意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

歩道橋の上の鴉

久しぶりに休日をネモちゃんと2人で過ごさなければならないことになり、私はどこかへ出かけなければ、と思う。子供と家で過ごすというのは、子供は家にいると次々と新しい遊びを編み出してしまい、それは当人からすれば興味深いのかもしれないが、私からしたら退屈なものばかりなので、やがて地獄のような時間となり苛々してしまう。だから出かけることにした。

私はあまり出かけることは元来好きではなく、風景や地名や人工物を見ても大して心を動かされるわけではなく、その理由は私の感覚としては、どこかへ動くというよりも、私という座標がずれて各地のほうがやってきているというのに近いからだ、と大雑把に解釈している。

しかし、私は車の運転は苦にならずむしろ好きで、3時間ノンストップで運転しても平気であるが、トイレを我慢させられる家族からしたらたまったもんじゃない。仕事も車の運転も同じで、休むより、走り続けるほうが楽なのだ。

県境が近づくと片道2車線のまっすぐの道が続き、両端にはイチョウ並木が続いていて、イチョウは完全な黄色にはならず斑だ。私はそこを走り抜けながら、今朝読んだブログについて考えたり、卵と壁について考えたり、それと風景について考えた。自分について考えないですむのは、幸せなことだ。すると向こうから歩道橋がやってきて、歩道橋の手すりには一羽の鴉がとまっていた。鴉は最初はこちらを向いていて、そのときから鴉であることを私は認識していたが、横を向いて嘴がにょきっと出てくると、鴉らしいと思った。嘴を省略して鴉を描くことは、至難の技だ。それでは、嘴のない鴉は何らしいか? 私は鍵穴に似ていると思った。私はそれから私たちはどこまで文字を読んでいるか、と考えた。

県境を越えて1時間くらいして、私たちはぐんま昆虫の森というところに着いた。そこはネモちゃんが気に入っていて、私もあまり派手なところがないから好きだった。いつもは施設の中ばかりにいるので、今日は外のスタンプラリーをやった。雑木林の中を歩き、私は木をよく見た。落ち葉が大量にあり、とても大きな落ち葉は魚のように見えた。私はもっと木の名前を知りたいと思っていたから、全ての木に名札がついていて欲しいと思った。私にわかるのは、松と杉くらいだった。字にしてみると、人の名字のようだ。それから象の足のような木と、英字新聞のような木があった。クスノキは常緑樹であるが、春先に葉を落とすらしい。タテハチョウは成虫で越冬するそうだ。

砂利の坂を登りきると、一部は階段の坂もあったが、そこが施設の端で、すぐ隣には工場があった。黒くて背の低い鉄の門があり、門と言うのだろうか? とにかく長くて横にスライドしそうな柵だ。昔このような風景の中でレイプが行われるAVを観た。