意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

今日は休みです。

今日は休みなのですよ。でも自分だけ休みだとなんだか落ち着かない雨も降ってきたし。さっきから爪を切ろうか悩んでいる。あとモラージュに行こうかとも悩んでいるが、しかし2時までには帰らなければなりません。娘が帰ってくるのです。娘はまだ1年生です。私が迎えに行くとまだ喜ぶとしなのです。だから私は坂を登り、途中には犬を散歩させているおっさんがいて、おっさんは坂の途中の庭の広い家の前で、黄色い実のなっている木の前で立ち止まり、注意深く見上げている。私が「おはようございます」と声をかけると、「いいのはみんな鳥に食われちった」と言い、私はだからなんなんだと思った。この男は以前にも近所の竹藪から筍を勝手に取ってきてしまい、地主に大目玉をくらったそう。そのときも「ほっとけばみんな青竹になっちまう」と言い訳をしたのかもしれない。しかし私は大目玉をくらった、という言い回しに思わず吹き出してしまった。のどかでいいなと思った。しかし、実際妻がこの話は教えてくれたのだが、妻にはそれほどの語彙はなく、「大目玉」という単語はあとから私が用意したものである。