意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

私なりの多少は歪んだ公平なものの見方

昨晩見た夢について書くが、私は夢の中で昔のことを思い出している。だから本当はそれは夢ではなくて、ただぼんやりと思考を巡らせているだけなのかもしれないが、時間などははっきりしていないし、やはりある程度は寝ている。さらには思い出している私というベース部分が普段とはかなり違っていて、考えている内容は覚醒しているときと大差ないが、それを受け止める私は、どこか別人のような風情がある。とある自己啓発本に書いてあったが、寝ているときは、人間は全ての洗脳が解けている状態だという。じゃあ私は洗脳されているのか? という話になりそうだが、私たちは生きていく限りなんらかの洗脳はされている(もしくは自分でかけている)状態であるという基本スタンスなので、自分の洗脳が解けた、と思っても驚くことはなかった。本当に洗脳が解けたかは知らんが。
それは今から15年くらい前の話で、私はそのころセブンイレブンでバイトをしていて、そのころのセブンイレブンのバイトの制服は今と違って男は緑色、女は赤色、となっていて、その赤色の女の子の中に、とても難しい読み方の苗字の女の子がいて、私はなぜかその子と初めてバイトをした日のことを今でも覚えていて、その子はまだ入って間もない人で、その日はお菓子が納品されてくる日だったので月、水、金曜日のどれかで、私たちはお菓子に値札をつけながら並べていく。私は少なくとも1年はそのバイトをしていたので、よく仕事のことはわかっていて、その子は「ガムにも一個一個値札つけるんすか?」と聞いてきて、私は細かいのはいいよと教えた。

ところでその前日には子供の運動会があり、私とその子供は同じ小学校に通っていたが、私のころは9月に行っていた運動会は、震災以降5月に変わってしまった。
地球温暖化のせいだよ」
と話したのは、幼稚園の園長だった。園長が小学校の運動会に来ていたのは、孫がここの小学校の4年生だったせいだ。さらに園長は私の義父と数年前に一緒に神社総代をやっていて親しく、たまたま義父が私たちのシートにいたので声をかけてきたのだ。
しかし5月に変わったところで暑いのは同じだった。すると今年から、子供の応援席にはテントが張られるようになり、私はそのことを妻から聞いたときに、「それでは運動会らしくない」と不機嫌になった。妻は応援席の場所取りのために先に学校を訪れ、見慣れない白いテントを発見した。私は運動会の応援とは、直射日光に当てられながら、真っ赤な顔をしながら行うことに醍醐味があると思っていたので、今の子供は可哀想だな、と思った。しかし、すぐに私は自分の子供の時だって、私からすれば全ての基準は私の子供時代となるが、周りの大人からすれば、今の子供は随分恵まれているよな、と思った人は大勢いたことだろうから、私が可哀想だとか、軟弱だ、とか思うのはなんだか可笑しい気がしたので、私は笑った。すぐに徒競走があって、ゴール付近にはカメラを構えるたくさんの人の姿があって、携帯電話すら構えようとしない私は、暑くて頭がぼうっとしてそこまで頭が回らないんだよ、という風を装って、走ってくる子供よりも、むしろ親たちの真剣な表情に見とれた。