない福園さんについて、誰かがそれをオズの魔法使いのブリキの木こりみたいだ、と言いました。以来福園さんのあだ名が「ブリキの福園」、「ブリ園」、「ブリキ」になりました。福園さんは「うるせー」とか「センス0」と言い返しましたが、まんざらでもない様子でした。あなたは注目さえされれば、内容はなんでも良かったのです」

歩道橋(5)

由真のメールを受け取った週末、会社の送別会があった。辞めるのはパートさんで、半年勤めた人だった。環さんも参加していたので、チャンスがあれば由真のメールについて話がしたかった。メールは昨日公開したから、まだ読んでいないかもしれない。LINEで通知をしたが、なかなか既読にならなかった。
会の直前まで仕事をしていて、結局開始時間に間に合わなかった。なるべく課長に悟られないよう、定時をすぎても慌てることなく、仕事を一段落させてから会社を出た。草野さんは5時半くらいからそわそわし出して大変見苦しく、帰り際も「じゃ、先に行ってるね」なんて小声で言ってくるから周りにバレバレだった。あるいは私の方が気にしすぎなのかもしれない。普通に「送別会あるんで」と言えば済む話なのだ。
店に着くと私以外は揃っていて、入り口のそばの席しか空いていなかった。私の向かいの席には誰も座っておらず、さらに隣は草野さんだった。
「やっと課長から逃げ出せたの?」
酒が飲めないくせに、草野さんはだいぶ上機嫌だった。私が時間がかかったのは、ちょうどいいバスがなくて歩いてきたためで、課長は6時を過ぎるとさっさと帰ってしまっていた。私がその後戸締まりをした。私は「ええ、まあ」と適当に返事をした。
「どうして掘り炬燵じゃないの? あと、全然個室じゃねーし」
私はコートを預かってくれた幹事の女性に悪態をついたが、
「絶対そう言うと思った」
と笑われただけでちっとも相手にされなかった。仕方がないのでビールをすすりながら草野さんの話に適当に相槌を打っていた。向こうも私のことが鬱陶しそうだった。店内は騒がしくて、草野さんは私が無視していると思ったのかもしれない。やたらと店員の威勢のいい店だった。私はぼんやりと壁の貼り紙を眺める時間が増えた。生ビールのジョッキを抱えた、やたらとスタイルのいい水着姿の女性がこちらを見て微笑んでいた。まだこんなポスターがあるのかと私は驚いた。鶏の鍋がコンロにかけられてぐつぐつ言っていたが、あまり食べたいという気になれなかった。私は猫舌なのである。
「そんなこの世の終わりみたいな顔しないでください」
そう言って私の向かいに座ったのは環さんだった。環さんはそれまでいちばん奥の、壁際の席に座っていたので、話すに話せなかった。私が面食らっていると、環さんは「上司相手じゃ福園さんも楽しくないでしょ?」と言いながら私に鍋をよそってくれた。
「環さんの家はここから近いの?」
「はい。イオンのそばです」
「イオンはどこにあるの?」
「イオン知ってるんですか? 福園さんちのほうにはありますか?」
「一応知ってます。うちのほうにはそんな大きいのないけど」
「せいぜいイトーヨーカ堂ですか?」
「イトーヨーカ堂はもうつぶれたから」
「過疎化ですか?」
「いや、そうじゃなくて」
すっかり調子を取り戻した私は、ハイボールを立て続けに2杯飲んだ。環さんも同じ物を頼んだ。
「由真は実在するんですか?」
酔いが回ったところで環さんが聞いてきた。読んでくれたの? と尋ねると今日来る前に読んだ、とのことだった。
「どう思う?」
「わたしは、いないと思います」
煙草に火をつけながら環さんは答えた。
「どうしてそう思うの?」
「だって」顔を横に向けて煙を吐きながら、環さんは笑った。「由真はわたしのこと、存在しないって言うじゃないですか? だからわたしも」
私は由真が言っているのは、私の小説を読む人間が存在しない、という意味で環さんそのものの存在のことを言ってるわけじゃないと説明した。
「だから、おんなじことじゃないですかー。わたしは福園さんの書いたの読んでるんだし」
と環さんはむくれた。私も確かにそうかもな、と思った。だいぶ酔いが回ったのかもしれない。戸惑う私を見て環さんがクスクス笑っている。普段とはまったく違う笑い方だ。
「だいたい、わたしは笠奈だって好きじゃないんです。自分のことしか考えてないんだもの。ミキちゃんがかわいそう」
「ミキちゃんは考えてるの?」
「ミキちゃんは中学生だからいいの!」
「ふーん」
「でも、由真が福園さんを『よく嘘をつく人』と言うのはわかります」
「え? 俺、環さんには自分をさらけ出してるけど?」
「そう? いちばん肝心なことを言ってないですよね?」
肝心なこと? と聞き返そうとしたところで、トイレから戻ってきた小川さんが私の隣に座り「お世話になりました」と挨拶した。途端に環さんが「小川さーん」と泣き声を出す。それと同時に机の影から私に紙袋を手渡した。中には小川さんに渡すプレゼントが入っている。私に予算を確認し、イオンで買ってきたものだ。私は参加者に声をかけ、小川さんにプレゼントを渡した。
「じゃあ来月からも、よろしくお願いします」
「いや、もう2度と来ませんから!」
小川さんの“2度と“の部分に場内がどっと沸いた。
「福園さん、すべっちゃったねー」
と草野さんがあきれたように言った。

