意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

道路

昨日、私は休みだったから出かけていたが、3時頃に家に帰り、それはネモちゃんが帰り道で1人になってしまう地点まで迎えに行くためだ。こういうことは私の子供時代には考えられなかったことで、こういうこと、というのはつまり、親が子供の帰りを迎えに行くという行為を指す。私が子供の頃は親が迎えにくることは一切なく、私は随分と冷たい親だなあと常々思っていたが、ある日、そのことを責めたら、
「学校から迎えにくるなと言われていたんだ」
と言われた。

私は少なくとも小学校時代は1人でいるよりも、たくさんといる方が楽しかったので、帰り道も友達とばかり帰っていたが、それでもたまには1人になってしまうこともあって、私はどういう気の迷いかは知らないが、通学路ではない、車がびゅんびゅん通る国道の脇を、ひとりで歩いて帰ることもあった。車がびゅんびゅん、と言ってもその当時その国道はまだ片道1車線だったから、今ほど車の台数も多くなく、その代わりに歩道もちゃんと整備はされておらず、ところによっては脇の花壇から雑草が大きくはみ出して、車道へ出なければならないときもあった。花壇とは、T製作所という工場の敷地内にあり、T製作所は今でも操業しているが、花壇はもうない。道が広がったときに、潰したのだ。

もうひとつ別の道の話をすると、その道はやがて行き止まりになるが、途中にバッティングセンターがあり、そこに私の友達はしょっちゅう行っていたが、私は誘われなかったので行ったことがなかった。私が初めてバッティングセンターに行ったのは大学生になってからで、誘われなかったのとはまた別の、結構離れた場所にあるやつで、そこは、さっき私が小学時代にひとりで歩いて帰った国道が高校時代に車線が広くなるのだが、その際にインターへ至る道と立体交差でつながり、その立体交差でない方はバイパスになるが、そこをずっと行った先にあった。バッティングセンターからさらにずーっと行くと、私が中学くらいまで通った小児科の病院があった。そこまでは母の車で行った。私は小児喘息だった。

バッティングセンターに行った当日、私はまだ免許証を持っていなかったので、友達の車に乗せてもらって行った。しかし、そろそろ免許を取ろうかと思っていたのでそのことを話すと、その人の車はマニュアルだったからじゃあ練習しようか、と言って駐車場で練習した。大変親切な友達で、駐車場も砂利のがらがらのところだったから、練習できた。
「あそこの教習所、ぜんぜんハンコくんねーから」
と友達が言って、私は何度も半クラッチを練習した。しかし私が通ったのはまた別の教習所で、そこには元自衛官の教官がいて、その人は同じ中学のOBで、そのおかげで随分と可愛がってもらえた。私は毎回その人ならいいなあと思っていて、当時はカウンターにあるモニターにタッチして教習の予約を行うシステムだったが、私はその人にあたればいいなあと思いながらタッチした。教習所の雰囲気はなんとなく市役所に似ている。

あるときその教官のときに、どうやら近くのどこかで、ヘリコプターが墜落したから見に行こうということになり、しかし案外遠かったので、途中で引き返して、結局墜落したヘリは見えなかった。しかしそれは私の記憶ではなく、誰かがそうだったと、そのとき教官に聞いた。私はそのとき
「17個目の信号を右折」
と指示されており、なんとか数え間違えさせようと、教官はいろんな話をふってくるのだった。