意味をあたえる

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祭りのあと

シャッフルをして音楽を聞いていたら、流れた、桑田佳祐の「祭りのあと」が。私はその時たくさんの汗を書いていた、もとい、かいていた。走っていたからだ。走りながら、仕事関係のことを、というか、人間関係のことを考えていたので、今日は走っている時間は短く、か、ん、じ、た。
ノグチがいなくなって、昨日派遣元のオバちゃんが、ノグチの荷物を取りに来た。あわれなノグチは、鬱になってしまったのだ。あんなに張り切っていたのに。張り切り過ぎていたのかもしれない。H・Kくんは、そもそも彼はそういうキャラではなく、無理をしてそういうキャラを演じていたのではないか、と分析をした。日頃から、なんとなく感じていたとのこと。私はこういう後出しジャンケン的な分析は、卑怯だと思う。ノグチが自分の部屋から出られなくなったという事実が発生してから、逆算して彼の表情や行動から、予兆として相応しいものだけを、当てはめただけではないのか?
だから、私は堂々と「全く気づかなかった」と言ってのけた。馬鹿丸出しである。そして、ノグチはそのうち鬱を克服して戻ってくるような気がしたのだが、私はこういう時に割と楽天的にものを考えてしまう癖があるだけの話だった。
ノグチは私物のラップトップ等は持ち帰っていたので、残った私物についてはこのまま処分してもいい気がしたが、派遣のオバちゃんは「パーカーがあるはずだ」と言ってきた。私たちは全員目が点になった。何故なら、ノグチは大変暑がりで、真冬でもアロハシャツ一枚で出社していたからだ。パーカーなんて見たことがない。私はこう考えた。ノグチは私たちになんらかの恨みを持っていて、パーカーを私たちが勝手に捨てたと言いがかりをつけ、弁償させようとしているのではないか、と。しかし、そんな大事にはならず、派遣のオバちゃんは、「お世話になりました」と頭を下げて帰って行ったとさ。