意味をあたえる

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私のアウェイ体験列記

少し前の記事で「この先の人生で、自分がここまでアウェイになることなんてあるのだろうか」と書いた後に、それはその記事の中では主だったテーマではなかったために駆け足で書いたが、その後も考え続けて色々思い出したので、列記する。

ちなみに少し前に書いた記事というのは「志津が小学校にあがってすぐに、ネモちゃんが生まれたのだが(8月)、妻は6月くらいから入院することになった。そのため志津の世話を私がしなければならなかったが、義父母もいるから、それほど私の負担は増えなかった。お風呂とか、朝起こしたりとかそういうので済んだ。しかし学校行事については私が対応せねばならず、あるとき「給食試食会」というのに私は参加しなければならなかったので、私は職場を早退した。全く気が進まず、余程休んでやろうかと思ったが、親子でならんで給食を食べるというので、かわいそうなので行った。そうしたら最初は「給食について」みたいなプチ講演会が行われるらしく、私は家庭科室へ行った。そこで気づいたが、私以外は全員お母さんが来ていたので、私の居心地の悪さはいきなりピークに達した。志津の通う小学校は私が卒業したのと同じで、本来なら「ああ懐かしいなあ」とか思うのだろうが、私は風景を見る余裕もなく、ただこの時間を過ぎ去らせることだけに意識を集中した。家庭科室の椅子は背もたれがなく、小学生用なので座面は小さく私のお尻ははみ出した。よくよく考えてみると、そこは図工室だったかもしれない」という内容だった。

1、サンシャイン水族館に行こうとして、オフィスビルのエレベーターに乗り込む

これは志津が2歳か3歳くらいのときの話で、今は志津はもう中学生だ。あるとき「サンシャイン水族館に行こう」ということになったので、私たちは車を運転して首都高に乗った。ちなみに私は自分の祖父母が豊島区に住んでいて、サンシャイン水族館には何度か行ったことがあった。それと十代にもなると東急ハンズビックカメラにもよく行っていたので、あの辺は庭のように感じていたので、まさかサンシャインで迷うとは思わなかったのである。私は方向音痴なのであった。最初サンシャインシティの地下をうろうろしていたが、いっこうに水族館の入り口が見つからず、しかし何かの看板で「水族館は○階」と見たので、じゃあとりあえずエレベーターに乗って○階に行けば、案内等あるだろうと思い、エレベーターに乗ったら、全然違うところだった。階を上がるごとに周りをスーツを着た男女に取り囲まれ、どう見てもその人たちは仕事をしている風で、私服でへらへらしている私たちは完全に場違いだった。私はその時は志津のことをおんぶしていたので、「私服OKの職場です」みたいに装うこともできず、ひたすら周りの視線に耐えるしかなかった。志津もアウェイの空気を感じたのか、エレベーターの中では一言も発しなかった。

2、就職して1ヶ月で先輩の親の通夜へ行く

私が最初に就職したのは県内では100人くらいいるが、同じ事務所で働くのは3人しかいない職場で、そこで働き出してひと月ほど経ったある日、先輩の義父が亡くなったのでお通夜へ行くことになった。それは構わないが、もう一人の先輩が
「用があって行けない」
と言い出し、香典だけ払ってくれと5000円冊を渡された。私はコンビニで香典袋を二枚買い、まだ書き慣れないその人の名前を車のダッシュボードを下敷きにして書き、ペンは母から借りた。それで、電車で斎場まで行くと、入り口で男女がだべっていて、おそらくこの人たちは同じ職場の人々だろうと思ったが、まだほとんど面識がないので、声をかけていいものかわからず、結局無視して席に座った。一匹狼を決め込んだのである。

お経が終わった後に、別室に軽食が用意されていたので、私は来れなかった先輩に、「引き出物は受け取るな」と言われていたので、別に私だけ受け取っても良かったが、まだ右も左もわからないので私も断り、断った分だけ腹を満たそうと寿司を頬張った。すると隣にいた若い人に声をかけられ、話をすると、その人は義父の会社関係の人らしく、どうやら私はその会社関係の人ばかりのテーブルにいつのまにか紛れていた。声をかけてくれた人はとても気さくだったので、この人が同僚なら良かったのになあ、と思った。反対側のテーブルには見たような顔がいくつかあった。帰る雰囲気になってきたので寿司を置き、建物を出ると、少し偉そうな人に
「入ったばかりで大変だったね」
と声をかけられたが、その人のことも知らなかったので、適当に頭を下げて帰った。帰り道の途中に鰻屋があっていい匂いがした。

3、少林寺拳法を始めたら、胴着がなかった

小学五年になって、私は少林寺拳法を始めた。その前の年まで私はいじめられていたから、強くなろうと思って始めたのである。初めての稽古に行くと、そこは初めて訪れる体育館で、ステージ横の準備室で着替えるように言われた。しかし行ってみると私の胴着はまだ用意されておらず、トレーナーの下には体育着を着ていたので、それで参加することになった。近くにいた女の人が
「半袖だけど大丈夫?」
と言ってきて、
「動いて入れは大丈夫だよ」
と黒帯の大人が答えた。

私は自分だけ違う格好をしているのが恥ずかしくてたまらず、周りからも何か言われているんじゃないかと、気が変になりそうだったが、「自分がどんな格好をしているかは自分で見ることはできないのだから、恥ずかしいというのは本来起こらない感情である」と無理に自分に言い聞かせた。稽古が始まると早速新入団員の挨拶から始まり、他にも新しい人はいたのに、体育着なのは私だけだったのでこれはおかしいと思った。とにかくみんなの前で何か言わなければならず、私は前の人の動作を観察し、まず最初に両手を合わせて目の高さに上げて礼をし(目の高さでないと、死んだ人という意味になるのでいけない)、それから他の人は「体を鍛えるために始めました」とか言っていたので、私は
「気持ちを強くしたくて始めました」
と言った。文字通り、この体験で私のメンタルはそれなりに鍛えられたのではないだろうか。ところで私の中でこの記憶は第三者の視点で残っていて、私の目からは、体育着姿の私がよく見えた。

※アウェイ、と書いたがアムウェイと勘違いした人もいるんじゃないかと途中で思った。

※小説です。