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社会の発展を鈍化させるべき

http://yama-aki1025.hatenablog.com/entry/2015/01/11/がんばった人はもっと報われるべき

こちらの記事を読んでから、私はちょくちょく「社会の発展」について考えた。この方の主張は、私と重なっている部分はあるものの、「社会の発展」という部分では認識が異なっている、ということにやがて私は気づいた。

私は日本に限っては、じゅうぶんに社会は発展していると思う。それは、100年前とか、50年前に比べて、という意味だから、人によっては「そんなのまだまだだ」という人もいるだろう。私も、分野によってはそう思う。しかし、今もっとも手をかけなければならない分野とは、今の社会を発展させたところで、うまくいくとは思えない。もっとも手をかけなければならない分野とは、社会的弱者に対する保障とか救済とか、そういうのである。弱者、というと、ヒョロヒョロの人をイメージしそうだから言い換えると、社会不適合者である。社会不適合なのだから、社会が発展すればするほど、その人たちはますます不利な立場に追いやられるのは当然だ。

ところで、私は「社会」「社会」と言っているが、その社会が資本主義社会を指すことにようやく気づいた。

私は日本社会が経済的にじゅうぶん発展して成熟したことを示す例として、「一年の餓死者数と過労死者数を比べたときに、過労死のほうが多いなら、もう無理に発展させても仕方ないし、逆効果だ」と述べようとした。戦後の日本では、必死に食べ物を確保して、ようやく生き延びられるという状況だったらしいから、全員に食べ物が行き渡るシステムをつくり、社会を発展させなければならなかったが、今はそうではないと言いたかったのである。しかし私は無知だから、実際どちらが多いのかはわからないし、ネットで検索したら数字は出てきたが、どこまで信用できるのかわからない。

しかし私の周りに、今まで餓死した人はいないし、私自身も食うに困った経験はない。失業はある。今は毎日会社に行っているから、確かに失業は怖いが、怖いのは社会の洗脳が解けてないからだと思っている。実際失業しても生活はほとんど変わらなかった。確かに貧乏ではある。貧乏、という言葉はほんとうによく耳にするが、「貧乏」と口にするのは、むしろ無事に生きていることの表明である。

「貧乏」で思ったが、逆に資本家になって、お金を困っている人に配ればいい、というアイディアもあるが、誰かがお金持ちになれば、新たな貧乏人を生み出すので効果はないのと同じだ。それに一度金持ちになったら、今度は社会を維持・発展させた方が絶対いいと思うから、それは私も同じだから、私のブログの記事も「他人を救いたければまず自分が強くなるべき」とかそんなのばかりになるだろう。

だから、資本主義をやめて、全員が社会に適合する社会、せめて今までとは適合基準が異なる社会、というのに変えていけばいいのだが、そういうアイディアは今のところないから、とりあえず社会の発展を鈍化させるべきだ、という風に思う。