意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

天気予報

会社にはCさんという人がいて、この人はこのブログには登場したことがないし、なぜそう断言できるのかと言えば、私自身がCさんとあまり喋らないからだ。
「昨日が今日みたいな天気だったらよかったんですけどね」
と私は昼休みCさんに声をかけた。Cさんはカレー味のカップヌードルをノートパソコンのまえですすっているところだった。
「ああ」
とCさんは答えた。ヌードルが熱かったのかもしれないが、元からCさんは無口なのだ。だから私とCさんはもう4年も一緒に働いているのに、こんな会話しかできない。

私がなぜ天気のことを話題に出したのかと言えば、昨日Cさんは夏休みをとっていて、私の会社は夏休みは好きな日に1日しかとれないのだが、日曜日とか有給と並べて連休にし、なんとか夏休みのていを取り繕う。ところで「てい」と書いたらいったいどんな漢字を書けばいいのかわからなくなり、もしかしたら間違った日本語の可能性もある。ちょうどこの前もそんなことがあって、調べたら言葉自体が間違っていた。いま一生懸命その言葉を思い出そうとしたが、ダメだった。

検索窓に「てい」と入れたら「ほにゃらら亭」みたいなお店関連がずらっと並び、私はすでに昼飯を済ませているので消した。次に「ていをとり」と入れたら予測で「もしかして:ていを取り繕う?」と出てきて、もうゴールについてしまった、と私は思った。

結果を述べると、体裁の「てい」でありました。

しかしCさんはあまりに無口だから、私が昨日が天気ならいいのに、という言葉は私自身の都合について言っていると解釈したのでは? と私は不安になった。その根拠として、Cさんの今回の夏休みは3日くらい前に急に言い出したことであり、私は今は会社のローテーションを組む仕事をしているから、急に休まれて、とても勝手な人だな、と思ったのだ。しかし私はそれを顔には出さず、私は出さないようにしてもすぐに出る短所があるが、Cさんは大人しいひとで、もしかしたら言い出せなかった可能性もあるから、そう考えるとやはり嫌そうな顔はできなかった。

そういうやり取りがあったから、私が休み中の天気を気にするなんて、嫌味を言っているように感じたのかもしれない。

ところでテニスの話だが、Cさんの向かいに座った人が、テニスは昔の方が観ていて楽しかったよ、今のテニスは球がはやい。昔の方が遅くて楽しかったよ、と教えてくれた。