意味をあたえる

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ロンドンハーツ

私の頭の中はいま、狩野英孝がつくった映画のことでいっぱいだ。先ほど、午後7時頃、妻に勧められてロンドンハーツの録画放送をみた。私は特に興味はなかったが、とても面白いから見てほしいと言われたので、見た。見てみると、予想したとおりの展開の部分もあったし、予想外の部分もあった(映画の内容も含めて)

私は狩野英孝は仕事であるから、あらかじめドッキリであるであると聞かされて映画撮影に臨んだと思うが、妻は決してそんなことはないと主張する。しかしそれはどちらでもいいことであった。

私が映画について、よくわからなかったのが狩野英孝の借金を取り立てにきたのは、実は金融業者ではなく、最初から狩野英孝の味方であったのかどうかだ。あるいは、金融業者ではあるが、借金そのものがでっち上げで、強盗犯と観客を騙すために、序盤の取り立てのやりとりがあったのかもしれない。だが、取り立て業者は、その後狩野英孝の部屋で残高が2000万円ある通帳を見つけて喜んでいたから、やはり借金は確かに存在していたのだろう。しかし借金は1000万円という話だ。差額の1000万円はいったい何に使うお金なのか。

ところで観客席には映画評論家のひともいたが、この人に会ったことがあるという人と、先日まで私は一緒に仕事をしていた。映画評論家、という回りくどい言い方をしたのは、その人の名前はだいたいわかるのだが、漢字が思い出せないので書けないのである。その、映画評論家について、私はその人の性格についても聞いたのだが、それはものすごくいい人とも、悪い人とも判断できる言い方をしていた。あるいは、私はテレビはほとんど見ないので、そういう漠然としたイメージしか記憶に残らなかったのかもしれない。その人の話では、芸能人とは、性格が悪い人も大勢いるが、たまにはいい人もいるという話であった。