意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

嫌いな人は、自分に似てる人

眠くなった今気づいたのだが、人は眠くなると、自分が長袖を着ているのか半袖を着ているのか区別がつかなくなる。まるで生物学的、あるいは心理学的新発見のような気がしたが、単に私が風呂に入った後暑かったから半袖でいて、そのあとトレーナーを着たのかどうか不明瞭だったからだ。

表題のことについて考えて書き始めたが、何度書いてもうまくいかず、もう3度目か4度目だ。その間に妻が来て、
「手帳が見つからない」
とうろうろしながらイライラしていた。畳の部屋で、裸足がぺたぺた言う音が響く。妻はもう35歳だから、べたべた、と言う方が正しい。そんな状況だったから、うまく書けないと思っていたら、本当にうまく書けなかった。

駆け足で書くと、つまり、恋愛とか結婚では、タイプが違う同士が引かれ合うというが、ひっくり返せば似た者同士は反発し合うということだ。最近会社で、格別に嫌いになった人ができてしまい、前々から嫌いだな、とちょくちょく思っていた相手だった。もしかしたら私と似ている人なのかもしれないと思った。どう似ているのかを説明するのは面倒だからしないが、「似ているから嫌なんだ」と思えば、人は自分がかわいいとか言うから、少しはかわいく見えて、気が楽になるのかもしれない。ならないかもしれない。

よく「ごめんで済むなら警察はいらない」と言うけれど、謝罪というのは、許しの強要なのかもしれない、とその人が謝ってきたときに思った。私としては、多分誰からしても、わざわざ改まって謝るような事柄ではないと思っていたが、その人は謝ってくるだろうなあと思っていたら、やはり謝ってきた。その人はそのときは長靴を履いていた。私は安全靴で、だからそれなりの時間が経っていた。小さなことを気にする人なのだ。小さなことを気にするのは結構だが、それは自己完結してほしい。

そして小さなことで謝るというのは、要するに、同じことをしたらこのくらい謝ってほしい、との要求でもある。お手本を見せているのだ。そのあと私は機械のブレーカーを落とすのを忘れたが、私はもちろん謝りなんかしなかった。

チャンスがあれば上司に相談しようかとも思い、チャンスとはその人が先に帰る時間帯のことを指すが、昨日はそういう時間もあったが、今日は上司は巻尺を持ってうろうろして、それから4tトラックが来てそういう雰囲気じゃなかったから諦めて帰った。途中で橋があって、つまり川の上を通るのだが、暗くて川など見えないのだが、川を渡ったらもう仕事のことは考えられなくなった。家に帰ったら義妹が犬を連れて来ていた。混ぜご飯と焼うどんを食べた。ネモちゃんが風呂で、10秒1セットで変顔をしようと提案してくる。妻の手帳がなくなり、妻は手帳を2冊持っていて、一方私は0冊で、平均すれば1人1冊でバランスがいいのかもしれないが、夫婦はバランスが取れればいいというわけでもない。やがて手帳は見つかり、私はブログを書き終わる。

ジョルテ - カレンダー&システム手帳

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