意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

アフター・タイフーン

台風は、黒い雲を残して去って行き、私が仕事を終えたのは夕暮れで、雲は少しずつ自発的な夜の闇に吸い込まれて行った。雨が降るかもと思っていたら降らなかった。
ヤマダ電機の交差点を過ぎたところで、眉毛のない親子を見かけ、正確に描写するなら母親とひとりの娘の組み合わせであり、母親は自転車に乗っている。そして眉毛のないのは母親だけである。娘は小学2年生くらいで、自転車上の母親に甘えているように、赤信号で待つ私には見えた。しかし母親は、そんなことはちっとも嬉しくないような顔をしていた。

妻に「走るの?」と聞かれたので走ることにし、走るのは随分久しぶりであった。汗をかいた。私はいつもiPhoneで音楽を聴きながら走ることにしているのだが、私は最近は音楽と言えばジャズばかりきいているからやはりジャズをかけながら走るべきだが、走る時は歌ものが良い。しかし妻に電話をし、コーラを買ってくるように頼んだら、不意にジャズでもいい気がした。
ペプシね」
「ネモちゃん?」
ペプシだって」
「ネモちゃんが飲みたいっつってんの?」
「俺だ」
(ところで、ジャズ、ジャズ、と言うが、もっといい言い回しはないものだろうか。音楽的センスを疑われそうだ)
私はミュージックアプリの「その他」項目をタップして「ジャンル」を選択し、ジャズをシャッフルして再生した。Jという曲が始まった。そして30分くらい走り、ゴール直前になぜか桑田佳祐がかかった。歌はボブディランの天国の扉的な歌曲だ。サビにきてふと桑田佳祐の声の後ろで、女性のコーラスが聞こえた。私は、こういうのが聞こえてくると、その女性の人生だとかをつい想像してしまうのである。私はこの女性に「けーこ」という名前をつけた。けーこは真面目にボイストレーニングを積んで、音楽に身をやつし、それなのに注目されるのは桑田佳祐ばかりで、けーこには全くスポットライトが当たらない。たしかこのアルバムは出てから20年近く経つので、けーこも50歳近いのではないか。親はまだ生きているのか? 親の遺産で揉めていないか? 人は誰でも平等なはずなのに、なぜけーこのような人が出てきてしまうのか。