意味をあたえる

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相対性理論

こんど、相対性理論というバンドのライブをみに行くのだが、こういう書き方をすると、まるで初めて行くような感じがするが、実際は4回目だ。しかし、ライブというのは行ったところで聞いたことのある曲ばかりがかかるし、聞いたことのない曲であればなおさら盛り上がらず、ほとんど記憶にも残らない。

ふと思い出したが、昔に同じライブに出た他のバンドの人が、この人はジャズの演奏もできるひとで、
「ジャズっていうのはオナニーみたいなもん。全員がオナニーして、気持ち良くなってるだけ」
と語っていた。私はその聞いた瞬間も、今思い返しても、その人は私たちの知らないジャズという音楽を語ることで、優位な立場を得たい。簡単に言えば自慢したかっただけであろう。私はしかしながら、その当時は少しは聞いていたような気もするが、その話を聞くときの気持ちは、初心者と何ら変わらなかった。私たちは
「へー」
と答えた。私たちはその頃はまだまだ素直で純粋だったのだ。ステージの袖の、あるいはステージから少し離れたところだったかもしれないが、楽屋で、他のバンドや私たちのバンドのギターケースやらエフェクターのケースなどが散乱していて、私はふと思い出したが、その楽屋には鏡があった。鏡がある楽屋というのは実は珍しいのである。私たちが小さなライブハウスでばかりやっていたせいなのかもしれない。楽屋の入り口が、ライブハウスとは全然違う場所に設けられているところもあったし、あるいは楽屋そのものがないライブハウスもあった。それは池袋にあった。だから私たちは西武か東武か忘れたが、そこの便所の中でステージ衣装に着替えたのである。しかし衣装と言っても、私たちが着たのはスーツであり、私などは成人式で着たスーツを着ていた。他の人なども同じだったと思う。私のスーツは黒に近いグレーで、中のシャツは茶色で、ネクタイは緑色だった。ジャケットを羽織っていない時、友達は
ボーイスカウトじゃん」
と言った。その緑色のネクタイは普通のより生地が厚く、成人式のとき、私はネクタイの結び方が要領良くできず、父親に手伝ってもらったら、ネクタイの長さが足りなくなってしまった。私はひょっとしたら、父親は今「父親らしいことをしている」と思ったのかもしれない。それで、表で待っていたら友達がお父さんの車に乗せてもらってやってきて、その友達のお父さんは、数年前に癌で亡くなった。シルバーの日産のセダンに乗っていた。もしかしたら雪が降っていた日かもしれない。私はとにかく成人式など行きたくはなかった。しかし、母親は行けと言うし、現に友達が迎えに来たのだから、行かないわけにいかなかった。ようやく私のワガママが叶えられたのは大学の卒業式のときで、そのときも母親はしつこく出ろと言ってきたが、私はバイトを入れてしまったので、もうどうしようもなかった。
「人が足りない」
と嘘をついた。確かに人は足りなかったかもしれないが、私が卒業式だからと言えば、別にオーナーだって休ませてはくれるだろう。母親もそれを見抜いているから、しかし子供の考えに任せるタイプだから、最終的には何も言わなくなった。おそらく、自分もそのように育てられたからだ。それから9年前の話になるが、そのときは夏休みで、やはり私は夏休みの部活が行きたくないと言って母を困らせた。私は最初の2日か3日は行ったのだ。しかしそれ以降は行く気はしなかった。とりあえず午前の練習で、家を出て、時には学校まで着いて、体育館脇に1年は荷物を置いていたが、ラケットをカバーから出した時に、すでに他の人はコートで何やら始めていて、私は特に遅刻したわけではなかったが、「遅い」とか言われそうでそれが癪なので、再びラケットにカバーをして家に帰った。その様子を見ていた人ももちろんいて、私は後から幽霊扱いされた。