意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

初夢

昨夜見た夢について書く。
私は初老の男と街中を歩いていて、初老、というと白髪頭の紳士という感じだが、黒髪で毛は薄く、だからといって品がないわけでなく、
「君、○○○は読んだかね?」
なんて言ってきた。男は国語の教師か、あるいは大学の教授で、一方私は高校生である。しかし私は夢の中では私なので、私は高校生の私を見ることができない。だから三十代の私かもしれない。

私は受験生であり、得意科目は古文である。しかし実は得意だと男の方が思い込んでいるだけの話で、私は本当は得意でもなんでもなかった。「○○○」は、古文学習の、とあるテキストの名前で、古文が好きなら、是非読めという意味合いなのである。この、「○○○」について、私が覚えていられたら、起きてからそれを読もうという気にもなったが。しかし、「○○○」は、最初から○○○だった気もする。

私たちは屋根のある歩道を歩いていて、人が多かったかは忘れたが、私は男の少し後ろを歩いていた。向かっている先は、とある人のお通夜だった。この男自身の通夜だったような気もする。それは起きてからの創作のような気もする。やがて建て売り住宅のような家に到着し、屋根はオレンジ色で壁はクリーム色だった。お通夜というのだから、夕暮れ時なのだろう。そうすると、もっと違う色の可能性もある。

部屋に入ると、特にお通夜の装いはなく、茶の間に通された。茶の間の真ん中にはコタツがあり、周りには故人の家族と思われる人々がコタツに足を突っ込み、若い人や、子供などもいた。寝ころんでいる人もいる。部屋の端の方には洗濯物も散らかっている。私たちが焼香するためには、コタツの周りをぐるりとまわらなければならず、寝ころんでいる人をまたいだりしなければならない。私は実は部屋に来る前から、廊下で先生(男)の背中を見ながら、
「作法とかそういうのは、この人に習えばいいだろう」
と思い、先生と一緒に来たことをラッキーだと思った。

先生はひょいひょいとコタツの周りの人々をかわし、無事に焼香を済ませた。次は私の番である。私は慎重に足場を確保しながら進み、ところでわざわざコタツを一周するのではなく、逆回りであれば、すぐにたどり着くのではないか、と考えた。しかし、こうして一人一人と触れ合うことに意味があるのかもしれない。

やがて私は焼香する場所に着いたが、どこに摘まんだ粉をかけるのか、わからない。周りの目もあるので私は段々と焦ってきた。周りの目があるから、焼香台がどこにあるのか見つけられないのかもしれない。最終的に誰かが教えてくれたのか、自分で気づいたのかは忘れたが、皿に盛られた漬け物の上にかければ良いとのことだった。私の目にはどう見ても柄の入った丸い皿に山盛りになった漬け物なのだが、実は漬け物ではないのかもしれない。あるいは、遺族は粉のかけられた漬け物をあとで食べ、そうやって故人をしのぶ風習の地方なのかもしれない。

夢の意味など考えてみようと思ったが、長くなってきたからやめておく。