意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

コピペの風景

これは昨日の、美容院に行った後の話だが、昨日の夜には書こうと思っていたものの、眠くなったから寝てしまった。日付の変わる頃を見計らって、日付が変わる前に書き終われば昨日の記事になるが、変わってしまえば翌日の記事になる。そんなことを考えていたら、やがて寝た。しかし、書こう書こうと思いつつ睡魔に負けたというわけではなく、私はのんきにもベッドの中で本を読んでいた。すでに子供がとなりの布団で寝ていたから灯りをつけるわけにはいかず、小さい金属製の傘のついた、卓上灯、ちゃんとした名称はあるのだろうが、私はつい最近までそういうのを使ったことがないから、名前が出てこない。妻が友達の結婚式でもらってきたものだ。それは金属製だから重量もあるから、引き出しの上に置いてあるのだが、落ちたら床が傷つきそうだ。というか私はすでに二回落としている。床については暗いから確認できないし、昼間になれば忘れてしまうからやはり確認しない。一方ナイトランプのほうは金属のシャフトが少し曲がり、電気のつきが悪くなってしまった! しかしそれは電球が緩んでいただけで、締めたらなおった。だからナイトランプは少し傾いたが、まだ用は足せる。だから昨日の夜は本を読んだわけだが、子供に配慮して、子供が寝ている向きとはいえ逆向きに枕を起き、子供に自分の足の臭いをかがせるような体勢で、本を開いた。これは、コンセントの位置上の問題でもある。それで、私はようやく本を読んでいる状況の説明もおわり、本を読み出すわけだが、これがすこぶる難しく、一ページ読み終わる前に眠くなった。その一ページだって、半分は前回読んだ箇所なのだ。だから、こんな調子では十年かかっても読み終わらないぞ、と思いながらこらえるのである。それで何とか2 3ページ読んで読んでからランプを消す。消したらちゃんとコンセントを抜き、携帯を充電にセットし、すると眠気はいくらかおさまり、「これは嘘この眠気であったか」と思うが、もう寝てしまうのである。起きると逆向きだから、びっくりするが、私は起きる瞬間の記憶というものがない。

ところで私がなぜ昨日の出来事にいつまでも行かないのかと言えば、昨日私は一人で紅葉を見てきたのだが、見ている間「これをブログに書こう」とか思いながら見ていたからである。その風景はブログのための風景になってしまった。ブログのためであるなら、それこそ書くに値するのかもしれないが、値するのは、私以外の誰かだ。

それでも最後に付け加えるとするならば、私は帰り道にコンビニによってカルボナーラを温めてもらって食べたら、すごくまずかった。よく考えたら私はカルボナーラが好きではなかった。