意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

質問をされた

一昨日の記事、メモをとるな云々について、その理由を教えてほしいと質問を受けた。私はこんな風にストレートに質問されるのが嬉しかったので、さっそく過去の記事を検索し、検索窓に「メモ」と打ってみたら、その中のいちばん古いものが、それだった。予想したとおり、かなり初期に書いたものだったので、今と感じが違っていた。そしてやはり、気にくわなかったので、URLは貼らずに、頭から書くことにした。そういう気にさせる質問だった。

しかし私はやがて気づいたが、スマホでコメントを返すのは、スマホで記事を投稿するよりもずっと難易度が高かった。私は記事を書いているときは、たまには妻や子供が話しかけてくるから、中断せざるをえないときがあり、そんなときは「消えたら書き直せばいい、むしろ消えてラッキー」くらいに思って、乱暴にホームボタンを押しているが、アプリの方が、まるでお母さんがふて寝した子供に毛布をかけるみたいに、そっとバックアップをとってくれて、私は
「余計なことすんなよ、まったく」
とぶつぶつ言いながら、続きを書くのである。しかしコメントは容赦なく消えたので、私は思わず声を上げてしまった。いつのまにこんな軟弱になったのか、私は!

しかし言い訳をさせてもらえば、これは記事でなくコメントである。コメントは、あらかじめゴールを設定してそこに向かって書くのである。だから、書く作業は楽しかった。一方記事はゴールはない、あるいは、ないつもりで書いている。消えてしまったとしたら、消えるべき文章だったのだ。