歩道橋(4)

「福園さん、こんにちわ。

返信ありがとうございます。実はこの数日、あなたから連絡くるのかドキドキしていました。来なきゃそれはそれでいい、と思って出したくせに、どこかで期待しちゃうものなんですね。
わたしのメールを小説に掲載する件、了承しました。細部の変更については、基本的にはお任せします。わたしは、「矢崎由真」としてあなたの小説に登場するのですね? なんだか突然よそ行きの服を着せられたような、変な気分です。もちろん、よそ行きの服でも言いたいことは全部書くつもりです。福園さんも細部は変えても、わたしの書いたとおりに載せることを約束してくださいね。あ、そうか。これからは「福園さん」と呼びかけた方がいいのかな? (※ここまでのメールでは私の本名が書かれていた)なんかそれってあなたの罠のような気がしますが。まあいいです。わたしも由真のつもりで書きますね。

さて、先ほど「言いたいことは書ききる」と宣言しましたが、少し遠回りしたいと思います。あなたは「当時のことは結構忘れてしまって」と書いて寄越しましてます。ていうかひどくないですか? そこは本当に忘れていても、大切な思い出とか言ってほしかったです。と言いたいところですが、わたしもたぶん、たくさんのことを忘れたり、思い違いをしているから同じです。だから、少し当時のことや、わたしたちの関係について、お互いに書いて答え合わせをしませんか? おそらく、あなたもそれを期待してるんだと思います。だって、この文章も、会社のパートさんたちに読ませるんでしょ? あなたがどういうつもりで、その人たちに読ませているのかわかりませんが。あなたは「小説を書く間は、一切他のことが考えられなくなる」と書いています。そのせいで何度も電車で降りる駅を乗り過ごしたり、あるときは季節の秋と春を取り違えたりしています。あなたはひょっとしたら、何かしらの救いを求めて、書いているのかもしれませんね。だとしたら、「読んでくれるパートさんたち」も本当にいるのか、ちょっとあやしいです。何しろあなたは本当によく嘘のつく人でしたから。

