意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

キースジャレット

先日キースジャレットが大阪でキレたというニュースを読んで、再びキースジャレットを聞くようになった。というかYouTubeのリンクが貼られてて見たらその歌が良かった。
前に聞いていたのはバッハのカバーで、また、モーツァルトの曲もやるのだが、それは確かにいいのかもしれないが、音数が多く、少し忙しいので音数が少ないのがいい。あと、あまりジャズっぽくない方がいい。
そういうのを聞きながら、聞いている間は暇なので、そのときはベランダの手すりを眺めていたのだが、やっぱり風景が違って見える。なんでかというと、風景をじっくりと見ざるをえないからだ。そう気づくと、私たちは、いかに普段何も見ていないかを痛感させられる。普段私たちがじっくり見るものって、テレビか、スマホくらいですよね?しかもそれは、その中で何かが展開されて、動いていくから見るわけで、電源入っていなかったら、1秒だって見ちゃいない。「真っ黒の画面」と認識するのに、1秒もかからないからだ。
でも、今日なんかも子供の付き添いで目医者にいたのだが、めちゃくちゃ混んでいて結局3時間近く待合の椅子に座っていた。茶色い皮の長椅子が10列くらいあって、1人で座っていたのだが(子供はすでに名前を呼ばれて中待合にいる)1番後ろの席だったが、1番前の椅子の手前にはテレビがあり、そのテレビの画面の右上にはカクカクした文字で「ビデオ1」なんて表示されてたので、古いテレビなんだな、と思った。ブラウン管のようだ。懐かしいなと思った。でもこの"懐かしい"は自分でわざとそう感じようとして、感じた感じがする。
しかし放送されていた内容はとても酷かった。義理の両親宅へ伺った場合のマナー、なんて誰が見たいのか。大皿をテーブルのどこに置くかなんてどうでもいい。私は1番後ろの席、と述べたが当然音声は聞こえないが「いや、意外ですよねー」と言う司会者の言葉が、聞こえなくてもそう言っているのがわかった。なぜわかるのかと言えば、つまり、テレビとは「意外な」ものをひたすらダラダラと流す装置なのだ。

ところで話は変わるが最近ではスマホを持つのをやめたいなと思っている。スマホで流れてくる情報にも、いい加減飽きてきたからだ。しかしこのブログはスマホから書いている。
困ったものです。