意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

ペリー伊藤

本当は別のことを書こうと思っているのに、朝から「ペリー伊藤が離れない」頭から。ペリー伊藤は朝のニュース番組の司会兼コメンテーター。スタジオまでは黒船で乗りつける。何かにつけて、すぐに
「開国、開国しなきゃあ!」
と腕組みをしながら、声を荒げる。ツバも飛ばす。帽子とメガネがトレードマーク。メガネのフレームは、北海道とアラスカの形をしている。

これだけならいい。これだけなら書かなかった。しかしその後に今度は会社のトイレに入ったら
「ペリー斉藤」
に変化した。ペリー斉藤とは誰か? 実は中学のときに、イトウというクラスメートがいて、私はイトウという発音が物足りなくて、彼のことをいつも「斉藤、斉藤」と呼んでいた。イトウは最初は否定していたが、私があまりにナチュラルに呼ぶから、途中からもう何も言い返さなくなった。どちらかと言えば物静かな男で、だから私の行為はイジメだったかもしれない。でも彼はバスケ部だった。しかし、途中で退部したような気もする。バスケ部は体育館で活動を行うが、入り口のすぐ脇にボードを置き、そこに上手い順に名前入りのプラ板を下げている。銭湯のロッカーの鍵についてるみたいなやつ。プラ板は全部で4行あり、1番上がレギュラーのAチーム。2列目が準レギュラーのBチームで、3列目が補欠。じゃあ4列目は何かと言うと、とてつもなく下手か、部活をサボってばかりとか(大抵は両方)いじめられっ子だったとか、そういうのが連ねる。連ねる、と言っても、4人しかおらず、そのためバスケ部内では、
「四天王」
と呼ばれていた。私の記憶が確かなら、斉藤もその中にいた気もする。ちなみに私はバスケ部ではなくテニス部だったが、もしバスケ部だったら間違いなく四天王だっただろう。しかし、私が入ったら五天王だ。そんな言い方あるのか? ないかもしれないし語呂も悪いから、「ド下手クインテット」でどうだろう。

しかしよく考えると斉藤は元々は小学校のミニバスをやっていていたかはバスケは上手く、下手をすれば先輩のレギュラーの座を奪ってしまうくらいの実力があった。しかし怪我をしてしまって、ずっとバスケができなかった。最初のうちはみんなも一目置いていたが、どんどんと他の部員に抜かされて、本人もやる気を失い、結局は四天王に落ちぶれた。だから斉藤は四天王の最後の1人で、斉藤が来る前はトリオだった。

ところで、斉藤の代わりにメキメキと頭角を現したのが2組のサトウで、サトウはとても背が高くハンサムで、潔癖なところがあって少しオカマっぽかった。私も2組で同じクラスであり、書写の時間に、書写の時間には黒板の前に水を張ったバケツが置いてあり、汚れた筆をそこで洗うことになっていた。私が筆を洗いに行くとそこには先にサトウがいて、サトウはみんなから
「サトウちゃん」
と呼ばれていた。だから私はサトウちゃんがいるな、と思いながら隣にしゃがみ、筆を洗っているとやがて綺麗になったと思ったから筆を上げると、うっかりサトウちゃんの上履きの上に、何滴か水を垂らしてしまった。サトウちゃんの上履きはサイズが30センチ近くあり、ピカピカのロールスロイスみたいな雰囲気があり、そのボンネットに薄い灰色の染みが2つ3つできた。私の筆はまだまだ汚れていたのだ。サトウちゃんは、
「きゃー」
と悲鳴をあげ、
「マジありえないんですけど」
という言葉を繰り返し、その頃サトウちゃんはクラスの人気者だったから、私は、
「サトウちゃん、まじごめん」
と必死で謝った。謝る私は滑稽だった。関係ないがその当時私とサトウちゃんは同じデザインのリーボックのリュックサックで登下校をしており、厳密には少し違い、私のは紐をすぼめる巾着のような袋で、サトウちゃんの方は、チャックで締めるタイプだった。先に学校へ持ち出したのは私の方で、私は結構派手なデザインのそれを、とても気に入っていたから、サトウちゃんがある時同じのを持って来た時には「真似すんなよ」と思った。