どこから書きましょうか? 前回はあなたが塾に入ってきたときのことを書きましたね。あなたは梅雨に入る直前くらいにやってきました。ほんとうは3月に面接を受けたそうですが、そのときはちょうど講師と生徒の人数が合っていたため、声がかからなかった、とあなたは言っていました。わたしが基本的なことを教えました。あなたは細かいチェックの半袖シャツを着て、髪は茶髪で、少しパーマがかかっていました。しきりに「こんな身なりで大丈夫ですか?」と聞いてきたので「問題ないと思います」と答えました。確かに少し派手な感じがしましたが、優しそうな雰囲気だったので、生徒も怖がらないだろうと思ったのです。実際あなたと仲良くなると、見た目どおりに穏やかな人だとわかりました。ちょっとすると、すぐにふざけたことを言うようになって、年上のわたしのこともからかうようになりました。けれど、それで嫌な気持ちになったことはありません。基本的に、あなたはわたしのことを、ものすごく気遣ってくれました。

生徒さんに対してもそうだったのでしょう。あなたのブースは常に笑い声が漏れていました。あなたに聞くと「あまり上を狙ってないから余裕がある」と言ってましたが、レベルに関係なく、きちんと勉強をしなければ成績は下がります。定期テストの結果がふるわなければ、塾長の沢松さんに怒られてしまいます。わたしも楽しい授業を心がけていましたが、時には厳しくしなければいけないときもありました。

あなたについて、もう一つ不思議なことがありました。それはあなたが授業の終わりに、ものすごい早さで報告書を書き上げて帰ってしまうことでした。「十字路」の中では塾長に会いたくないから、とそのことについて書いてましたが、あなたの帰る早さについては、塾内でもちょっとした話題になっていたんですよ。報告書の作成はだいたいの講師が苦手で、また沢松さんの突っ込みが容赦なく入るので、それだけを極端に嫌がる人もいました。ただ、お互いに書き方のアドバイスをしたり、また沢松さんも遅くまでかかっている講師に声をかけたりジュースをおごったりしたので、雰囲気はとても良かったんです。沢松さんも時には冗談を言ったりして、あなたが書いていたような悪い人ではありません。ちなみに沢松さんが乗っていたのはBMWです。

報告書は、塾長が不在のときは、デスクの上に置いて帰る決まりでした。あるとき、あなたの置いていった報告書を何気なく見てみると、学習内容や次回のテーマがきちんとまとめられていて、わたしは感心しました。今思えば、あの頃からあなたは、文章を書き慣れていたのですね。ブログには、中学生になったら突然文章が書けるようになった、とありました。

とにかく、あなたについて不思議なことがあっても、あなた自身は他の講師と接点がないので、奇妙な人として、塾内では見られていました。沢松さんも「月末くらいにか顔合わさないけど、本当に来てる?」とわたしに聞いてきました。そんなあなたに、わたしは俄然興味がわいてきました。それは、わたしが教育係だったから、という責任から生じたものでしたが、もっと純粋に、あなたという人を知りたくなったのです」

変わるとか変わらないとか

彼氏に大事にされないのが嫌だ(再追記しました)

珍しくあまり同調できるコメントがなかった。一緒に行くとが同じ趣味を持つとか、あとは諦めるとかそれはもう一歩先の話だと思う。別れるとか論外。まずは自分が快く思っていないこと、寂しいことを伝えるべきだと思う。たぶん書いた人は彼氏が好きで、好きだから逡巡しちゃうんだと思う。しかし、伝えなければ関係は悪くなるだけである。彼氏は変わらないかもしれない。そうしたらそこから自分がどうすればいいのか考えればいいと思う。もちろん最初から譲歩したって構わない。彼氏の気持ちはわからないが、好きでつき合ってるなら、変わるかもしれない。変わらなくても変わろうと努力すればそれは違うのかもしれない。やってみなければわからない。何にせよ、何も知らされなければ、彼氏がかわいそうだ。彼氏にチャンスをあたえてほしい。勝手に結論を出されて、突然別れを切り出されるのは気の毒だ

歩道橋(3)

