意味をあたえる

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人生の終わりを聴きながら事故りそうになる

今日の帰り途に橋を渡った直後の土手から、軽自動車が飛び出してきて、ぶつかるほど急ではなかったが、私がブレーキを踏まなければぶつかっていたので、相手の運転手は目測を誤ったことになる。一瞬見た顔は中年女性であった。しかしこの女性は精神的なストレスを感じると、たとえ軽微なストレスでも思考がストップしてやりかけていたことも途中で放り投げてしまう性格で、私と前の車の車間距離が微妙で自分の車が入れるか入れないか悩んでいるうちにヒューズが飛んだのかもしれない。

しかし、ヒューズ、とは一体なんだろう?私にはよくわからない。電気関係なのはわかるが、今でも電化製品などには使われているのか。小学3年か4年の頃クラスでミニ四駆ブームがあり、私も何台か所有していたが、ある時友達の1人が小さなヒューズをくれ、「これを使えばミニ四駆がめちゃ早くなるよ」と教えてくれた。しかし、どのように使うかについては教えてくれなかったので、電池をひとつ外してそこへ入れればいいのか、しかしヒューズの方が小さすぎてスカスカになってしまうな、と悩んだ。
ところで、こういう回想エピソードで「友達」が登場すると、とても仲の良さそうな雰囲気が漂うが、実際は私はその人のことが嫌いであった。

車がぶつかりそうになった時にかかっていた音楽はイエローモンキーの「人生の終わり」であった。少ししてから人生の終わりを聴きながら本当に死ぬなんて、奇遇だな、と思った。なぜ奇遇なのかと言えば、私はいつもiPhoneをカーステレオにつないで音楽を聴いているが、今月くらいから全曲をシャッフルしてきいているからだ。
しかし、たとえこの曲を聴きながら死んだとしても、本当に死ぬ時は音楽どころではないので、人生の終わりがかかっているなんて、自覚できないだろう。