意味をあたえる

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初めてバリウムを飲んだ

飯村は9月で三十五才になったから、冬の健康診断の種類が変わり、生活習慣病健診に変わった。今までないものとして、検便とバリウムが加わった。バリウムは生まれて初めて飲む。病院は会社から30分ほど離れているが、家から直行することは許されない。
「やっぱりA病院も、取引あるところなんですか?」
あー、あるね、という主旨の回答だったが、営業の葉山さんは五十代で、早口で何を言っているのかわからない。だいたい車は道を迷っている。五十代の男ともなれば、そうそう道など迷いそうもないから、飯村は本当は道を間違えたことを知っていたが、そういう裏道なんだろうと思い、黙っていた。そうしたら、地図を出せ、と言われた。

ようやく病院に到着するとすでに駐車場はいっぱいで、しかたなく裏の第三駐車場に停めた。第二駐車場は職員用だったので、そもそも停められなかった。第二駐車場は、建物に対して斜め向きに停めるようになっていた。軽自動車が多かった。

飯村たちが裏口から建物に入ると、すでにルナが待っていた。ルナは23歳おんなで、まだバリウムを飲まないので自分の車でやってきた。自分の車と言っても、営業車なので、所有者は当然会社だった。一方飯村の車も、まだローンを払い終えていないから、所有者はローン会社だった。

「わたしがバリウムを飲むのなんて、まだ十年以上先です。それとわたし、とても目がよくて、友達に羨ましがられるんですよ、両目ともAです。1.5」
相変わらず社会人とは思えない口のききかただが、それでも先に診察室へ行くときなどは、きちんと頭を下げてから去る。教育係のヨシアキのおかげだろう。ルナは、ヨシアキには毎日のように怒られたと言っていた。
「ヨシアキさんて、ツンデレなんですよ」
飯村から見たヨシアキは、とても大人しいイメージだった。10歳下だった。いつもメガネをかけているから、目は悪いんだろう。
「すごく悪いですよ。「メガネ、メガネ」てなっちゃう」
じゃあ隠しちゃえよ、と言うと「しないですよ」と笑った。ちなみに飯村は視力は良く、右目は1.5、左は1.2だと思ったらそうだった。「メガネって顔が疲れるよね」とルナに言うと
「あー」
と返ってきた。飯村の視力が良いことが気にくわないのだろう。

飯村はルナに「アフリカで狩りでもしてたんかよ」と突っ込もうと思ったが、タイミングはとっくに逸していた。

採決の後に座らせた待合いは、とても細長いスペースで、長いすに座るとすぐ目の前に壁があった。長いすには他にも座っている人がいたので、他の人はみんな膝を縮めなければならなかった。飯村は恐縮しながら腰を下ろした。ところで飯村は病院から支給された病院着とガウンを身につけていて、それにはポケットがなかったから、やがて椅子に座った飯村は暇で仕方がなくなった。ポケットがあったとしても、病院内で携帯はご法度だろう。いや、今はオーケーなのか? しかし理解していない人はまだまだ大勢いるから、それなら議論してもいいが、飯村は会社の時間だから、そういうのは避けるべきだ。

ところで飯村の目の前に迫ってきている壁には小さな窓口がついていて、下の部分が木目調のカウンターがついている。カウンター上には什器があって、名刺大のとある病気のチラシが置いてあり、裏にチェック項目があって、心当たりのある人はお電話を、とフリーダイヤルが記載されていた。表に戻るとこの病気のイメージキャラクターは和田アキ子で、ガッツポーズをする和田アキ子のわきには、和田アキ子のサインが書かれていた。和田アキ子のサインは三角の形をしていて、例によって芸能人のサインはみんなぐちゃっとして読みづらいが、和田アキ子のは比較的良心的だった。しばらく観察すると、三角形の左辺は「和」の字ののぎへんが下までにゅっと伸び、右辺は「口田アキ子」であり、底辺はAkoという英語表記であった。和田アキ子のヘアースタイルは黒光りしていて、ピストルの弾のようである。