意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

良い会話、良いセックス

私は、少し前まではここで書く文章というものにも、少しくらいは手応えのようなものを感じることもあったが、さいきんでは最近ではあまりそういうのがなくなり、いざ書こうと思っても書くことがないな、と思うようになってきた。いや、あるのだ。私が1番恐れているというか、逆にいちばん安心する瞬間というのは、ある程度書いてきたものを消してしまうことである。その理由はひとつしかなく、つまらないから。つまらないものを載せなくていいというのは素人の強みというか、唯一の武器と言っていいもので、逆にこの武器を手放した素人はもうオシマイである。だから、私はツマラナイ文章が書けると、むしろ安心できるのだ。

今朝、ブログを更新したが、しかしながら、結構長い文章を書いた気がする。それでもなっとくができないのは、それが夢の話であるからで、夢の丸写しというのは、なんだかズルをしているような気になってしまう。ちなみに、先の話は書いている途中で疲れてきたので放り投げるように終えたが、続きを書くと、建物の2階に上がると、その建物とは私のおばあちゃんちとそっくりであり、そういえば私が最後におばあちゃん家の2階に上がったのはいつだったのだろうかと、これは起きた後の話であるが、考えてしまった。おばあちゃんちの2階とは父の実家の2階のことであり、父は男の3人兄弟である。したがって、2階には部屋が3つあり扉はドアもあればガラスの引き戸もあった。私は3部屋全てに入ったことがあると記憶するが、どれがどの人の部屋なのか、当時も今も知らなかった。そのうちの一室にはエロ本があり、裸の女が股に真っ白い縫いぐるみを挟んだ状態で写っていた。それを見たときの私にはすでに性欲はあったのか? おそらくあっただろう。自慰をおぼえた年齢かどうかはわからないが、ふと、私が子供のころに通っていた床屋には待合に週刊大衆という雑誌があり、その冒頭には女の乳房が写っており、私はそれを見るのを楽しみにしていたのを思い出した。だが、今の私がそれを見ても、おそらく興奮しないだろう。そう考えると週刊大衆とは、子供向けの雑誌だったのかもしれない。

床屋のことを思い出したから床屋のことを書くが、その床屋とは私の家のすぐ裏にあり、私はそこへ行くときにいちばん不安だったのは、そこの老主人が、きちんとそこにいるのかということだった。というのもその床屋は年中閑古鳥であり、しかし老主人は老人なのであまり生活に困っている風ではなく、客がいないときなどは、同じ敷地で飼っているニワトリの世話をしてたりするのである。床屋の裏口の玄関には、鳥の飼料の袋がどしりと置かれていた。だから私が店を訪れても呼び鈴がむなしくなるだけで誰が迎えてくるわけでもなく、そうなると私は母屋とかガレージとか、そういうところを探しに行かなければならないのだ。当時の私からしたら(今もそうだが)他人の家の敷地をうろうろ歩くのはいい気持ちがしなかった。そのうち見つかることもあるが、見つからないので帰ってくることもあった。

その床屋は1階にあったが、建物は2階だてで、2階はアパートになっていて、3部屋ほどあった。3部屋のベランダは私の家のトイレの窓からよく見えた。たまにカーテンの向こうで影が動くのが見えることもあり、私はその影が女であるかどうかを、便所の格子のついた窓から、一生懸命眺めたこともあった。今の時期のように暑い日で、私の小便はぬるく、カーテンの向こうは裸の女の可能性もあった。さらには床屋の老主人の孫は私のひとつかふたつ年下であり、幼い頃にはアパートの入り口につながる外階段で、外階段は肌色の塗装がところどころはげていたが、そこでグリコをして遊んだ。バイナツプルとチヨコレエトは6段上がれるくせに、グリコは3段にとどまるのはどうしてもバランスが悪く、当時の私からしても我慢ができないところがあった。