意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

子供の頭蓋骨に座る

私がソファに座りドラえもんを観ていると、娘が私の足元に潜り込み
「私の顔に座ってみて」
と言ってきた。私は体を半分くらいソファに残したまま、娘の顔に座った。私の臀部に、娘の頭蓋骨がきしむ音が伝わり、私の頭の中はレントゲン写真のようなイメージでいっぱいになった。もちろん私はこの行為に夢中になっていたわけではなく、視線はドラえもんのストーリーを追い、その証拠として今日のドラえもんの話を紹介するが、紹介とはつまりドラえもんの場合、道具の説明をすれば済んでしまうのだが。
のび太が持っているのは「正」という字が縦に3つ並んだのぼりであったが、最初私はその道具の意味がわからなかった。最初の方はいい加減に見ていたせいである。のび太がのぼりを持っている間は、世の中の全ての尺度、法律や倫理に至るまでが、のび太に一存される。周りの人々は催眠状態になっており、たとえのび太が理不尽な要求をしても、周りは何の疑いも抱かずに、黙って従うのである(ドラえもんも含めて)。
しかし道具の提供者であるドラえもんまでが、道具に踊らされてしまうのは奇妙である。最終的に風が吹いてのび太ののぼりは飛ばされて、しかも運悪く神鳴さんの敷地内に落ちてしまったことから、のび太ユートピア、あるいはディストピアは破綻する。しかしそんな偶然によって運良く自我を取り戻したドラえもんを初めとする人々であったが、そんな風にドラえもんの道具の管理のずさんさが浮き彫りになった回であった。
ドラえもんが終わったらクレヨンしんちゃんが始まるのだが、時計を見たら7時44分だったので変だなあ妻と話し、娘は足し算はできるが時計はまだ読めないので、何が変なのかはわからなかった。でも8時からMステやるし、と思ったらドラえもんは実は録画したものを観ていただけで、間も無く画面はストップした。
もちろんその間ずっと娘の顔の上に座っていたわけではなく、ほどなく「終わり」と宣言され、私はソファに戻ったわけだが、娘は目がよく見えないと騒いでいた。

ところでここらで、今日は書くのをやめようと思ったが、再びタイトルを見た時に、どこかで似たタイトルを見たと思ったら、それは「子供の指につつかれる」というタイトルだった。たしか。