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意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

20代のころに見過ごしていたこと

今日は特にすることがなかったので、
村上ポンタ秀一の動画でも見ようっと」
と思い見たら、とても面白かった。

面白かったのは、1993年にポンタが「笑っていいとも」に出ている模様をうつした動画で、タモリがとても若かったです。その中でタモリが一通りのお花の紹介やら、電報の読み上げを行った後に、
「ちょっとドラム教えてくれよ」
と、タモリが言い出し、僕は
(ポンタとタモリは旧知の仲だから、こんな風に気安く頼めるんだな)
と思いました。一方ポンタはと言うと、小さなトランペットを用意してきていて、どうやらタモリとセッションをしたかった模様です。しかしタモリは、
「俺はもうトランペットは引退して二年経つから」
と固辞しました。「二年」という微妙な短さが面白いので僕は笑いました。部屋には誰もいませんでした。

結局何小節かセッションは行われるのですが、そのあとタモリは再び
「ちょっとドラム教えてくれよ」
と言ったので、ポンタのドラム講義がそこから始まった。ポンタは、
「ドラムは操るものだから、逆にこちらが操られないように、まずはドラムに主従関係をしっかり教え込むんで蹴飛ばす」
と言って本当に蹴飛ばしました。その前に弟子がセッティングしていたときには小声で
「てめえ、そんな置き方して叩けんのかよ」
と叱っていたのに、蹴飛ばしたあとは、まったく気にせず普通に叩きはじめたので、僕はちょっと笑ってしまいました。僕は、今までポンタのインタビューとかたくさん読んだので、あまり驚きませんでした。

しかし、今日見ていたら、別の考えが浮かんだので、以下に書こうと思います。僕が20代の自分がドラムをやっていた頃なら、演奏にばかり目がいき、それは今も同じで
「やっぱりポンタの筋肉は柔らかいなあ」
とか思っていたのですが、蹴飛ばす行為などは、軽く見過ごしてしまいました。そういうのは一種のパフォーマンスで、やはり大事なのはテクニックであり、テクニックを極めた後で、そういう境地に至ったのではないか、と解釈していたのです。だから、いくら、
「叩く時間以外が大事」
と言われても全くぴんとこなかった。寺山修司
「書を捨て、町へ出よう」
も同じニュアンスを含んだ言葉なのではないでしょうか。

あるいは、
「人と同じ発想じゃつまらないからこう言ってやろうと思っているだけ」
と判断したのかもしれません。あるいは、ポンタらしいな、とか訳知り顔をしたのかもしれません。今気づきましたが
「誰誰さんらしい」
というのは決してほめ言葉ではなく、むしろその逆でした。

おそらくポンタは今でも、新品のドラムセットを買ったら蹴飛ばしているでしょう。あるいは逆に「今度は俺が従になるよ」と言って、肩でももんでいるかもしれない。そういう、言葉では言い表せないもの、理屈ではとらえられないもの、がとても大事なのです。言い換えれば、抽象を抽象でとらえる能力です。

どうしてそんなことが大事なのかと言うと、そういうことは、望んで手に入らないからです。僕が20代でも今でも、ドラムセットを蹴飛ばしても、ポンタと同じようになれるわけではありません。また、じゃあ今の生活に応用しようとして、読んでいる本をやぶいたとしても同じです。子供を蹴飛ばしたらただの虐待です。あの人がこうやっている、じゃあそれを真似しよう、では全くのナンセンスなのです。

話は変わりますが、以前の村上春樹の質問コーナーで、読者が、
「家中の時計が狂っています。合わせてもすぐにずれます。どうしたらいいですか?」
と質問したら村上春樹
「家中の時計を一箇所に集めて「今度ずれたらただじゃおかないぞ」と叱りつけなさい。必ず真面目に、笑ったりしてはいけません」
と答えていました。それはジョークなどではないのです。