意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

呼び名

昨日の夕方、いまださんのブログを読んでいたら、唐突に私の名がでてきてびっくりした。idコールもなく、不意打ちである。しかし、idコールなんて、さらりと言ってしまう私が毛恥ずかしい。私はこのブログを始めてもうすぐ一年である。

いまださんは、キューカさんの記事のカナヘビについて書いているのに、私の名前にも触れ、
「エフタックと呼んでいる」
と書いている。私は
「風邪薬やないんやから!!」
と脳内突っ込みをし、にやにやしてしまった。しかし、まだ就業中で、周りに人もいたから、口を手のひらでおさえ、明日の仕事の段取りについて考えているふりをした。事務所は建物のいちばん西側にあり、暮れなずむ日が、1日仕事詰めであった私たちを癒やす。携帯は全く関係ないから、遊んでいるのはバレバレなのだが。ちなみにもし車の中とかなら、声に出して突っ込んだだろう。しかし、その場合は、標準語になる。私の関西弁は、友達に言わせると「殺したくなる」らしい。

私の名前は、「fktack」です。名前というか、はてなのIDです。いまださんは、この「k」を省略して呼んでいる、と書いていた。黙字、というらしい。暗に黙ってろと言いたいのだろうか。私は実生活では、たまに被害妄想的なことを言って、笑いをとる。

ところで、冒頭に出てきたキューカさんは、私のことを「藤川さん」と呼ぶ。私が何かコメントしても
「私の中では、「藤川さん」なのです」
ととりつく島をあたえない。この場合勝手に「j」を付け加えてしまっている。

このように人によって省略したり付け加えたりされ、私は読みようのない名前にして、本当に良かったと思う。私なりの読み方は一応存在するが、これはこの先絶対に言わないことにする。ちなみに友達は、
「エフ・ケー・ティー・エー・シー・ケー」
と呼ぶ。というか、読む。

ところで、さっき少し触れたが、このブログはあとひと月もすれば開設してから一年になる。私はブログでは、なにかの記念的な記事は一切書かないと決めていて、決めるだけでなく自分が何日連続で更新したとか、通算なんPVとか、そういうのは極力意識しないよう努めている。しかし、開設日については、PCで管理画面を開くと、最初のページに大きく表示されるので、おぼえてしまった。最初のうちは、忘れていた。だから、もうすぐ一年だということを、私は知っている。知っていると、うっかり「今日で一年になります! 読んでくださった方すべてに感謝!!」とかやってしまいそうなので、先にその芽を摘んでおこうと思う。今この場で宣言してしまうことにする。ついでに、開設一年にありそうな言葉も潰しておく。

1、「飽きっぽい私がよくここまで続けられた」

確かに私は飽きっぽい性格であるが、それ以上に面倒くさがりだ。私の記事に写真がなかったり、アイコンすら設定されていないのはそのためだ。「fktack」というIDも、はてなで最初に設定したのを、そのまま使った。はてなブックマークは6年くらい使っている。6年前は20代で、仕事も違った。携帯の着メロは「ルージュの伝言」のジャズアレンジであった。ブログのタイトルも、最初の5ヶ月くらいはデフォルトの「fktack's diary」だった。

アフィリエイトも、最初はとても興味があったが、設定とか禁止ワードとか読んだら、すっかりやる気をなくした。

さらに記事の中に、URLを貼るのも面倒くさい。私以外のブログだと、「以前こんなことを書きました」と、自分の過去の記事のリンクを貼る人もいるが、そういう人は、自分の書いたことをきちんとおぼえているのだろうか。私は2日もすれば忘れてしまう。もちろんタイトルや本文を読めばある程度思い出しますが。

私の場合、ここまで妥協して、ようやく毎日更新できるのである。なんでもそうだが、物事を長続きさせるためには、可能な限り自分を甘やかし、それを自覚することである。あと、毎日更新すると記事の内容にも妥協ができる。
「明日は今日よりじょうずに書ける」
と思うと、今日の内容はどうだって良くなるのである。

2、「読んでくれた方のおかげで、ここまでやってこれた」

これを真っ向から否定するのは気が引けるが、こんな風に好き勝手やっておいて、軽々「みんなのおかげ」と言っていいものか。芸術家の岡本太郎は、
「芸術家や作家は成功するとすぐに「妻のおかげ」とか言うが、今まで散々迷惑かけておいて、とんでもない」
と批判していた。私は迷惑まではかけてないと思う(願う)が、都合のいいときだけ読者を利用するようなことはしたくない。

3、「一年間続けたら、こんなことが変わった」

これは、以前局長さんが、
「一年更新したが、何も変わらなかった」
と言っていたのが印象深い。私はそのときは多分半年もやっていなかったので、
「そういうものなのか」
と思った。しかし、実はなにか変わったのかもしれない。

私自身が一年を目前にして、なにか変わったのか、については、とりあえず語らないことにする。私が文章によって、何かが変わり、それをここに書いたら、私が文章を利用したことになってしまうからだ。私は文章に奉仕したくてこれをやっているので、変わるのは私でなくて、文章のほうであってほしいと思っている。

書きながら思い出したが、局長さんは、一年間とぎれずに更新をしていた。私は最初の方はわりと途切れ勝ちで、ちゃんとやりだしてからまだ半年ほど経っていないので、同列に語ってしまうのは失礼であった。