意味をあたえる

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本を探す

昨日アドラーの「嫌われる勇気を買おうと思い、本屋に」行ったら、なかなか見つからず、もしかしたら売れてしまって売っていないのかもしれない。最初心理学のコーナーを見て、それから自己啓発のコーナーを探したが、見つからない。自己啓発のコーナーで「あ」のところを見上げていたら(たいていの「あ」は高いところにあるので)リュックを背負った灰色のTシャツを着た男が前に急に割り込んできて、仕方なく私は「な」とか「ゆ」のコーナーを探さねばならない。無駄かのかもしれないが、この五十音順は著者名の順かもしれない。しかし、自己啓発本を読む人はもっと周りに対して謙虚でなければいけないから、この人は自己啓発本を読む資格がない。あるいは、読む必要はない。

しかし何度探しても見つからないから諦めても良かったが、ここの本屋は検索の端末があるから、岩波新書コーナーの脇に行って、検索してみたら
「在庫あり」
とあったから、私はこれからも探さなければならないと思い、憂鬱になった。私は探し物全般が苦手で、特にお店で買いものをするとき、特にホームセンターは最近ではかなり店舗が大きくなってきていて、その中で目的の物を探そうとするがなかなか見つからなくて、いつもイライラし、途方に暮れ、諦めるときもあれば見つかるときもある。普通の買い物なら良いが、仕事中の買い出しは遅かれ早かれ買うという選択肢しかないから辛かった。

とにかく在庫はあるし、置いてある場所も地図で指し示されているから、容易に見つかるとはずなのだが、私は地図を読むのは不得手ではないものの、とにかく単純な記憶がダメで、しかしそんな私のような人のために、地図は印刷できるようになっているのだが、そのちゃちなレシートに印刷された地図は、目的の本が見つかった瞬間にゴミとなってしまうから、初めからゴミとなるとわかっているものを所持するのが私は嫌だから、なんとか画面を記憶しようと目を見開く。私は思うに、よく見れば記憶できると長い間思ってきたが、それはどうやら間違いで肝心なのは記号化というかシンボル化というか、とにかくとっかかりを作ってそれを脳に焼き付けるというのが記憶するということだと、最近気づいた。もちろん記憶力に不自由な人は見たまま覚えればいい。しかし私なんかは車を立体駐車場に停めると、調子が悪いときは何階だったかもわからなくなるときがあり、なにか目標物を覚えておくと良いですよ、とアドバイスをもらったときもあったが、目標物というのは、行きと帰りで見え方が違うから、やはり覚えられない。そんな人のための記号化、である。よくよく駐車場の柱などに注目すると、AとかBとかアルファベットが書かれていて、つまりそのアルファベットを覚えればいいのである。

私は本を探している。だからこの駐車場の作戦を応用しようと思い、地図全体を覚えるのではなく、キーワードを探し、そうしたら人文コーナーと語学コーナーの間にありますよとのことなので、人文、語学、を覚えれば見つかりそうだと思った。そうして「トップに戻る」を押すと、端末はどういうわけかそのままシャットダウンしてしまった。それで棚の見出しに私は注目するのだが、驚いたことに人文も語学もなかった。私は見出しのチョイスを間違えたのである。見出しには大見出しとか中見出しとかあって、私が覚えたのは大見出し、棚に書かれたのは中見出し、と言ったところだろうか。私は再び途方にくれ、まあそのうち見つかるだろうと思ったら、なんと「嫌われる勇気」はランキングコーナーにあり、私はまさかこんなに絶好調に売れているとは思っていなかったから驚くとともに、しかしいくら売れていても、全冊をランキングの棚に持ってくるのではなく、何冊かは売上平凡コーナーにも持ってきても良いと思った。