意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

腰の調子が良い

1ヶ月半くらい前にサッカーを見に行ったら、駅からスタジアムまですごく離れているので長く歩いたらそれ以来腰の具合が悪くなった。半月ほどして、子供の授業参観の時に、もう立っているのがつらくなって教室を抜け出し、しかし学校という場所は教室以外極端に椅子のないところであり、しばらくうろうろしてから渡り廊下の読売新聞の写真版の掲示板の前でしゃがんで痛みがおさまるのを待った。立っているときは痺れをともなった痛みがあるが、座ったり寝ころんだりすれば短い時間で痛みはリセットされた。だから私はしゃがんだ。しかしただしゃがむのでは通りかかった人に不審に思われたり、もっと厄介な場合だと心配されて声をかけられたりするから、あくまで私は“読売新聞が読みたいものの、目が悪いからやむを得ずしゃがんでいる“風を装った。読むといってもそれは子供が容易に食いつくような写真ばかりの記事だから、写真の中に知っている顔を見つけたという風を装おうか。とにかく私は常に何かを装っていないと、周りの目が気になって気になって、何もできなくなってしまうのである。読売新聞写真版は、私が小学のときもあった。掲示板の脇には姿見があって、平成○年卒業生寄贈、と書かれていてそれは私が卒業した年だが、それは卒業してから設置されるので、私には馴染みがなかった。私はそこの卒業生であった。もうそれから20年以上が経つ。だからこの学校の生徒はもちろん、若い先生が生まれる前からその姿見はあったのだ。私に置き換えると、昭和50年とか、47年、と書かれた椅子や机を眺める感じか。椅子にはサビが浮き、机は穴ぼこだらけだった。机の引き出しの下側と、フレームをつなぐ横棒の間の隙間に雑巾をはさみましょう、と先生は言ったが、他の子はきれいに物干しに干したようになるのに、私のは隙間がせまくて雑巾を広げられず、仕方がないから隅っこに突き刺すように干した。一年生はまだまだ握力が弱く、雑巾掛けなんてしたことのない子たちばかりだから、掃除が終わって机の下に雑巾を干すと、五時間目が終わる頃には床に水たまりができた。私が小学校の頃は、寂しかったり憂鬱だったりそういうことがたくさんあったが、一度大人になってしまうと、全部の子供が図々しくて馬鹿者で、悩みなんて皆無という風に見えてしまうから困る。

授業参観のあと、妻と一緒に病院に行きレントゲンを撮ってもらったら、手術するほどでもないが、良くなるとも悪くなるとも言えない、と言われた。妻によるといつもの先生ではなく、いつもの先生は学会があって代打の先生が来ているとのことだった。おかげでいつもより空いてると妻は言うが、私には空いているように見えなかった。妻は元から肩と首が悪くてそこにかかっていた。私たちは最初別々に保険証を出した。妻の後ろに私が並んだ。帰りは私のほうが早く終わり、そうしたら妻のぶんまで会計を払わされた。