意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

知識を得たいなら悟らなければいけないのか

少し前に「知識が人をだめにする」という記事を書いて、それは話しのまとめとして「知識に見合った人間性を身につけるべき」みたいなことを書いたが、我ながらそんなことはほとんど思っていなくて、その場しのぎでそう書いた。

つまりだめならもう仕方ないじゃん、というのが私の本音だが、私もまだまだ未熟なところがあって、そう書けなかったのは、つまり、私も読み手を小馬鹿にしたいのだ。

私は軽々しく「人間性をみがく」なんて書いてしまったが、これはどういう意味なんだろうか?

ところで、私は色んなところで書いたけれど、私が初めて小説を書き上げたのは高校2年のときで、そのときは夜中の12時とかで、書き上げてそのままベッドに潜り込んだのだが、もうこのまま死んでしまってもいいとすら思った。話の筋としてはこうだ。主人公(私のこと)が同じクラスのカスミという女の子が好きになって、ある日工場の脇の栗林で、突発的に強姦してしまう。しかし、正確には強姦未遂だが、カスミは当時処女だったので、未遂と気付かずにマンションの向かいの雑木林の中で首をつって死んでしまう。一方主人公には超能力のようなものがあって、その自殺現場に立ち会うことができ、その直前にローソンで「金田一少年の事件簿」を購入し、自分が完全犯罪を達成したような気分になる。それから主人公もやがて生きるのに飽きてしまったので、小学校3年のときに学校で配られた小刀で頸動脈を切ってしまおうと思うが、怖気付いて断念する、という内容だった。

私は上記のストーリーを最後まで書けたことにも興奮したが、それを翌日にある友達に読んでもらおうと思っていて、だから尚更わくわくしていた。その友達とは、私から見て当時クラスで1番人間性の優れた人であった。しかし、このわくわくは未来の出来事に対するものなのに、死んでもいいと思ったのは、妙である。

イエローモンキーというバンドの歌詞で
馬鹿のままでいい 余計なインプットいらない ありのままでいい

というのがあって、私は歳を重ねるほど、この言葉の重みを実感するようになった。また、高橋源一郎の小説の書き方教室の本で、

「まだ小説を書いたことがないという人がいたら、私はとてもうらやましい」

とあって、私は上記のような経験があるから、まったくその通りだと思った。私はそれから高校の終わりまで、ずっと小説を書き続けた。