意味をあたえる

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ドッペルゲンガー

また図書館へ行って、山下清とカラバッジョは潔く返し、保坂和志の「小説、世界の奏でる音楽」を借りた。以前にも触れたが、これは文芸誌に連載しているものをまとめたやつの3冊目で、私は以前1冊目と2冊目をすでに読んでいる。そして、買ってまた読もうと思っており、それなら、3冊目を借りてよむのと、1冊目を買って読むのと、どちらを先にやればいいのかでストップしている、と書いた。私はけっきょく3冊目を借り、そして今は月末だから、月が変わったらすぐに1冊目を買おう、ということにした。つまり両方、というわけで、しかし1冊目のほうはAmazonで買うだろうから、配達日数などがかかるから、同時であっても、厳密には3冊目が先になってしまうのである。これは誤差のようなものだ。

迷ったときは両方、というのが私の信念である。しかし私はたびたびこの信念を忘れるから、やはり迷ってしまう。それこの信念は、買うか買わないか迷う、という場合には通用しないから万能ではなく、それがすぐに忘れるひとつの理由でもある。だけれど、通用しないのは私の思考が足りないからで、買う状態の私と、買わない状態の私、はどうにかすれば重ねることも可能だと思っている。答えにたどり着いたら、いずれ報告したい。

ところで私が3冊目を先に読んだ理由はもうひとつあり、実は図書館へ行くたびにちょこっとずつ読んでいた、というのもある。だから、そろそろ腰を据えて読みたいというのがあったのだ。

読み始めるとすぐにドッペルゲンガーについてあったので、それについて思ったことを以下に書きます。

結論から書くと、私は自分のドッペルゲンガーに出会ったとしても、それがドッペルゲンガーであることを認識できないのではないか、と考えている。その根拠について、以下に書きます。

私は、というか私の顔は、よくある顔であるらしく、前に友達同士で「芸能人で言ったら誰に似ているか」という話になったときに、
「一般人に似ている」
と言われた。「芸能人で言ったら」という前提条件を覆してしまったわけだが、そう断定した友人は、「一般人も、「非芸能人」という、一種の芸能人ではないか」という持論を持っているのか、あるいは「芸能人、とは言うものの何か秀でた芸があるわけではなく、ちょっとした時代の風向きによって、その立場はすぐに入れ替わってしまう」と、現在の芸能界を、揶揄していたのかもしれない。

それはともかく、一方で、あるときこれは別の友人だが、そのお母さんが、夕ご飯を食べていたら、メニューは茄子の肉詰めであったが、テレビを見ていたら、
「あれ、この人、ノブちゃんに似てない?」
と箸を画面に向けた。ノブちゃんとは私である。その箸の先には、昔に活躍していたあるスポーツ選手が映っており、昔、というのは、今から見た昔のことであり、つまりそのときは現役である。たしか私が高校時代だったと思う。それは、今現在の妻に話しても「大変に似ている」ということだったから、かなりのクリーンヒットであったであろう。しかし、私からすると、「え?俺こういう顔なの?」という感じなのだ。

そう感じる理由を考えてみると、要するに私たちが一番よく見る自分の顔というのは、鏡で見る顔だからではないか、という結論に至った。鏡で見る自分の顔とは、リアルタイムで聞く自分の声と似ている。レコーダーに取って聞いてみて、自分の声にがっかりした、という経験は多くの人にあるだろう。

ちなみに私は小学4年のときに、父親が夕飯のときに、テープレコーダーを買ってきて、それはカセットテープで、今のように洗練されたデザインではなく、岩のようにごつごつしていた。しかし、私はそれまで聞く専用のウォークマンしか持っていなかったから、そのごつごつが、録音という機能を表現しているんだと思い、とても納得がいった。

そしてそれで家族の会話を録音し始めたのだが、ところで、父親は初めてワープロを購入したときもまずは家族全員の名前を打って印刷しており、もしかしたら父親は仕事であまり家にいなかったから、こういうことである種の罪滅ぼしをしていたのかもしれない。ところで、当時のワープロでは、私の名前の漢字が変換できなくて、私だけ平仮名の名前になり、しかもひとつの感じだけが平仮名なので、どこかふざけた名前のように見えた。

話を戻すが、テープレコーダーで録音したときも、私は私以外の人の声は聞こえるのに、どうして私だけがいないのか、不思議だった。

それで、つまり顔についても同じことが言え、鏡で見ている自分と実際の自分は違う。ビデオで撮った自分が近いのだが、やはり近いというだけで、どこか違う、と私なんかは他人の顔を見ても思う。そして、ドッペルゲンガーとは、映像ではなく、実物であるから、自分では気づる自信がない。

逆に、これはつい先週の出来事だが、私は鏡ごしに会社の先輩を見る機会があり、私は最初、その人が誰であるかわからなかった。新商品の説明会という、一応会議的な雰囲気だったから、私語は話せないし、振り返って確認することもできないから、私はしばらく冷や汗をかきながら「これは誰なんだろう」と会社の面々の顔をひとりずつ思い出したら、やがて誰だかわかった。

ところで、私は一般人に似ていると書いたが、その昔自分の部屋でひとりでいたら携帯が鳴って、
「ねえ、今前歩いてるよ、隣の子、彼女?」
と言われたことがあり、私は家だし彼女もいなかったから、そう伝えたが、もしかしたらそれはドッペルゲンガーだったのかもしれない。

歯車―他二篇 (岩波文庫 緑 70-6)

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