由真のメールは翌日の昼休みに読んだ。工場は人数が多いので昼休みは2交代制で、12時の人と13時の人がいる。私はどちらでも良かったので、中途半端になってしまうことが多かった。午前中は毎日課長とのミーティングでつぶれ、それが長引くと14時からお昼ということもあった。予定が詰まっていると昼そのものがなくなることもあった。
「福園くんさ、仕事は博打じゃないんだから」
が課長の口癖だった。生産計画の遅れを指摘され、対策について却下され、切羽詰まって「とにかくやりきります」と宣言すると言われるのがお決まりのパターンだった。私は「すみません」とうなだれるが、これは峠を越えた合図でもあり、ここからは下り坂になる。課長はかつて自分がいた工場のことを語り、「生産倍増プロジェクト」のときのエピソードを披露した。そこからヒントを得ろというのである。参考になるところもあったが、「生産倍増プロジェクト」なんていかにも頭の悪そうなネーミングのせいで、イマイチ話が頭に入らなかった。課長は工場設立にあたり、外部からスカウトされた人物だった。一方の私は元々営業所の商品管理だったので、工場経営は素人であり、どうあがいても課長に太刀打ちできなかった。
「それでは私はクレーム対応を、午後から行いますので」
そう言ったのは草野さんで、草野さんは係長で私より役職は上になる。悪い人ではないが杓子定規なところがあって、仕事は毎日定時であがる。仕事がつまるとパニックを起こすのが特徴で、それでも残業をしないのは、前の仕事で月の残業が150時間を超えて鬱を発症したためだった。残業ができないことは会社側も承知していて、それでも係長なのだから仕事ができる人なのだろうが、起こすのはパニックばかりだった。

テレビの会議の後、2時半ころにサンドイッチを頬張りながら由真のメールを読んだ。思ったより長かったので途中で一度中断して歯を磨いた。課長も草野さんも外に食べに行っていない。昨日まで雨が続いていたが今日はよく晴れていて、外にいると汗ばんだ。通りには幼稚園帰りの子供が親に手を引かれて歩いていて、その向こうは住宅街だった。隙間を埋めるように柿の木やチェリーの木が植えられている。来週からぐっと気温が下がるとのことだった。11月だった。

正直由真が「十字路」を読むことは想定していなかった。メールにあるとおり、私と由真が知り合ったのはH市の旧道沿いにある、マンツーマンの学習指導塾だった。マンツーマンだったので大勢の生徒を相手にするわけではなかったが、その分時給は安かった。私が入ったときに色々世話をしてくれたのが由真だった。由真は私に勤怠方法やテキストの場所や、報告書の書き方を教えてくれた。基本的な授業の進め方を教えるために、実際と同じようにブースに2人で並んで座った。講師は名札をつけることになっており、それを見て下の名前を知った私は、早い段階で「由真さん」と呼ぶようになった。その後は「十字路」と同じように夜中にドライブをしたり、一緒に飲みに行ったりする間柄になった。「十字路」はそういった記憶を元に書かれたが、それでも由真が笠奈のモデルになるのかというとそれは別問題だった。由真のことについて私は多くのことを忘れてしまった。ただし、「十字路」が最初に書かれたのは7年前で、その頃は今より由真のことについて多くをおぼえていたのかもしれない。

由真と最後に会ったのは確か12年前で、そのときは生まれたばかりのナミミちゃんに会いに行ったのだった。とても小さい子で、未熟児として生まれてきたと聞いた。母親の方が退院しても、子供の方が黄疸が出るというので、一週間くらい保育器の中に入れられたそうである。

3時になると作業者たちが休憩をとるために外に出てきた。ほとんどが煙草を吸うためであり、喫煙所は事務所のそばにあった。ぼんやりと通り過ぎる人々を見ていると、その中に環さんがいた。仲良しグループの数人とじゃれ合っていて、その様子が女学生のように見える。私はさっそく環さんに、由真のメールのことをLINEで報告しようと思った。環さんは何度も
「笠奈は実在するんですか?」
と聞いてきたから、由真のことを知ったら驚くに違いない。しかし「元カノ?」と聞かれるのも鬱陶しいので、当分はやめておくことにした。