意味をあたえる

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文体(4)

保坂和志の「書きあぐねている人のための小説入門(草思社)」という本の出だしで、小説が生まれる瞬間について、書いているので紹介する。

 

社会科の授業で先生が「“昔“というのは、いつのことでしょう」という問題を出し、生徒全員に小さな紙に答えを書かせたときのことだ。
 集まった紙を先生がパラパラ見ながら、読んでいく。「10年前、佐藤。100年前、山本さん。10年前、保坂。50年前、鈴木。また50年前、大久保......」こんな感じで続いていったのだが、Mさんの答えだけは違っていた。
「お母さんのお母さんのお母さんが生まれる前」
 教室全体が大爆笑だったけれど、いま思うと、Mさんの答えだけが「小説が生まれる瞬間」だった。(略)Mさんの答えは、明らかに「異質」というか、はっきり言ってアタマが悪いが、そこには確実に“個“の手触りがある。いかにも“個“が立ち上がってくる気配がする。そして、これこそが小説の原型ではないかと思うのだ。

 二人目は小学校六年のときの同級生だったW君で、卒業文集にまつわる思い出だ。全員がそろいもそろって「桜の満開のなかをお母さんに手を引かれて歩いてきた六年前が、昨日のことのように思い出されます」「四月からは希望に胸をふくらませて、中学生に進みます」なんてことを書いているなかで、W君だけはこう書いた。

「四年のとき ながしの すのこで ころんで つめを はがして いたかった。」

 担任の先生は、小学校生活の思い出を書きなさいとか、将来の希望を書きなさいとは言わなかった。そんなことはわざわざ言わなくても、卒業文集にはどんなことを書くべきか、生徒は全員わかっていると先生は思っていたはずだし、現にW君以外の子どもは先生が期待した通りの作文を書いた。

 しかし、W君にはそういう”コード”が通じていなかった。そして、それでも何かを書こうとした彼は、「四年のとき、流しの簀の子で転んで、爪を剥がして痛かった」ことをもっとも強烈な出来事=書くべきこととして思い出したのだ。小学校の卒業文集の中で、小説の書き出しに使えるものがあるとしたら、これだけだ。

 

ここから私はそれでは「個の手触り」とはなんなのか、自分なりの考えを述べようかと思ったが、なんとなく写しきったところで満足してしまった。私が解釈を述べるほど、それは本質から遠ざかるし、遠ざかることが必ずしも間違ってはいないが、今はあまり興味がない。

と思ったが、やはり気をとりなおして、保坂和志が言う「小説」とは、あらゆる小説を含むことができるのか、と思い、つまりそれは「個の手触り」を見つければ小説、となるわけだから、私は試しに東野圭吾白夜行」を本棚から取り出し、ページを開いた。見つからなかった。

 

私は以前「白夜行」のドラマを見たことがあり、それは熱心に見たわけではないから、ほとんど覚えていないが、女の役を綾瀬はるかがやっていたバージョンである。刑事は武田鉄矢がやっていて、小説の出だしは、武田鉄矢がイカ焼きを食べるシーンから始まる。屋台には客はなく、女主人は暇だったので、新聞を読んでいて、最初武田鉄矢に気がつかない。新聞には水俣病のことが出ていて、水俣病は邪魔だと思った。「水俣病」は読み手にいつの時代の話かを意識させる小道具だろうか? そういう風に狙いを読み取ろうとしてしまう読み方が嫌だ。とにかく、武田鉄矢はイカを食う。イカが水俣病に汚染されていないか心配しながら。

 

手触り、と聞くと反射的にざらざらしたものを思い浮かべるが、武田鉄矢ももう歳をとり、結構ざらざらしてきてはいないだろうか。

 

ここから書くことは、もう本文と関係ないので、興味のない方は読み飛ばしてもらいたいのだが、今朝、購読しているブログと読んでいたら、A氏が小島信夫の小説を紹介していた。私は興味深く読んだがひとつ気になる箇所があり、それは「これから小島信夫を読もうと思っている方は、読みとばしてほしい」と書いてあった部分だ。いわゆる「ネタバレ注意」というやつで、これはブログ主の配慮であり、私は他のブログでたまに見かけるが、たいていはそのまま読み進めてしまう。しかし、小島信夫の小説に関しては、たとえネタがバレてもなんら問題はなく、むしろその内容を「ネタ」と扱ってしまった時点で、取りこぼしが発生する。しかし、とりこぼしとは、書き手の問題であり、また、どんなに筆舌をつくしても、発生する。他の小説や映画でも同じだが、小島信夫の場合は取りこぼしの方が大きい。

しかし、私は思うのだが、私がそんな風に思うのは私が小島信夫のファンだからであって、大抵だれでも自分のお気に入りの小説に関しては、ネタバレ程度では価値は下がらない、と思い込んでいるので、そう考えると、A氏の「ネタバレ注意」は、非常に自分を抑えた結果の文章であると思われる。