意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

夏目漱石、こころ

どういうわけか、私の周りで夏目漱石に書かれた文章が多く、多いと言っても2つだが、代わりに村上春樹は全く見かけない、いや、さっきみた。

2つ目は「こころ」について書かれた文章であり、私は高校3年の国語の教科書で、多くの人と同じように初めて読んだわけだが、教科書はそんなに長い文章は載せられないから、半分以上端折っている。おかげで全く違う小説になってしまった。私がもし夏目漱石なら、端折るなら載せるな、と言うだろうし、そう思う人がほとんどだろう。

しかしだからと言って教科書版「こころ」が悪いわけではなく、授業中に暇つぶしに読むのにはちょうどいいし、高校3年なら割と真面目に、自分が先生タイプか、Kタイプか、と考えることができる。しかし私は話の筋はほとんど覚えていないから、先生もKも結局は死ぬから、タイプとしては同じかもしれないと、ふと思った。いや、手紙で死ぬと言っただけで、実際にはまだ死んでない? いつだったか誰かとそのことについて議論した気がする。たぶんツイッターで。

私が1番印象に残っているのは、冒頭の砂浜で先生が外国人とだべっているシーンである。良いとか、悪いとか、そういうのではなく、ただ単に残っているだけだ。確か先生はそのあと頭に着物をくくりつけて海に入ったのだ。そしてそこから先を読み進めることがなかなかできなかった。

私が「こころ」を買ったことをみんなに報告すると、友人のひとりが、彼はとても太っていたが穏やかな性格で卓球部だったので、誰も「ブタ」などといったあだ名をつけなかった。唯一つけたのは私だったが、私も彼の体型は置いといて、髪型がナポレオンの帽子に似ていたので、ナポレオン、と呼ぶことにした。

ナポレオンと私は、そのとき友達の家にいて、友達は他に3人いて私たちは徹マンをしていた。しかし私はあまり麻雀が得意でもなかったから、麻雀は他の4人に任せて畳の上に寝っ転がって絵を書いていた。私は当時女の子の絵を書くことが好きだったからである。ちなみにその部屋は半分が畳で半分が床というつくりで、床の方の壁には広末涼子のポスターが貼られていた。やがて麻雀ではこったナポレオンが私の方を振り向き、
「本当楽しそうに書くなあ」
と言ってきた。私は恥ずかしかったが、恥ずかしがっているのを悟られたくなかったので、
「うん」
といって書き続けた。「こころ」の話が完全に消えたが、その晩のどこかの会話でナポレオンが「こころかしてよ」と言ってきて、私が「いいよ」と言って、貸すことになったのだ。しかし私は長い間貸したつもりになっていたが、実はずっと手元にあり、数年前に本棚を片付けていたらそれが出てきてびっくりした。借りパクされたとばかり思っていたからだ。

ところで、そのとき徹マンをしていた部屋だが、部屋の主とは今でもたまに会うが、部屋そのものはもうずっと行っていないので、書きながらとても懐かしい気持ちになった。彼のほうも私の部屋に何度か来ていたから、やはり懐かしい気持ちを抱いているかもしれない。しかし私の部屋の方は、今は物置となって見る影も無い。ナポレオンとはずっと会っていない。