意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

ような気がする。

トイレに入って便座に腰かけると、頭に帽子をかぶっているような感覚があった。頭頂部をいじってみても何もない。しかし、頭を緩やかに締め付けられているような気、が、す、る。

(これはヤバイな......)
と飯村は思った。これは体調が下がっていることのサインである。今日は気温が下がった。手が冷えていたが、我慢できると思い、コートを家に置いてきたのだ。コートは春用である。いや、秋も着るから春秋用である。以下は、体調が悪い風を装って、書く。

トイレから出ると今日のぶんの荷物が入荷されており、私たちはひとつずつ梱包を解いていった。すると、一枚の指示書が出てきた。
「アーム部分の膨らみが、弱いような気がする」
と書かれている。私は呆れて、となりの後輩に、紙を見せた。
「何ですかね。この人の感覚値ですかねー」
「馬鹿だよこいつ。感想文書いてるんじゃねーっつうの」
「いましたね。小学校のときに。「気がする」使い。「思いました」使い」

実際、製品は専用の検査キットを使って検査をする。「弱いような気が」しても機械が「GO」と言えば、OKなのである。もちろん、営業はそういう意味で書いたのではないだろう。私はそれを踏まえて、顔も知らない営業に、毒を吐いた。

昼に近づくにつれ、私は空腹を覚えた。私は少し安心した。

「ガソリンカード持ってない?」
携帯を開くと、妻からLINEが入っている。バッグを確認すると、入っていた。私は
「持ってた」
と送信したあとに、
「体調わろし」
と付け加えた。わざと平仮名にして、「わろた」に読み違えさせようと思ったのである。妻は学がないから、「わろし」なんて知らないのである。私は嫌みったらしく「枕草子おぼえてない?」と言いたいのである。

しかし、
「大丈夫?風邪?これから買い物行ってきまーす」
と返ってきた。

ガソリンはどうしたのだろうか。

2、

午前中は、ピカソ長田氏と、題詠短歌について考えていた。

ピカソ長田氏は(ぴかそながたし)と読む。私が勝手にそう詠んでいるだけである。命がけで絵を書いている人だ。私は村上ポンタ秀一のコラムで、昔ポンタが初めてXのYOSHIKIに会ったときに、ポンタが、
「お前、もうここで死んでもいいって思ってるやろ!?」
と問いかけたら、
「もちろんですよ!」
YOSHIKIが答えた、というエピソードを思い出した。

題詠短歌については、私は小説を書くように書いてるんですよ、という趣旨で記事にしようと思った。もちろん、それは字数制限のある小説、という意味ではない。

ところで、「題詠」を私は「だいえい」と読んでいたが、本当は「だいよみ」かもしれない、と気づいた。私はいつも、「ダイエー短歌」「ダイエー短歌」と、心の中でつぶやいている。しかし、ダイエーはとっくの昔に、ソフトバンクになってしまったのだ......。