意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

合わせ鏡

今は私は旅行中の私であり、昨日もそうだったが、ちょっとした合間などに少しずつ文字をつづっている。昨日は午後から雨が降り始め、夕方にはかなり強くなったので、屋根のあるベンチなどを見つけると、ポケットから携帯を取り出して続きを書いた。すると隣に家族連れがやってきて、子供の小さい方はベビーカーにおさまり、斜め向きに寝入っている。しかし上から毛布を何重も被され、その上にはビニールも被せられているから見え、な、かった。とにかくベンチがたくさんあって助かった。今は座っていない。少し離れた場所で私の父が座っているが、そこはベンチというよりも岩のくぼみだった。父はそこで居眠りをしている。
「一万七千歩歩いた」
と昨夜話した。今日はすでに九千歩だ。

昨夜泊まったホテルは、洗面所の鏡が三枚もあり、正面の他に左右にも貼られていたから、左右は合わせ鏡であった。私は歯を磨きながら、私はドライバーでもあったからお酒は飲んでいなかったが、頭を突き出し、たくさんの私の頭がずらりと並ぶ様を眺めた。鏡の中の私は左右が逆になるが、その次の私はその逆となり、これが他人から見る私なのだろうと思った。前に自分の顔は外から見ることができないから、自分のドッペルゲンガーに遭遇しても気づかないのではないか、と書いたことがあったが、この二回反転した自分こそ、ドッペルゲンガーの顔ではないかと推測した。ドッペルゲンガーは、どこか図々しそうな顔をしていた。私よりも少し老けているように見える。後ろの髪は、右側だけ乱れている。

私は作り笑いをした。そうしないと間が持たないからだ。