意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

今年は、もっと読み手に歩み寄るブログへ

そう思い、いや、厳密にはそうではなく、せっかく付箋も買って、ペタペタ貼りだしたから、それは小島信夫が面白いせいなのだが、当ブログにもカテゴリを作ってみた。カテゴリは以前からあったが、前はiPhoneから更新していたときは、確かタイトル、本文、カテゴリ、と画面が並んでいたので、カテゴリは最後だったので、なんとなくオチというか、その頃はタイトルを直すとかしなかったから、サブタイトルとしてカテゴリを利用していた。一度しか使わないカテゴリがずらっと並んでいる。

今回作ったカテゴリは、「保坂和志」「小島信夫」「村上春樹」とよく取り上げる話題と、読書関連として「読書瞬間」というのを作った。けっこう遡ってつけたので、良ければお正月の暇つぶしとして、読んでください。テレビよりかはずっと面白いです。と、ここでリンクを貼れば100点だが、面倒なので、やらない。

ところで、遡って面白い記事があったので貼っていく。

トーク力を磨きたければ趣味を捨てろ - 意味をあたえる

思い出そうとすると忘れる - 意味をあたえる

二つ目の方は「モイセイ・モイセーイチ」のところで声を出して笑ってしまった。正月に限らず、私の頭の中はおめでたいのである。さらに、

文章を書く自分が疑わしい - 意味をあたえる

この記事は、さっき目さんの記事で「ブログを毎日続けるためには」みたいなのがあり、そこでは「文字数を揃えろ」という旨のことが書かれていてなるほどと思った。これは多分武道やスポーツの「呼吸」と一緒じゃないかと思う。私は記事の文字数は揃えないし、いちいち数えないけれど、自分の中の基準の長さは意識していて、おそらく2000字前後じゃないかと思ってる。それを超えると「長いな」と思い、短いとサボってる気になる。もちろんちゃんと数えたことはないから、ただの思い込みかもしれない。この記事が今の時点で長いか短いかについては、触れない。

私は上記の記事の中でも触れたが、ブログを長続きさせるには、思っていることを書くだけでは難しいんじゃないかと思う。私はこのブログでのひとつの理想は、思ってもいないことを書くことであり、考えて書くのではなく、書きながら考えるということのひとつの訓練として、日々更新に励んでいる。真面目な人ほど、詭弁に思われるかもしれないが、私たちは普段意識というものを持っていて、その水面下には無意識というものがあり、無意識は意識よりもずっと深くて大きくて、タイタニックがぶつかった氷山のようなもの、もちろんぶつかってない氷山も含むが、だということを、特に心理学とか勉強しなくても、当たり前のように知っている。だとしたら、その広大な無意識をどうやって表層に引っ張り出し利用するか、に注力する方が、よほど効率的だと私は考えるのである。テクニックとか、読みやすい文章だとか、いう人がいるけれど、私はここ半年は他人のブログも結構読んだが、読みづらい文章はひとつもなかった。むしろ逆に親切すぎると思うくらいだ。

※さきほど触れた目さんの記事はこちらです。
書くことあり日記:初心者がブログを続けるために必要なこと - 何かのヒント

※※Androidで更新するようになってから、コピペが快適になりました。