意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

目がみえない人のための音楽

娘が、私のPCが置いてある机の脇にキスマイのCDがほっぽってあり、それはなぜかといえば、それをiTunesに落とし込んでiPhoneに入れるためなのだが、CDを開けられないほうの娘の話なのだが、私はケースの開け方を教えてあげた。するとそのケースは2枚組であり、私はもう考えなくてもCDとDVDだとわかったのだが、娘は小学1年生なので、こんなこともわからない。幸い私は機嫌がよかったので、CDとDVDについて教え、これは私の教育方針というか考え方なのだが、例えば
「こっちのは絵が出るやつで」
なんて言わずに
「DVDは映像のデータも入っている」
と言葉に容赦しない。だから理解していないのかもしれないが、親のほうがこの理解度をどこまで理解できるのか怪しいものなので、下手に歩み寄ってもエネルギーの無駄である。
そうしたらやっぱり理解していなくて、そもそもなぜ2枚なのかは理解できずに
「こっちは目がみえない人用?」
とCDを指して言った。目がみえない人用に別の音楽が用意されているなんて、滑稽である。いや、茶化してはいけない。娘は将来差別主義者になるのではないかと、危惧しなければいけないのだ。
逆に考えると、私のように目が見える人が音楽を聞くなんて間違っている気さえする。目が見えて、耳も聞こえる人は、映画を観れば良い。私は本などは熱心に読むが、本は耳が聞こえない人のものなのだ。

話は変わるが、私はここ2週間はいっていないが足繁く図書館へ通っており、それはひとりのこともあれば、子供を連れて行くこともある。もちろん下の子だ。上の子は活字から独立(活字離れ)している。図書館のカウンターの上には点字の図書が数冊置いてあり、私は冗談かと思って開いてみると、真っ白な見開きがただでこぼこしているだけである。注意をしなければ手垢で汚してしまいそうだ。その表紙には東京電力の会社のロゴが小さく印刷されており、東京電力から寄贈されたものなんだと私は思った。よく見ると東京電力のロゴは、点字のように見えるが、本来は違う意味合いなのだろう。