意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

文章力という言葉からの卒業

ブログを読む人の中には書く人も大勢いるわけだから、文章力の向上のために云々という記事は定期的に目にするがたいていは「この本を読むと向上しますよ」というような医者の処方箋のような記事ばかりで、何を持って文章力なのか、美しい文章とはなんなのかについて触れる記事は少ない。私は昨日も同じ類記事を読んで、そもそも文章力という言葉は存在するのか、誰かがどさくさに紛れて勝手にお尻に「ー力」と付けただけではないか、と考えた。例えば「営業力」という言葉はあっても「経理力」「総務力」とは言わないわけで、何でかというとやっぱり営業は力に物を言わすわけだからだが、「文章」もそんな感じでいいのか。文章でお金を得たいというのなら、「営業力を高める文章」がより正確な言い回しなのではないか。どうしてそんな細かいことにこだわるのですかと訊かれれば、私はそういうのはよけて歩きたいからちゃんと標榜してくださいよ、という話なのです。

あと美しい文章というのも私にはぴんとこなくてよく川端康成が美しいですよと書かれていたりするが、それも誰かの「美しいです」と書いた物の受け売りだったりするのでその誰かが書いた「美しいです」を読みたいのだが紹介する記事が美しくないから私はいつまでもたどり着けない。

一方でわくわくする文章というと私の中でぱっと、エイモス・チュツオーラと山下清が浮かび、どちらかと言えば私の中で最初からエイモス・チュツオーラの「やし酒のみ」という小説が頭に浮かび、それに合う形容詞を探し続けていた。これは子供の頃からたくさん小説を読んできた、書いてきた、という文章に慣れ親しんだ人ほど読めばぶっ飛ぶ内容だが、もちろん読んでも文章力は向上しないから特段オススメはしない。しかし読むとこれでいいんだ、と思う。ベケットもそうだ。私が今途切れ途切れで読んでいる「事の次第」という小説は「、」も「。」もない。こんなものがよく世に出回っていると思う。たぶん「ゴドーを待ちながら」とか一部の戯曲が受けたから出版できたのではないか。しかしこれも小説だ。

さっき「これでいいんだ」というふうに書いたが、例えば「長い文でも一切「、」がなくてもいいんだ」みたい意味の「これでいいんだ」である。そういうことを言うと「それはベケットだからいいのであって、素人のあなたが真似したって、とても読めたもんじゃないよ」とか注意する人がいるが、それは完全に間違っている。実例として昔私がドラムをやっていたときに「ドラムマガジン」という雑誌にLUNA SEAというバンドの真夜というドラマーのインタビューが載っていてその中で真夜は
「最近じゃクリック(メトロノーム)なんか無視して思い切り叩いてますよ」
と語っていて、私はそれが愉快で当時世話になっていたライブハウスの人にそれを言ったら、
「それを真に受けちゃダメだよ」
とたしなめられた。それを鵜呑みにした私も愚かだったが、言った人も相当愚かだ。確かにそこから袋小路にハマるパターンもあるが、それは「テンポとはなにか」と、一段上から音楽を考えるチャンスだったのである。現代のドラマーはメトロノームに合わせられなければ、絶対に仕事などこないと言われるが、しかしメトロノームの音というのは、決して点ではなく、特に遅い曲ほどそれは顕著だが、だとしたら決してど真ん中に合わせなくとも曲としては成り立つはずなのである。これは今振り返ってみての私の解釈だが、当時その考えに至れば曲に対する見方も変わったのである。よくテレビでカラオケ番組などで素人が歌うのを見ると、歌はずれてなくてもふわっとなる箇所があってそれはテンポからは外れているのである。

話を戻すが私はよく「」の中に「」をそのまま入れ子にするが、人によっては中の「」は『』にするのがルールではないか、と考える人がいて私もそうだと思うが、私が「」を入れ子にするのは山下澄人という小説家がそうしているからで、私は自分のブログを読んだ人に山下澄人の小説を読んだ私のような気分になってもらいたいから真似しているのである。山下澄人は「」の中に「」があって、しかも中の文がとてつもなく長かったりするので読んでいるうちに「があったことを忘れ、不意に」が出てくると、誤植か? と思って「をさがしに行ってしまうのである。しかし仮に「だけで、」のない文章があっても、それは少しもおかしなことではない。私たちは「読みやすさ」とか「主張」からもっと解放されるべきである。

一方で私は最近仕事でもよくメールを打つようになり、「何言ってるかわかんない」と言われることもあり、この人は馬鹿じゃないかと思っていたら私がやたらと長い文面のメールを受け取るハメになり、一生懸命趣旨を拾いながら、「なに自己陶酔してんだ馬鹿やろう」と悪態をついた。会社という場所は私を含めて誰でもバカになってしまう場所で、したがってメールを打つにしてもバカに言って含めるような言い方を心がけなければならない。会社における「文章」とは、文章ですらない。