意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

不安な気持ち

私は今日の昼休み中に不安というか憂鬱な気持ちを抱いており、なぜこんな気持ちになっているのか考えてみると、私は2日ほど前にAmazonでDVDを注文したが、どういうわけか発注ボタンが2度押され、同じものを2つ購入してしまったために起因した気持ちであった。このようにその出来事について忘れてしまい、忘れてしまうというのはつまり、別に返品すればいーやと、自分の中で結論は出ているものの、気持ちというか感情は必ずしも理屈に追随しないから、次のことを考えていても、憂うつな気持ちは残っている。

こんな風に書くと憂鬱な、という形容は的外れというか、本当はもっと別な言い回しがあるような気がするが、私の場合憂鬱で正しい。何が憂鬱なのかと言えば、ちゃんと返品ができるかどうか憂鬱なのだ。もちろんそれは手段のことではなく、手段についてはすでにiPhoneの小さい画面の小さい文字をしつこく追ったのでやり方は理解している。問題は私のやる気の方で、きちんと面倒臭がらずにできるかを心配している。私は極度の面倒臭がりで、注文履歴に同じ商品名が並んだのを確認した時点で、頭のどこかでは、
「まあ同じものが2個並んでもそれはそれでいいのかもしれない」
と思ってしまうのである。あるいは友達にあげてもいい。こころよく受け取ってくれる友達はいる。人によっては売るという選択肢も視野に入れるだろうが、私の場合はない。売るくらいなら譲る。友達からお金をもらうなんて、なんか他人同士みたいで嫌なのである。友達相手にお金儲けなんてもってのほかである。この前も友達とミュージカルを見に行ったが、先に2人分払ったのは私であるので、これは厳密に言えば立て替えという行為であるから、私は堂々と請求すればいいのだが、なんだか請求した時点で友人関係が終わってしまいそうなので、中々うまく請求できなかった。

逆に私の方が払う立場だったらどうかと言えば、とにかく早く払わなければ気が済まない。だから一緒にライブとか行く時なら、もう行きの電車で財布を広げている。何かを譲ってもらう時でも、できることなら対価を払いたい。そうなると大変アンバランスであるが、私は人に好意を受けるのが苦痛なのだ。

ところでここまで書いてきたところで、今日の文章がいつになく明るい感じがして気に食にくわない。気に食わないところを挙げていくと、すぐ前の段落の「財布を広げて」その前の段落の「視野に入れる」「もってのほか」その前の段落はもうだいぶ上の方なので、見返さない。いつになく言葉を選んでしまっていて、文章にリズムが生まれてしまい、それが気に食わない理由なんだと、私は分析した。