朝、私は車で会社まで向かうのだが、そこに至るまでの道筋については3種類くらいあり、最近また変えたところだ。しばらくまっすぐ行ってからガソリンスタンドのところを左に曲がるのだが、ここをまっすぐ行ってしまうと、途方もないところに向かってしまう。
例えば今この瞬間に、私の全細胞が一気に細胞分裂を起こし、新旧が1度に入れ替わってしまったら、私の記憶は全部消えてしまうだろうし、そうしたら一体どの道を選択したら会社へ行きつくのかわからなくなってしまうので、とても困る。それどころか会社へ向かっているのか、万座温泉(マンザレグの変換候補に出た)に向かっているのかもわからなくなるし、車の運転もできない。都会の人は知らないだろうが、田舎道は国道であっても、道端には側溝があり、そこには柵も何もなく、ハンドル操作を少しでも誤れば、瞬く間に脱輪し、タイヤがハマってしまう。どうしてそんな危険なつくりの道が、なんの対策もされずに放置されているのか、甚だ疑問である。
私たちは季節というのは例えば春ならば、気を抜くと春が永久に続くものかと勘違いする瞬間が時にはあり、私の通勤路は少し前まで菜の花だらけであったがいつのまにかそうでなくなった。しかしこれは人間の主観の問題で、実は菜の花の黄色に慣れてしまった視覚が、もう黄色という色を認知しなくなったのかもしれない。菜の花は一年中咲いている。逆に私は去年の今頃は、田植えを終えたばかりの水を張った田んぼが、鏡のように平でとても綺麗であったと思ったものだったが、今年は全くそうは思わない。どうしてかと考えると、去年とは違う通勤ルートを通っているためであった。