ハミサクさんの上記の記事を読んだら、思い出したことがあったので、書く。それは、ブックマークコメントでも書いたことだが、以前何かのテレビでスーパーフライの女の人が、ジャニスジョプリンの歌をカバーしていて、それはとてもマッチしていていい感じだったのだが、最後の方のシャウトする場面が、思いのほか大人しくて、私はずっこけそうになった。椅子に座っていたわけではないが、椅子からずり落ちそうになるあの感じだ。その椅子には背もたれはなく丸い座面の木の椅子だ。
ところでその椅子のイメージはどこから引っ張ってきたのかと言えば、それは私の実家の近くに工場があって、そこは手作りの家具工場だったらしく、そのことをつい先日、たまたま工場の窓が開いていたからたまたま中の様子が目に入ってわかった。中でボンバーヘッドの兄ちゃんが、椅子のニスを乾かしながら、もう1人の人と談笑していて、その周りには木屑とか、木材があったから、私は「ああ、家具工場なんだな」と思った。そこは私が子供のころからある工場で、通学路の脇にあるもので、その当時はそこで木の椅子やテーブルが作られているなんて夢にも思わなかった。 塀が建てられていて、塀越しに頭のはげたおっさんが立ちションしていたことがあったが、そのときもきっとペニスを支える指先には、木屑が着いていたに違いない。しかし、男の顔から下は、塀で隠れていたから、子供の私には全く見えなかった。立ちション、というのも嘘かもしれない。家具工場の道を挟んで向かいは寺になっていて、寺自体はもっと反対側の離れたところにあって、こっちの方は墓地が並んでいる。その中には私の祖父が眠る墓もあるから私は特に怖いとか思わなかったが、その道を挟んだ向かいには知人が住んでいて、その知人は子供のときからそこに住んでいるから「子供のときは怖かった」といつか言っていた。墓地の道向かいだから、さっきの家具工場の並び? と思った人はよく私の文を読んでいる人だが、残念ながら彼女の家は家具工場からも道を挟んだ向かいで、つまり墓地の前の道は、ちょうど家具工場と知人の家のところでT字路になっていて、工場と家は道で分断されているのである。
ちなみに背もたれのない座面が円形の椅子についてはもうひとつ記憶があり、それは母方のおばあちゃんちに遊びに言った時の話だが、おばあちゃんちは東京にあり、私は夏休みやお正月のときなどに、関越自動車道に父の車で乗って行った。そうすると私の家族は5人家族で、さらに祖母の家には祖父や祖母の妹、それに母の弟家族もいたからおおぜいになり、台所の椅子が足りなくなるから、誰か1人が背もたれのない椅子に座らなければならなかった。私は背もたれがあるやつがいいなあと思っていた。それと、あるときトンカツが夕食のメニューとして出たが、祖母は仏壇の前でトンカツをハサミで切っていて、私はそれを見てぎょっとしたことがあるが、確かにナイフだと衣が剥がれてぐちゃぐちゃになるから、それはそれで合理的だと思った。私は仏壇に線香をそなえることは、本当に滅多になかった。
ハミサクさんに悪いから、話を戻すが、スーパーフライのシャウトが物足りなかったのは、やはりスーパーフライがポップミュージックだからで、ポップミュージックの定義とは、人によって様々だろうが、何か他のことをしながら、その行為を邪魔しないで聞ける音楽のことを指すのではないか、とそのとき思った。だからスーパーフライの音楽が駄目とかそういう意味ではなく、もう音楽市場自体が、そういうのが主体で、だからこそ、こんなに巨大化したのだろう、巨大、というのが大雑把な言い方だから補足すると、音楽市場は、小説や、絵画その他芸術の市場に比べたらはるかに大きいという意味の巨大だ。