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意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

日曜日よりの使者

速読 音楽
ハイロウズというバンドの曲に表題のようなタイトルの曲があり、私は「日曜日よりの」というのは「日曜日からの」という意味だろうな、と思いつつ、「日曜日寄り」という意味である可能性もあると思い、それは五分五分ではなくても六四か七三という割合で私は考えていて、さらに日曜日寄りであるなら、つまり土曜か月曜のことを指すのであり、どちらであろうかということも考え、歌詞とは聞き手に解釈は任されるのだろうから、どちらでもあるのだろうと思った。後日友達にそれを言ったら、やはり「寄り」の解釈はないらしく、笑われた。

なぜこんなエピソードを書いたのかと言えば、私はつい3時間ほど前までいて、本屋にいたのだが、そこで「新世界より」という本が目に入って、そのことを思い出したのだ。やはりこのタイトルだって本当は新世界寄りの旧世界を扱ったのかもしれず、しかしこういうのはまるで
「私の感性は特別なんです」
と自己主張しているみたいで寒いのでやめる。

ところで私はてんで興味がないのだが、妻やその友達が猫ちゃんが好きで、猫ちゃん関連の本のコーナーにいて、私もそこについて行ったのはもう疲れて帰りたいからプレッシャーをかけようという狙いがあった。妻は「○○ちゃん、ありがとう」という本を読んでいて、しかし妻は文章などろくに読めもしないので、眺めていただけだろう。○○ちゃんとは、猫ちゃんの名前が入るのだが、猫ちゃんといえばただ可愛い可愛いとひたすら写真ばかり載せる本だと思ったが、最近はこうやって感動とか涙とかを誘う本もあって、猫ちゃんも大変だなあと思った。妻はこの猫ちゃんが死んだのかどうかひたすら気にしていたが、私はどちらでも良いと思った。読んで悲しんだとして、読みてはまるで当人の悲しみを分け合ったような感覚を覚えるが、それは全くの錯覚でありエゴイズムであり、私たちは単に著者の経済活動に寄与しているだけだということを、理解しなければならない。

私は昔「さおだけ屋はなぜつぶれないのか」という本を読んだことがあったが、なぜつぶれないのかについて書かれていたのは、好意的に見ても前半の3分の1くらいであり、悪意的に見れば5分の1程度だった。あとは著者からしたら関係のある話なのかもしれないが、私はさおだけ屋がなぜつぶれないのかを知りたかっただけなので、余計な情報と言っても良かった。もちろん私は本来なら余計な情報とか無駄な知識とかは好きなのだが、この手の本は、無駄を省くというか、なるたけ効率的に知識を吸収し、それを余すことなく人生に生かす、というか獲得収入を1円でも増やすことが目的だろうから、やはりさおだけやが潰れないカラクリを説明したところで筆を置くべきではないか、と思う。

しかし「さおだけや」の色眼鏡で見てみると、本屋にあるほとんどのビジネス書の類は、やはり最初の3分の1を読めば充分ではないかという気がする。たぶんこの手の本を書く定石として、「1番面白いところから書く」というのがあるだろうから、3分の1だとして、じゃあどこの3分の1なのか迷う必要はない。よく速読というものが取り上げられるけど、速く読むよりも、後ろ3分の2を諦めてしまう方が、よほど早くて効率的に知識を得ることができるのではないだろうか? しかしビジネス書の最大の弱点というか矛盾は、他の人を出し抜けとか生き残るために、みたいな主題を取り上げながら、そこに書かれている言語や文章は比較的容易で多くの人に理解されてしまうことであり、さらには本を購入することで著者の財布を潤してしまうことである。この世界は椅子取りゲーム、などと言いながら、限られた椅子のひとつをこの著者に確保させてしまうのである。